短編

□細い細い月が折れる前に
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ヨコハマという“魔都”の闇を征するのが
ポートマフィアと呼ばれる犯罪集団である。
密輸品や武装兵器の闇市場での取り引きから、
人身売買、果ては略取誘拐や殺人の依頼まで、
凡そありとあらゆる非合法行為を請け負い、
莫大な収入と権威を儘にしている暗黒組織。
構成員の数は末端まで到底数えきれておらず、
表向きは興行系の企業という看板を出し、
ヨコハマの中心部に超高層インテリジェントビルを据えて、
この街を睥睨していたりする。
人の命までも含めた不法な物品の商いが主たる業務だが、
敵対組織との抗争や内部離反者への仕置きなど、
彼らにのみ通じる道理や仁義を欠いた者への報復や懲罰も
重要にして失敗を許されぬ“任務”であり。
また、依頼を受けての“暗殺”を執行する専任者も抱えており。
そちらはあくまでも“技術”を磨いた者でしかなく、
よって、よほどひねた人性でない限り、
手腕を恐れても人物を疎ましいとする風潮がないのも
こういう集団独特なそれといえよう。



緊張感が増していた敵対勢力との睨み合いから、
結局は関係修復も無為との結論が出て、交渉活動も破綻し、
今宵、情報操作によりさりげに封鎖されていた埠頭の一角で
闇と波濤の轟きに紛れての激しい抗争があった。
双方とも武力の看板たる精鋭を揃えていたのはそうなるとの見越しがあったからで、
首領直属、漆黒の貴公子が率いる遊撃隊は今宵もその異能を遺憾なく発揮し、
瞬殺が得意な暗器師から、必殺凶刃の使い手、闇に紛れて神出鬼没する影縫い師などなど、
負け知らずの辣腕揃いの一団が、今宵もヨコハマの潮風を尚濃い鉄の香でけぶらせる。

 “異名だけ並べると、どこの暗黒曲馬団かという趣だねぇ。”

大方、下級構成員辺りが、
身内自慢するときに格を付けんと名付ける二つ名なのだろう。
万が一にも当人の耳へ入ったら
“恥ずかしいことするんじゃありません”と仕置きされるかも知れないのにねぇなんて、
声も出さずにくすすと笑っておれば。
決着がついたのだろう、弾幕を張るべく夜陰を蹴立てていた機関銃の音もやみ、
遺骸の山を回収し、自分らの痕跡を残さぬよう後処理に駆けまわる者らの気配が
暗がりの底で密やかに這う。
専任の配下らが動き出すのを見やっていた痩躯の青年が、
段取りの確認を終え、
あとはお任せをという顔の、責任者だろう初老の黒服と目礼を交わし合って離れるのを見、
そんな彼がその黒衣を音もなく溶かし込んだ闇だまりへと足を向ける。
こんな時間でも作業中なのか、遠くで響いた何かのベルが潮騒に掠れて他愛なくも滲む。
そんなかすかな物音とは明らかに異なる鮮明さで拾えた靴音に、
一人、コンテナの居並ぶ暗がりを歩んでいた彼が
怪訝そうに目許を眇めて立ち止まり、
その輪郭となっている黒外套が闇より暗い漆黒を揺らしたが、

 「お帰り…というより、お疲れ様かな。」

やや低められ、その分甘い響きを増した聞き覚えのある声がし、
今にも切れそうな灯なのだろう、ちりちり震えて見える街灯の明るみの輪の中、
上背のあるジャケット姿の男がいつの間にか立っている。

「…。」

気配なく動くことなぞ呼吸と同じで意識せずともこなせる彼だと知ってはいたから、
芥川が足を止めたのはそれへの驚きからではなくて。
今宵は仕事が遅くまであると言ってあったのに、
そしてその場所なんて仄めかしさえしていなかったのに。
こうして難なく運べてしまえる彼の情報収集力に、今更ながら舌を巻く。

「もう帰れるのだろう?」

淑やかな端正さが見る人を惹きつけて止まぬ、
それは甘美な麗しさをたたえた顔容の中、
表情豊かな口許が歌うように響きのいい声を紡ぐ。
日頃の“お迎え”と変わらぬ穏やかそうな顔を向けている彼なのへ、

「……。」

不遜だったかもしれぬが、芥川は言葉が出ぬまま立ち尽くすばかり。
今宵のように殺戮をこなした後は、
こちらの気持ちの問題ながら、この人には逢いたくはなくて。
自宅へ直行したくてこそりと抜けたというのに、
どこから見ていたものなやら、
そんな小賢しい行動までしっかり把握されているのも実はいつものこと。

