Story

□ring
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「ロシアだと誕生日前にお祝いしたりしないんだ。クリスマスも…」

なんて、気軽に言った言葉だった。

ロシアでは誕生日前に祝ってもらったりすると、不幸が訪れるといわれている。

クリスマスもどちらかというとプライベートな催しで、家族、と過ごす日だ。

それよりも俺は、勇利には勇利の欲しいものを見つけてほしかった。

1日一緒に歩いて、俺のものはたくさん買ったけれど、彼はまだ自分のものを買っていない。

やわらかい炎色の明かりが灯る、クリスマスマーケット。

ようやく彼は、瞳を輝かせてなにかを探している。

俺はのんびりと、隣を歩く勇利の欲しいものが見つかるのを待つことにした。


皮の手袋越しに、紙コップに入った温かいワインのぬくもりが伝わる。

やわらかい葡萄と、少しのスパイスの香り。

俺はほっと息をついた。

クリスマス前、こうして穏やかな気持ちになれたのはいつ振りだろう。

(ずっと、この時期は試合だったからな…)

幸せそうな人々の顔が見える。

俺は今まで、こういった光景を見てきたはずなのに。

それはまるで初めて見るもののように、…まるで勇利の瞳のようにきらきらと輝いていた。

「!」

と、勇利がなにかを見つけたようだった。

勇利はちょっと怪しげな動きをして、Show Windowにへばりついた。

「ヴィクトル、この店入ろう!」

見るとそこは宝飾店のようだ。

いったい勇利は何を見つけたんだろう。

そう思うまもなく、勇利はさっさと中に入ってしまった。

「これと、これと…」

いくつかの商品がガラスケースの上に置かれる。

「…!」

それを見た途端、俺の頭は真っ白になった。

指輪、だ。

それもペアリング。

(そう、か…)

勇利には、こういうものを贈りたい相手がいたのか。

(ずっとそばにいたのに、気がつかなかった…)

ずっと、といっても一年に満たない時間。

でもそれは、グランプリファイナルに向けて、二人で駆け抜けてきた時間だった。

それは思った以上に、俺の中で大きな存在となっていたようだ。

(恋人、だろうか…)


固まってしまった俺をよそに、勇利は買った指輪のケースをポケットに入れると、店員に近くに教会はないかと尋ねていた。

教会、と聞いて俺の頭は少しずつ動き出す。

(勇利の彼女は、グランプリファイナルを見に来ているのかもしれない。…勇利は勝ったら、プロポーズをするつもりなのか)

「ヴィクトル」

「!」

声をかけられて驚いてしまった。

「あ、何?」

「僕、後ひとつ行きたいところがあるんだけど」

教会の、下見に行くのだろうか。

「…まだ時間あるし、大丈夫だよ」

ポーカーフェイスには慣れている。
俺はにこりと笑ってみせた。

「ありがとう」

勇利は少し緊張した面持ちで笑った。


他愛もないことを話しながら、二人で歩く。

意味のない会話は、俺の口からこぼれ落ちて止まらない。

時折勇利を笑わせながら

俺の心を悟られないように

俺は今、上手く笑えているだろうか。




教会前まで来ると、聖歌隊が歌を歌っていた。

暗くなり、教会自体は閉まっているとはいえ、ライトアップされて美しく輝いているそこにはまだ、まばらに観光客がいた。

勇利は何かを探すように歩き出す。

ゆっくりと、教会に近づいていった。

俺は少し遅れて、その後を追った。

勇利は階段を上り、ようやくその歩みをとめた。

そうして教会を見上げる。

俺は勇利の隣に並んで、教会を見上げた。

幾人もの天使が、まるで裁きを行うかのような神々しさでそこにいる。

ああ、俺は…

「ヴィクトル」

「何?」

勇利が名を呼んだので、俺は勇利のほうを向いた。

真剣なまなざしが、俺を捕らえた。

それだけで、俺の胸はどきりと音を立てる。

勇利は俺の右手を取ると、そっと手袋を脱がし始めた。

その手袋を自分のコートにしまうと、もう片方のポケットからリングケースを取り出した。

ひとつ、そこから指輪をはずす。

そうしてそっと、俺の指にそれをはめた。

(これはいったいなんだ)

俺はプロポーズの練習台にでもさせられているのか。

「明日から僕頑張るんで、その、おまじないを…」

「…!」

追い詰められたアスリートは、時として全く予想もつかないことをする。

俺を包んでいた真っ白い霧が、一気に晴れたようだった。

そうか、これは。

これは俺への、贈り物だったのか。

俺ははめられた指輪を見る。

指輪は教会から零れる光を拾って輝いている。

勇利を見ると、手にもうひとつの指輪を持っている。

何をすればいいのか、して欲しいのか。

すぐに分かるのは、相手が勇利だからだろうか。

俺は勇利から指輪を受け取る。

(氷の上は、いつだってひとりだ…)

でも、これがあれば。

氷の上で俺との練習を、思い出してくれれば。

…いや、それよりも。

「何も考えなくていいおまじない」

そう言って、俺は勇利の指に指輪をはめた。

考えすぎて失敗しないように。

そう、願いをこめた。


そうしているうち、俺はある言葉を思いだした。

完璧を目指せとか。

実力を発揮しろ、とか。

自分を信じろ、とか。

そんな言葉よりも、俺を突き動かしてくれた言葉。

そうしてこれは、俺がコーチとして勇利にかけられる、大切な言葉。

「勇利が一番好きだって言えるスケートを見せてね」

そういうと、勇利はうれしそうに笑った。




勇利は俺に、色々なことを気づかせてくれる。

そうだね、思い出したよ。

俺たちは勝つためだけにスケートをしているんじゃない。

好き、だからだ。

俺はまた、自分にはめられた指輪を見た。

(勇利への言葉は、俺自身への…)

なぜかその指輪は、指にしっくりとなじんでいた。


end


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