銀盤にて逢いましょう


□悩ましい春を前にして
1ページ/1ページ



舗道に向いた窓辺の席に着き、
何か文庫本にでも視線を落としているらしき男性がいる。
結構な長身であるようで、
されどゆったりと構えての長い脚を組んだ佇まいは、
威風堂々…は言いすぎだが、それは安寧そうで絵になっており。
まとまりの悪い蓬髪も、双眸に掛かる謎めきの翳りに見えるほど。
涼やかですっきりとした目許なため、
伏し目がちになっていても瞬きのたびに見ている側がドキドキするほど印象的で、
それは端正で精緻な面差しが知的で素敵と、居合わせた女性らが落ち着けぬ。
知的と言っても 冴えてはいるけど冷たいそれじゃあなくて、
ふっと遠巻きながらの視線や気配に気づいてか顔を上げ、
そのまま ちょっぴり小首を傾げてとろけるように微笑めば、
何とも言えない柔らかで甘いほころびように、
同じ空間に居合わせた顔ぶれが 洩れなくひゃあと飛び上がりそうな反応を示すから威力は絶大。
そんな風に“綺麗”という描写がまずは出てしまう風貌ながら、
背も高いし、ひょいって無造作に重そうなものを抱えもするから頼もしく。
所作ごとに品があって見過ごされがちだが、案外と手も大きいし、
肩もかっちりしていて背中も広く、年齢相応の精悍さも感じさせ、
正に非の打ちどころなんて一点もなかろう美丈夫と、
どの知己からも まずはそうと評価されている、太宰治氏だったれど。


 そんな白皙透徹の麗人が、
 何とも覚束ない顔を隠しもしないで、
 とある女性の元へと押しかけており。

 「姐さん、お願いがあります。」

年末に取り替えたばかりなのか、青々とした畳からは藺草の清かな香り。
山茶花だろう淡彩の掛け軸が飾られた床の間の横、
同じ面の土壁の前には違い棚がしつらえられており、
重厚な趣きのある手びねりの花瓶らしい壺が飾られてある。
暦の上ではとうに春だが、まだまだ名ばかりとされる頃合い。
とはいえ、ここ数日ほどは温暖な日和で、
庭に向いた雪見障子も置け放たれており。
そこから差し入る陽光が、畳の上を目映いほどの白で塗りつぶしているほどで。
そんなうららかな春隣の昼下がり、急な来客として罷り越した背の高い青年に、
当家のまだまだ若いだろうに威容に満ち満ちた和装の女主人が向かい合う。
春めきを感じる日和ではあるが、
手元足元は冷えるとの配慮か傍らの長火鉢には火が入っているらしく、
鼎に掛けられた鉄瓶が控えめにちんちんと松風を紡いでいる。
純和風の居室にて向かい合う二人は、旧知の間柄…ではないながら、
微妙な縁があってのこと
お互いの気性やら嗜好やら 長い付き合いがあるかのごとくにようよう知っているものの、

 「何じゃ太宰、藪から棒に。」
 「中也を2カ月ほど預かってもらえませんか。」
 「はぁあ?」

それは行儀良く、しかも何やら大事を抱えておりますという真摯な表情のまま、
座布団ものけたまま四角く坐していた太宰、
尾崎紅葉という この姉人へと向け、
膝の前へと両手をついたそこ目がけ、土下座同然の構えとなるよう、勢いよく頭を下げる。
それは真剣な真顔といい、ピンと伸ばされていた背も潔い いかにも凛然とした態度といい、
見目の匂い立つような麗しさとも相まって、
年端もゆかぬ少女が相手であったなら、
見惚れたそのまま ぽうと頬を赤らめたろうほど絵になっていたものの。
生憎と今の生では縁が薄い紅葉だが、“かつての彼”として覚えていることは少なくはなく。
そんな記憶の中にいる太宰はと言えば、
悪魔のようによく回る知慧という途轍もない才を生かし、
脅威なぞ欠片も匂わせない優しげな見目の影で それは周到に策を巡らせ、
本人と顔を合わせた瞬間にはもう既に、
後戻りできない奈落の底へと踏み出している…なんてな恐ろしい存在で。
油断も隙も無いような裏社会から脱して以降も、
飄々としていて怖いものなぞないかのように振る舞う小憎らしい青年であったような。
マフィアに籍を置いていた頃は、
紅葉が育てた中原中也との異能や戦法の相性が良かったことから、
のちに脅威をもって“双黒”などと呼ばれるような、最凶のコンビでもあった…というところ、
今の生では誰の思し召しやら異性同士であったのがどう作用し合ったものやら、
当人同士の機微の問題ながら、今度は素直に惹き合ったか、
出会い直して1年も経たずに 誰もがうらやむよな睦まじい夫婦となった。
籍を入れたのは早かったものの、それぞれに指導していた存在が活躍中だったこともあり、
住まう拠点はそのままに、北国と横浜とに離れて数年ほど、
お互いが相手方の土地へ出向く格好の風変わりな生活を続けた末に、
弟子たちが引退し、そのまま結婚してくれたため、
やっとの同居と相成ったが、それでも月の何分の一かは、
肩書の関係もあって太宰が北国から離れられないややこしい夫婦であり。

 “まあ、それを言えばわっちも横浜から離れて久しいが。”