「さあ、帰ろう。」

別段、何か問われもしないし、話題にもならないのも判っている。
実年齢以上にずんと大人な彼だから…というよりも、
今の自分より年若だった頃から、
そういった機微のようなものの扱い、
処世術のついでみたいに習得していた人でもあって。
触れてほしくないこと、どんなに瑣末なそれでもしっかと把握し、
滅多になかったが出来のいい折は触れないでいてくれて、
そうでなかった折は 切っ先で穴が開くほどの刃に変えて、容赦なく突き立ててくれたものである。
今現在は部外者であるという立ち位置をちゃんと判っていて、
ただただ見守ってくれているだけな人であり。
なので、何を恐れる必要もないはずなのに、足を進められない。

「どうしたの? …あ。」

下ろしていた手。その先からぽたりとしずくが落ちた。
怪我だろうかと思ったか、相手の手が伸びたのを咄嗟に避けて、身を引けば、

「返り血なのだろう? どこか傷めていた動きじゃなかったものね。」
「はい。」

やっと口を利いた彼なのへ、太宰の深色した瞳がやや和む。
さして大変な級の仕事でもなかっただろうに、
妙にその身が強張っており。

「もしかして私が疎ましいのかい?」
「…っ!」

否定的な言いようへ、はっとして顔を上げる。
そのような不遜は構えていないことくらい判っている。
ああいけないな、つい意地悪な訊き方を選んでしまったね。
何も言わないまま項垂れている様子が昔を彷彿とさせたかな。
勿論、あのころとはすっかり変わった彼であり。
何と言っても目鼻立ちが冴えて凛々しくなった。
それでいて険しい印象ばかりだった雰囲気は落ち着き、
気の置けぬという形で親しい顔ぶれが増えたことが影響してだろう、
慎ましいそれながら微笑うようになったせいか、
端正な面差しは自然と花のようにほころんで、
ついつい見惚れてしまい、会話が不自然に途切れてしまうほど。
だが、今は…表情豊かなところへ気を取られ、
そのような腑抜けになっている場合じゃあない。

「…いつまでも付き合うよ? 言いたいことがまとまるまで。」

根負けして去る気はないと伝えれば、
誤解されたと怯えたように見張られていた双眸が、今度は落ち着きなく泳いでのそれから、

「汚れてしまわれるのが嫌です。」

拙い言い方だったが、それだけ無垢な想いだろうと感じられ。
内心でくすぐったいなぁと苦笑する。
だが、それはそれ、大事なのは当然そこではなくて、

「…今の今というキミに触れると、かい?」

おびただしい血煙と硝煙の香をまとい、少なからぬ殺意を行使してきたばかり。
決して褒められることではないと判っているし、そういう生き方を選んだのは自分だ、
圧倒的な暴力を振るって殺戮に手を染めたことへの引け目はないが、
光の世界に住まいを移した師への、穢れになってならぬと つい思ってしまうらしく。

「あまり思い上がるものじゃあない。」

キミが私を慮ってくれるのは嬉しい、やさしい子だね。
でもね、私の方がどれほど汚れきっていることか。
なのにしゃあしゃあと日向にいるんだ、

“キミを連れ出せなんだ力不足な身だっていうのにね。”

夜ごとの夢に見そうなほどどれほど悔やんだかしれないと、だが、
それは今更な話で、もはや言ってはいけないこと。
そうではなくて、

「他の人にはともかく、私相手に自分を貶める言い方をするのはやめなさい。」
「……。」
「比べてどうこうという前に、キミ自身が強靭で決して穢れぬ存在だからだよ?」
「?」

意味が判らぬか、怪訝そうに小首をかしげる。
だが、いい加減な比喩ではなく、そういう子だからそもそも目が留まったのだ。
何の目的もないまま、日々飢餓とだけ向かい合ってたような暮らしようを送っていたというが、
精気のない双眸に生きるという指針が灯ったらどうなるだろうかと、
そんなこと想わせるような、凛とした面構えだったのが気になって。
生きる意味を与えようと手を伸べれば応じてくれた、
まだ見込みはあるのだと不思議とワクワクしたものだ。

  だのに、

自分で思うよりまだ青かった私は、
様々なところで焦れたり傲慢だったり、
間違いばかりを積み上げてしまったのだと思う。
だというに、今にして思えばちゃんと芯の強い子だったから。
人の道から外れるような所業や環境に、
流されも呑まれもしないままで生き残れたのだろうと思う。
ただ、最初に示した指針がやや歪んでいたのが難だったようで、
それを正してくれたのが中也だったわけで。

 “…。”

それほどに私は孤独が怖かったのだろう。
あんな殺伐とした世界ではまだまだ幼かったこの子へ、
独りにしないでと、私だけを見るキミでいてと縋りついてしまったのだと思う。

