銀盤にて逢いましょう


□コーカサス・レースが始まった? 15
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     15




地元であるヨコハマの街中。
芥川も出場する大きな大会が間近に迫っているというに、
独りでちょっとお出掛け中の中也嬢だったが、
気もそぞろでいた隙を突かれたか、見知らぬ女性らに取り巻かれかけ、
撒こうとして速足で振り切ろうとしたものの、
そういう手口に慣れでもあるものか、要領よく誘導されての、
場末のちょっと開けた空間へと足を踏み入れていた。
何かあって家屋ごと撤去されたか、それとも一時的な資材置き場のようなところか、
一斗缶やらシートが掛けられた木材らしき横に長い小山やらが
煤けた壁際に添うて散らばった、いかにもな空き地。
入ってきた路地方向以外を低層ビルに囲まれていて、
日当たりが悪いのと比例して注目度も悪そうで、
ちょっとやそっとの騒ぎくらいでは誰も駆けつけてはくれなさそう。
これは嵌められたかなと立ち止まった中也だったが、
多少の窮地くらい何とでもなるという余裕があったので、実際さして焦ってはなかったし、
あんなちゃらちゃらした女どもが何人がかりで掛かって来ようが、
舌戦ならスルーすりゃあいいだけのこと。
万が一にも手を上げて来たところで堪えはしないし、正当防衛で多少抵抗するのも良かろうと、
どちらかといや余裕の構え。
コートのポケットに両手を突っ込んだままという不遜な態度もそのままに、
強いて言えば 所用があるのに面倒な、迂闊ではあったかなという意味での溜息を、
はぁあと深々と吐き出してから振り返りかけたところ、

 「捕〜かまえた。」

まるで子供のお遊びの如く、どこかふざけた口調でそうと言い、
彼女の細い肩を掴み取り、羽交い絞めにした存在がある。

 「悪りぃな、お嬢さん。
  あんたに何て恨みはねぇが、あんたと一緒にいた優男に用がある。」

一応の体格はある身へ、
目立たぬようにという擬態のつもりなら良い線行っていよう、
濃色の安手のジャンパーにカーゴパンツという簡素ないでたちの、まだ若いクチの男衆らしく。

 「こないだ、俺の兄貴ンとこの事務所が摘発受けてよ。
  田舎の組織からのとばっちり、
  なのに、こっちの親方ン組からも見放されて
  代貸だった兄貴はトカゲのしっぽ扱いだったらしいっていうひでぇ話でよ。
  おらぁ世話になってた貸しがあるから、仇ィ討ちてぇんだな。」

訊いた話じゃあ、摘発ン時に関わった警察連中へ根回ししてた奴がいる。
女ウケしそうなツラァしてた優男が、こそこそとスパイみてぇな真似してたってよ。
しかもスケートなんてな ちゃらちゃらしたもんで顔売ってる有名な奴だっていうじゃねぇか。

 「地味な奴なら気づきもしねかったろが、案外と女どもが覚えてたのが運の尽きでな。
  そいつがあんたってゆう美人と一緒だったってから尚更目立ってたらしいぜ。」

どんなに立ち回りがうまくてもオンナを盾にされちゃあ手も足も出まい。
あんたは関係ないみてぇだが、この際だから餌んなってもらうまで…などなどと、
堂に入ったような口をきいてた奴だったれど、

 「言いたいことはそれだけかい?」

してやったりと思ってか随分気分が高揚していたのだろう。
酔ったようになってべらべら喋っていた男の肩をポンポンと叩く者があり、
ああ"?と振り返りかかった後頭部を、済んでという絶妙な間合いで大きな手がガシッと掴む。
余程に要領を得ているものか、何故だか首も肩も振り向けないまま固定されており、
何だ何だと焦って暴れかかったジャンパー男へ、

 「貸しがあるんじゃなくって借りがあるのだろう?
  世話になってたお兄さんが聞いたら何だとって怒り出すよ。」

背後にいた、どうやら男性らしい存在は、
まずはと そんなささやかな言い間違いを響きのいいお声で指摘してから、

「こっちでの取引相手だったってガサ入れされた事務所って、
 勝手に〇×組系って看板揚げてたグループだったらしいと聞いていたのだがね。
 租界で顔役やってる、ハマの辰さんっていう人から訊いた話なんだけれど、
 代貸なんての置けるような大きな組織だったっけ?」

「……っ!」

すらすらと紡がれた文言がそりゃあ要領を得ていたうえに、
裏社会に少しでも生活基盤を置いている者なら 誰もが知っていよう、
踏んではいけない虎の尾とされているその筋の有名人の名が出て来たものだから、
説かれた側のジャンパー男の身が ぎくりと凍る。
ただの聞きかじりではない証拠、

「おかしいなぁ、
 小料理屋の“なぎさ”ってところの女将さんから紹介されて逢ったのだから、
 間違いはないはずなのだがねぇ。」

そちらもまた、上層部の旦那方が出入りする店の名だし、
主人ではなく女将の顔でというのが いかにも深く親しい風を感じさせ。
淀みなく解説するその声の主は、そこでくすすと小さく笑うと、

