短編

□なし崩しじゃあ ノーグッド
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遠景の山々のみならず、街なかにも緑がしたたって、
それを揺らす清かな風さえ凌駕する強い日差しもやって来て。
このまま梅雨を飛び越して夏になってしまうのではないかと、
そんなことはないというに毎年のようにそうと感じる、
性懲りのないそんな頃合いと相なって。
公園ではツツジの茂みが絖絹のような純白や鮮紫色の花をいくつも抱え、
陽盛りを避けて木陰に集まった母親らが見守る先では、
足元から直接吹き出す噴水の中を短パンやおむつ姿の幼児たちが駆けまわる。
そんなほどにも火照った街では、
陽が落ちても昼間浴びた熱がなかなか冷めやらず。
行き場のない想いでも抱えていようものならば、
その潜熱に浮かされ踊らされ、何をやらかすか判らない…。



 「そういえば、中也さんてタバコ吸うんですよね。」
 「? ああ、吸うぞ?」

今更なことを訊いてきた敦は、だが、中也からの応じを聞くと、
一房だけ長いままになった脇の髪が肩先にくっついてちょっと流れるほど小首を傾げ、
キッチンから胡桃材のトレイを掲げて戻って来た赤い髪の兄人に、
ややもすると怪訝そうな顔を向ける。
偶然重なった休日を前に、
勤め先の探偵社からこの中也の自宅まで直行するようにと指示された少年で。
社の皆がご贔屓にしている居酒屋の焼き鳥を手土産に向かえば、
帆布エプロンをかけた兄人に“お帰り”と迎えられ、
かつおのニンニク風味の竜田揚げと、春キャベツとあさりのパスタ、
敦のお持たせの焼き鳥、かき玉ワンタンスープにたけのこご飯という、
和風寄りのメニューで歓待されて、
今は一息ついてる食休めという間合い。
クラッシュアイスをたっぷり詰めた、それは涼しげなグラスを二つ、
テーブルに並べ終えるのを待っておれば、
くすんだ濃紺のTシャツの上へ浅い色合いの更紗のオーバーシャツを羽織ったお兄さんが
“それで?”という顔になって続きを訊くので。
特に読むでもなく開いていた情報誌で鼻先を押さえ、
ついでに口元も隠したそのまま “うっとぉ…”と少々口ごもってから、
ややあってもごもごと紡いだのが、

 「だってボク、吸ってるとこ見たことありません。」
 「そりゃ当たり前だろ、吸わねぇようにしてるし。」

今頃気付いたのかと、してやったりなんて含みのあるお顔で にんまり笑うでなく、
それはあっさりした表情のまま、けろりと口にして。
敦にはジンジャーエールを満たしたグラスを渡し、
自分はオレンジスライスの沈むサングリアのグラスを持ち上げると、
ちろんと艶っぽい流し目をこちらにくれつつ、

「手前はまだまだ体が育ってる途中なんだ。
 要らねぇ毒を吸わせるわけにはいかんだろうが。」
「う…。」

そう、中也にはこういうところがある。
思う存分甘やかしてくれるが、譲れないところへはなかなかに頑迷で、
例えば箸の持ち方が間違っていると、まずはさりげなく注意し、
どうしても直らないようだと背後に回って貼りついて、
こうしてこうと手を添えて教えてくれたし、
道を歩くときは必ず自分が車道側に立ち、雨の中なら自分が傘の柄を持つ。
以前、社の慰労会の場で、それは美しく箸を使いこなした敦だったのへ、
太宰にだけ “中也せんせえにご指導受けたね?”とばれてたのは記憶に新しく、

「でもなんかそれって…。」

大事にされているのはとっても嬉しい。
聞いた話じゃあ、最低でも日に1箱以上は空けるほどのタバコ好きだそうで、
そこまで吸う人のすぐ傍らに居続けては確かに体に影響も出そうだが、

「何て言うか、
 ボクが帰ったら吸えるからいっかって思われてるみたいで。」

「…お。」

そりゃあ意外だと中也の表情が止まったものだから、
ああいえ、そうじゃなくてと、
相変わらず上手に言い表せてないのへ他でもない自分で焦れながら、
ええっとえっとと自分の胸の内を爪繰り始める。
以前、彼が使う香水を専門店で見かけて、
試香用のを嗅いでみたら随分と甘くて“ありゃ?”と感じたことがあり。

 『そうですね、
  フレグランスというのはその人の体臭と混ざって出来上がるものですから。』

同じ香水、同じトワレでも人によって香りが異なったり、
店頭商品とそれをご愛用くださっている方の匂いが微妙に違うと感じることも
往々にしてよくあることですと、売り子のお姉さんから説明されて。
彼から感じる薫りの底のほうに潜んでいた、
それは存在感のある男性らしい匂いは、どうやらたばこの苦みだったらしく。
そこまで彼の一部となっているものなのに、

「お前だけダメって遠ざけられてた
 そんな特別は、なんか他人行儀でつまらないなぁというか。」

視線も合わせずのもじもじと、ちょっとばかり含羞みつつ言うものだから。
ああそっかと、中也の側にも何とはなく輪郭が見えてきた。
子供扱いなのが嫌なのとそれから、

 「他の奴にはそんな気遣いしねぇのが、
  親しいから遠慮してねぇって風に思えるとか?」

 「……っ、えっとぉ…。/////」

図星だったか、しかもそうまで即妙にスパっと言われるとは思わなんだか、
見るからにハッとし、首や肩をぎゅうと縮めたと同時、
たちまち頬から耳から真っ赤になっってしまった虎の子で。

 だって、それって立派な焼きもちではなかろうか

自分でそうだと気がついての含羞みが、隠しようのない形で現れる。
薄い口許をうにむにと噛みしめ、
元が淡雪みたいに白い肌なのが さぁっと桜色に染まったのが何とも鮮やかで愛らしく。

 “可愛いもんだ。”

もっと懐ろ近くへ入れてほしいというおねだりで、
もっと愛してほしいという気持ちのずっとずっと手前の段階。
こんなものはちょっとした駄々に過ぎず、
だってのに最近になってやっと言えるようになった敦であり。
もっともっと甘やかしてと我儘を言えばいいのに、
何言われても叶えてやろうぞと、こっちだって頑張る所存満々だってのに、
今のところは何とかやっと、このレベルがせいぜいで。

 “新鮮だよな、うん。”

異能というものを忌み嫌った親から幼いころに見限られ、
ポートマフィアへ優良株として迎えられ。
裏社会での生き方を学んで育てられた中原には ごくごく普通の学生生活だのには縁がなく。
思春期というものも血まみれの抗争の中で過ごした身。
いろんな意味合いから“勝ち組”側だったので、同情されるほど悲惨じゃあなかったものの、
そういや純情とか一途とかにはあんまり縁がなかったような。
さほど女運が悪かったとも思わないが、
慣れ合って来ると性(たち)の悪いところが顔を出し、
嫉妬や何やで相手を縛るようになったり、
いちいち気持ちを試すような口利きをして振り回したり。
そういう悶着に始終にぎわってた気がするし、
惚れた腫れたっていうのはそういう“我”のぶつけ合いだって思い込んでた。

 失うのが怖いと、
 そんな怯えから強気に出られなくなるよな恋なんて、
 自分には縁のないものだと思ってた



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