「あの。」

言葉を尽くしてもその場しのぎでしかないこと。
なので、今だけ昔みたいな意地悪をする。
よく判りませんと困ったような顔になったのへ、

「ごめんね。私もこれに関しては勘みたいなものだから上手く言えない。」

そんなウソをしゃあしゃあとついてから、

「さあ帰ろう。」

一歩踏み出し、腕を伸べて、
有無をも言わさず下ろされたままの白い手を取った。
そのまま引き寄せた彼からは確かに鉄臭い血の香が強く匂ったが、
そんなもの何とも感じない剛の者だよ、私。
それよりも、と、言葉を区切り、

  気持ちは嬉しいけど、寂しいよ。
  キミに触れられない夜があるなんて。

甘ったるい言いようを囁いて、
見上げてくる黒曜石みたいな双眸へ目許たわめて頬笑めば。
やっとのこと納得がいったのか、小さく頷いてから、
やや強引に捕まえた手、そちらからもおずおずと握り返してくれて。
安堵したそのまま、もうちょっと距離を詰め、
少しほど下にある乳色の細おもてを見下ろして、
すべらかな頬に手を添えてうっとりと見つめること数刻。

 「…よかったらそろそろ目を閉じてくれないかな。」
 「あ、はい。///////」

いい意味でまだまだ多難な前途なようだと、
愛らしい想い人の頬の熱を同じところで感じつつ、
ふふと小さく笑った太宰だった。






   ◇蛇足◇ 


太宰のすぐの間近には、彼と同じようにポートマフィアにつながり持つ身の少年がいる。
自分は無力だと歯噛みしながら、されど諦めないで前へ前へと立ち向かう子で。
そんな姿勢を煙たく思っていた時期もあったが、
その真っ直ぐさは正直うらやましい目映さでもあって。
まだまだ幼く、世間というものにも経験値の浅そうな子で、
そんな敦に関してはどう構えているものかと、
自分でも気になっている彼なのか、案じるように訊くものだから、

「要らぬ火の粉が降りかかるなら勿論のこと守るつもりでいるが、」

傍にいる大人としての基本だからと、そうと言い置いてから、
けれども、それ以外のことへ私やキミという“周囲”が口出しをするのは
僭越でお門違いなことだとクギを刺す。

「そういうのは中也の役目だろうしね。」

その中也も随分と格が上がったせいか、惨い任務はあまり手掛けていないから、
それもあってのこと、
今はまだ、いろいろと理由をつけて深くは考えまいとしているのかも。
あるいは思い悩むことが中也の重しにならないかなんて思っているのかもしれない。
真っ直ぐな子だけに、そのうち深い苦悩に襲われるかもしれないが、
戸惑い苦しみながらも逃げないで自分なりの答えを出すのだろうね。

「こうして勘繰ること自体が彼への侮蔑になるんだろう。」

でも、中也が傍にいるのだから、それこそ大丈夫だと思うんだよ。
あれはあのような負の集団に居ても、皆を前向きにさせる存在だ。
森さんに育てられ、組織存続のための合理主義を優先するよう、
大局的最適解から人心掌握まで徹底して仕込まれた私と違い、
紅葉の姐さんから愛情をふんだんにそそがれて奔放に育った人だからね。
自分で身につけた人間らしさ、情の厚さと芯の強さでは誰にも負けないさ。

「この私があれを褒めるなんて、キミが相手でなけりゃありえない奇跡だよ?」

例えば、自分に見放されたら居場所がなくなると思い込むよう誘導し、
つれない態度で恐怖や焦燥を与えて縛り付けるような、
非道極まりない “躾け”もなくはなく。

 “……。”

間違っていると判っていつつ…手放したくはないと思うあまり
この彼へとさりげなく行使してしまった太宰であり。
そんな卑屈で小賢しい私より、
余程に頼もしい男だというの、ようよう判っているから。

 “キミが預けられた時はどれほど安堵したことか。”

……おやもう眠ったようだね。
無事な一日でよかったね、いい明日になりますように。




  〜Fine〜   17.05.18.





 *ニコ動で“失敗作少女”というMMDを見てつい書いちゃいました。
  ご存知の方はご存知な、神様級の作家さんので、もうもう切ない限り。
  でも、おふざけテイストなのは失礼かと勝手に思って書き始めたら、
  なんか重いの出来ちゃいました。

  後半の中也さん語りは、
  はっきり言ってまとまりなさすぎで、
  何ならこれだけでお話作るべきかとか、どうしようか迷ったのですが、
  こういう機会でないとこの人語らないと思ったので、ええいとまとめて掲示です。
  人を洗脳して従えるような暴君タイプの人って、
  こういうことにも長けているんですよ。
  モラハラの一番手に負えない奴ですね、怖いですねぇ。


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