「いつまでそのお嬢さんを羽交い絞めしてるんだい?」
「ああ"?」

言われてそれでも精いっぱいに声を張り、
せいぜいの威容を保ちつつ自身の懐を見下ろせば。
がっきと腕を回して動きを封じた相手、
ふんわりした赤毛ではなく、整髪料でごわごわした金髪の女で、
何故だか口許へ手のひらサイズくらいの貼るカイロを貼られている。
そして、

 「早く●●子を離しなって。」
 「何やってんだ、ごら……、うがっ。」

バキッという物騒な物音とともに、ジャンパー男には覚えのある声がして。
今度は凄む余裕もないまま “え?”と見やった先、
さっき間違いなく掻い込んだはずのモッズコートの痩躯がそちらにいて、
目で追うのがやっとという素早さ、
しゅッという風切り音を響かせるほどの鋭さで繰り出された蹴りが、
当人の頭上ほど身長差のある相手の顎へ見事に決まっているところ。
こっちへ飛んでた声は、
いつの間に入れ替わったやら
その小さな美人さんではなく おびき出しに加わってた身内の女の子が
自分の羽交い絞めの相手となっていたのを教えようという声だったよで。
途中で断ち切られたのは…言わずもがな、
その女傑を捕まえようと右往左往していた仲間うちの連中が
逆に立ち向かって来られ、見事な返り討ちに遭ってしまったから。

 「こっちで顔を利かせているなら知らないはずないんだがねぇ。
  ポートマフィアなんて物騒な名を名乗ってる下町ギャングもどき、
  武闘派の格闘集団のこと、聞いた覚えないのかな?」

 「………げっ。」

いっそお嬢さんばかりで立ち向かえばよかったねぇ。
あの子ったら、女へは甘いというか、さほど手厳しい暴力使わないから。
ああでも、卑怯千万な相手は例外らしいけど、と
世間話でもするような口調で淡々と語り。
小柄な女性が、だが、そりゃあ的確かつ鮮烈大胆な荒業を
舞いでも舞っているかのように 失速せぬまま繰り出し続けることで、
10人近いゴロツキが翻弄されてる プチ修羅場を眺めていたが、
それも終盤に至り、
最後の一人が背後から襲ったが、そんな気配もあっさり見抜かれてのこと、
振り向きざまに旋回しての回し蹴りを脾腹に食らって蹲ったところで、
後背にいた男がジャンパー男の後頭部からやっと手を離す。

 「さて、自分だけ無傷で無事だと安心してちゃあいけないよ?」

淡々とした声は変わらぬが、どんッといきなり背中を蹴られ、
信じられない光景に翻弄されたか
総身が強張ってた男がたたらを踏んで前のめりに転んだところ、
四つん這いになってる背中へ再びごすっと足蹴りが落ちて来て、
それがまた、実に巧みに痛いところを踏みつけてくる手並みなその上、

 「一体誰の女に手ぇ出そうとしたのかを、じっくりと後悔させてやらないとねぇ。」

急に低まった声の冷たさが尋常ではなく。
いつの間にかすり替わってたままだった金髪のチャラ雌が、
やはり尻もちをついて見上げた先、
神がかりなほど端正で、淑として匂い立つような奥深い美貌の君が、
凍るような無表情のまま、虫けらでも見下ろすような侮蔑を載せた口調になり、

 「身の程ってものを弁えたまえよ。」

ああ、この人は心の底から怒っていると、
当事者でなくとも感じたくらいの冷たい声で言い放ち、
再び膝上からを持ち上げた長い脚で狙いを定めると、

  「ぎゃあぁあぁぁっっ!」

地についていた手のひらを、これまたどういう角度と勢いでか
どんと踏みつけただけだのに。
指の付け根が5本とも異様な方向にひしゃげて曲がり、
傍に居て見てしまった女の子がひぃっと悲鳴を上げて目を逸らし、
そのまま…恐怖心からだろう、ぼろぼろぼろッと涙して竦んでしまったそうで。

  のちにしかめっ面で “修復不可能な負傷だった”と報告してきた
  坂口補佐官殿の言から明らかになった途轍もない“仕置き”だったらしく

そんな始末をされても文句は言えない。
現に傷害などの咎めも掛からぬ。
政財界や裏社会のつながりをほぼその手中に網羅し、
あちこちへ顔が利くのみならず、
つなぎのない相手へも即日で話を通せる辣腕のエージェント。
なので、誰もが敵に回したがらず、
何なら貸しを作っておきたいという方向でその動静を監視されているよな仕事師でもあり。
それほどの立場違い、格の違いがある存在、
底辺組には知られちゃあいない“怪物”を、知らずとはいえ怒らせてしまったのだと、
こちらの裏社会やその筋の界隈へも
遺憾ながら喧伝しむることとなってしまった悶着で。
その辺りを今から想起してだろう、
せっかく北国に引っ込んで、
中島さんちつながりのお家の執事なんて隠れ蓑をかぶっていたのに
やれやれだなぁなんて肩をすくめて見せつつも、