紅葉はそもそも横浜に在しており、
この男の麗しくも最強の妻御前の叔母でもある。
まだ高校生時分の中也のお転婆を見かね、
世間を舐めているといつか怖い目に遭うぞと
棒術や剣術を叩き込んで余計な火力を足してしまった困った姐さんであり、
今現在は、かつても猫かわいがりしていた鏡花の存在を聞きつけて、
(外戚筋の姪だったが まだ思い出せていなかったそうな)
この太宰の本拠近く、北国のこの邸宅に居を構えているという訳なのだが、

 「何じゃ。こちらへいよいよ呼ぼうというのかえ?」

向こうを本宅としてはいるけれど、
敦嬢の補佐、ブレインという役職を相変わらず務めている関係から、
中島家の家業の運営方針やらなにやらの打ち合わせ、情報の刷り合わせなどなどで
月の何日かはこちらへ戻ってきている伝書鳩状態。
中也は親しんだ街に小さな喫茶店を開いているが、
そこの売り上げがなくとも十分暮らせるだけの収入はある亭主なので、
いよいよ彼女をこちらへ迎えて新生活とするのかと、
やや早まっての歓喜を浮かべ、冴えた表情をほころばせた姐様だったが、

 「いや、そうじゃあなくって。」

それもありかなと言っちゃあいますが、
中也ってば横浜がよほど気に入りか離れたがらんのでそこもねぇと。
困ったもんですなんていう渋面満たした顔を上げてから、

 「私が言っても聞かないので、姉さんにしっかと抑え込んでほしいんですよ。
  あの、お元気すぎる妊婦様を。」

どんな想定外の難敵を相手にしていても、諦めずに策を練る智謀の君が、
それは忌々しいと眉を寄せ、低めた声で言い放ったのが、
何とも凡庸な言いようだったため。
肩透かしも良いところと姐様が呆れてしまったのも無理はなく。

 「何じゃ、嫁を説き伏せることも出来んとは、史上最凶の策士も落ちたものよの。」
 「何ですよ、その不吉な肩書は。」

策士に付いてるからにはただ強いって形容詞じゃあありませんねと、
忌まわしいという意味合いを正確に読み取ったのは余裕だったが、

 「だって、あの小さい小さい中也が、あんなお腹大きくしていて、
  しかもそんな身だっていうのに相変わらず駆け回っているんですよ?」

お腹がもげないかって、私どれほど怖い思いをしているか判りますか?と、
心底困っているのだと悩ましげな顔をする。
あああ、敦くんがやっぱりあの痩躯に二人も身ごもったっていうのへ
芥川くんが何故だかげっそりと窶れたの、他人事だと笑ってる場合じゃなかったんですよと。
蓬髪を両手で抱え込み、今ここにいるのも落ち着けないと膝で地団太踏み始める大の男へ、
やれやれと眉を下げての苦笑を送り、

 「そうそう。
  敦へは鏡花も案じておったが、そもそもあれこれスポーツを嗜んでおった身、
  足腰頑丈なのじゃ、案ずることはないぞと言うて説き伏せたよの。」

今でこそ 子供服のブランドを立ち上げて忙しそうな敦ちゃんも、
数年前までは銀盤で華々しく活躍し、有名な大会に出ては数多の賞を頂いたファイナリストで。
夫の芥川がコーチとして所属している横浜のリンクへも、
自分たちのミニチュアのような風貌の双子くんたちを従えて
事業の打ち合わせにと上京すると、
そのまま顔を出しての懐かしい氷の感触を楽しんでいるらしいが、それはさておき。
中也とて、様々な武道を身につけた頑健な身、
むしろ腹や腰なぞを鎧っていた筋肉は落ちての柔らかくなって
母体らしくなっておろうにと。
女性としての安堵を込めて言ってやったが、

 「それも問題なんですよ。」

頭を抑え込んだまま、やや病み込みそうな双眸をキッと上げると、
恨めしそうな声になり、

 「私も驚いたんですが、もともといかつくはない柔軟な筋肉が付いてたようで。
  それはそれで魅力的なプロポーションだったのが、
  その筋肉が落ちれば落ちたで、
  抱きしめるとどこまでもふわふわ腕が沈んでゆくよな
  絶品の柔らかさになってしまっていて…。」

長い腕を降ろしての、自分の二の腕抱きしめて、
困った困ったと悩まし気に煩悶して見せる。

 「あああ、あれは反則だよ。
  何でああも魅力的な女性になっちゃうかな。」

 「……惚気に来ただけなら帰れっ#」

しょうもない戯言ばかり ばら撒きおって、
そんな駄々こねをこじらせた挙句に中也を困らせたら承知せんぞと、
こめかみにぴきりと血管浮かせ、
今にも立ち上がって長押に掛けてあった薙刀を掴みかねない姐様なのへ、
あわあわと後ずさる困ったうら若き亭主殿。
曾ての前世で、何かというと物騒な気色のまま剣衝き合ってたのも困りものだったが、
こうまではまり込まれるのも考えものだと、
曾ては一騎当千の女傑だった紅葉の姐様、
やれやれと苦笑を浮かべ、感慨深げな溜息をついたのでありました。






    〜 Fine 〜    19.03.10.







 *例のスケーターの皆さんの“その後”です。
  私はどうも、旦那側に惚れた弱みから態度を引かせて、
  奥方たちの尻に敷かせる傾向があるようで。
  そのっくらいが丁度いいんですよぉ。
  いざって時は勿論のこと無敵に強いけれど、奥さんには弱いってのがいい。
  でもって敦ちゃんところは、奥方もでれっでれに旦那様が好きなので、
  子供たちは あてられないかが心配です。



次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