 「やあ中也。済まないね、とんだことへ巻き込んでしまって。」

朗らかな笑み浮かべ、頼もしい大暴れをこなした女傑の方へと歩み寄る。
とりあえず男衆らは残らずぶちのめし、
誘導役だった女の子らが身を寄せ合って震えあがっているのを
そちらも肩をすくめて、ふいっと見切るよに顔をそむけた中也嬢。
ちょっぴり髪が乱れちゃあいたが、
全力疾走したからだと云われりゃそれで収まる程度の撥ねようだったし、
事実、その身へは一発だって食らっちゃあいない。
真下から顎へと突き上げた掌底打ちやら、
みぞおちへ食い込ませた膝蹴りやらといった至近から撃ち込んだ代物だって、
倒れ込む相手の軌道まで先んじて読み込み、触れさせもせずでいなした見事さであり。
何より息さえ乱れちゃあいない手際のよさで、ハマの板額御前、健在なりというひと暴れだったものの。
そこも含めて余裕のお顔、
済まないねぇと言いつつもあまり悲壮に案じてなかったという態度の太宰へは、

 「…人を勝手に使ってんじゃねぇよ。」

先程太宰が踏みつけた男へと見せた表情に 通じていそうな冷ややかな顔をする。
おやと立ち止まり、

 「君は守られるよりもアテにされる方が喜んでくれると思ったのだが。」
 「面倒ごとは嫌れぇだよ。」

それに、と。
そのままの勢いで言いかかり、だが、息をつくと語調を落として、

 「こっちがある程度は読めるだろうって策を敷くのも腹が立つ。
  体よく利用されて喜ぶほど間抜けじゃねぇんだ。」

見知らぬ女らがまとわりついて来たことへ怪訝に思ったのも束の間で、
太宰に関わる厄介ごとらしいと思ったそのまま、
何でこんな慌ただしい頃合いだというのに、
逗留先から結構離れたところでの待ち合わせなんて言って来たことへもピンときた。

 「こないだの騒ぎの残り滓を一掃する おとりにする気満々だったんだろうがよ。」
 「いやだなぁ、そんな詮索は。」

そのままもうちょっと何か続けんとした声が寸断されて、

 「この程度は読めねぇと付き合い切れねぇ奴だってのを失念してた。」

今日はちょっとは厚めのコート姿ののっぽな相手の胸倉を、
苦も無く掴んだそのまま、ぐいと引くことで少しばかり屈ませて、
うかうかと誘導されなかった、咄嗟に身を躱したところまで織り込み済みだったんだろう?と、
それへ応じたように動いた自身さえ腹立ちの元なのか、
貌では笑いながらも臓腑が煮えるほど怒っているらしい。

 「敦くんの方へ襲撃がかかるのは困りものだったからだよぉ。」

已む無く、これが一番妥当だろう言いようを返し、
ふんっと勢いよく突き飛ばし気味に手を離されたのへ安堵したけれど、

 「大体さ、中也ってば今の私に取っちゃあ一番扱いづらいって判ってる?」
 「ああ"?」

がっちがちに守っても怒るだろうし、
懇切丁寧に策を説明しても阿保の子相手みたいな扱いなんてって怒るだろうし。

 「だから、いくらかは察してもらおうって恰好にしたのに、
  やっぱりそうやって馬鹿にしてるって怒り出す。」
 「だから…っ#」

噛みつくように振り返り、何か言いかかった中也を、

 「……っ!」

いきなり手を伸べ、懐へ掻い込むように引き寄せた太宰は、
あまり見たことがないよな真摯な顔をしており。
大きく見張られた双眸が、ちらっと自分の後ろを見てからこちらへ下りたため、
何か厄介なものが中也の後ろから迫ってたらしいとは判ったが。
反射がよくとも勘が利いても、これは避けようがなかったかもしれぬ、
パーンッという乾いた音がしたのへかぶって、グルンっと体の位置を入れ替えられ。
覚えのある堅い懐に顔を押し込まれたと同時、
横浜の街でもこうまで強い香のする潮風は吹かぬ、
それほどに強い鉄の匂いがパッとして、

 「  太宰っっ。」
 「ちゅ、や、」

ああそういえば、曾てもあんまり名前は呼んだことなかったな。
ガキの頃から一緒だったのに、彼からは名前ばかり呼ばれていたのにと。
強張らせた肢体、何とか頑張りつつも倒れ込んでくるほどの何かダメージを受けながらも、
こんな時まで親し気に名を呼ぶ彼なのへ、
まるで自分が何かしたかのような痛さを胸に感じ、
心底青ざめた 元重力使いの彼女であった。




to be continued.






 *わぁあ、何か妙な切り方でごめんなさい。
  難しいわ、太中って。
  どっちも凛々しく独り立ちしている人らだけに。




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