Story

□サイン
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夕食の後片付けをして。

居間に戻ると、ヴィクトルはテーブルの上に何かを広げていた。

良く見ると、それはいくつかのTシャツのようだ。

彼は油性マジックを取り出し、サインをし始めた。

「ヴィクトルの生サイン…」

「ああ、邪魔かな?だったら…」

「ううん。見てて良い?」

そう聞くと、ヴィクトルは少し驚いたような顔をした後、笑った。

「面白くもなんとも無いよ?」

「僕にとっては、特別な光景だよ。でも結構あるね」

「そうなんだよ。以前なら、リンクの事務室で片付けてきたんだけど…。今は勇利がいるからね」

「僕一人で帰れるよ?」

「ゆうり…。一緒の空間に居たいんだよ」

「あ、そう、なんだ…」

「はは、赤くなった」

「もう、ヴィクトル!」

「ごめんごめん。あ!これ勇利も書いたら?」

「駄目!」

「何故?」

「駄目に決まってるよ。ヴィクトルのファンへのプレゼントなんだから」

「皆喜ぶよ?」

「喜びません。仕事減らしたいだけでしょ」

「ばれたか…。勇利はなんでもお見通しだね」

そう言いながら、ヴィクトルはまた手を動かし始めた。

そんなはずも無いのに悪びれずにそう言うヴィクトルに、勇利は軽くため息をついた。

「コーヒーか何か、入れてこようか?」

「カフェオレがいいな。勇利の美味しいから」

「わかった」

勇利はそう言うと、席を立った。

キッチンに戻り、コーヒーを入れる。

合間に居間を覗いてみると、すらすらとヴィクトルはサインを続けている。

手馴れたものだ。

勇利はキッチンへ戻ると、カフェオレにいくつかのクッキーを添えて居間に戻った。

少しはなれたサイドテーブルに、それらを置く。

「良い匂い。ありがと、勇利」

「どういたしまして」

勇利はヴィクトルの向かいのソファに座る。

二人とも、すぐにはカフェオレに手を付け無かった。

さらさらと、ヴィクトルの手が動く。

勇利はじっと、それを見つめる。

ソファの脇では、マッカチンが寝息を立てていた。

静かな夜だ。

(何だか凄く、贅沢な時間だ…)

勇利はヴィクトルの手元を見ながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。




「…終わったぁ!」

ヴィクトルは一つ伸びをして、ううん、と唸った。

「お疲れ様」

「あ!…カフェオレ、冷めちゃったね」

「温めなおそうか?」

そう勇利が言っている間に、ヴィクトルはそれを手に取ると口に運んだ。

「いいよ、美味しい」

「そう?」

「うん。でも勇利、先に飲んでて良かったのに」

「…見ていたかったんだよ」

「ふうん?」

「…昔、テレビの企画で貴方のサインが当たる、っていうのがあって」

「うん」

「僕、お小遣い全部つぎ込んで葉書を買って、応募したんだ」

勇利もカフェオレを口に含む。

ひんやりとはしていたが、柔らかい香りが、ふわりと広がった。

「結局当たらなかったけど。…これを貰う人たちは、とても喜ぶんだろうな、って思って」

「勇利」

「何?」

「何故それをもっと早く言わない?」

「?」

「何に書いて欲しい?」

「…。あ!」

勇利は、ヴィクトルが何を言っているのか思い当たったようで、がたん、とテーブルにぶつかりながらソファから立ち上がると、慌てて部屋へと戻っていった。

その音で目覚めてしまったマッカチンの頭を、ヴィクトルは優しく撫でる。

「っ、これっ!!」

戻ってきた勇利が見せたのは、古い厚紙だった。

「これっ、子供の時、ヴィクトルにサインを貰うんだって思って、買ってた色紙」

「シキシ?」

「これに書いて!」

「…OK」

ヴィクトルはそれを受け取ると、その真ん中に大きくサインを書き始めた。

四方が少し日焼けして黄色くなった厚めの紙の縁は、金色に彩られていた。

いったいいつから、これを用意していたのだろう。

そして、数少ない勇利の引越し荷物の中に、ちゃんと入っていたというのも。

ヴィクトルは何だか堪らなくなって、仕上がったそれを掲げてみた。

と、なにやら見覚えがあるような。

「…ゆ〜とぴあにもこういうの、いくつか飾ってあったね」

ヴィクトルは懐かしむようにその色紙を眺めた。

「?」

「こういう紙にサインすることって、あまり無いんだ。日本のテレビぐらいかなぁ」

「そ、なんだ」

はい、とヴィクトルは勇利にそれを渡す。

勇利はなんとも輝いた瞳をして、それを見つめていた。

「そんなに嬉しい?」

「それはもう!!」

輝く真顔でそう言われ、ヴィクトルは思わず苦笑した。

貰うチャンスなど、いくらでもあったろうに。

忘れていたのか、気兼ねしていたのか。

…貰う必要が無かったのか。

(サインを貰う関係よりも、身近な存在になれていたのかな…)

そんな事を思いながら勇利を見ると、いまだに瞳を輝かせている。

自分のサインに妬くなんて、どんな状況だ。

「…俺は、もっと別な物にサインしたいな」

「え?」

勇利の瞳がようやくこちらへ向けられ、ヴィクトルはしてやったりの顔をする。

「婚姻届」

「…!!!」

「頑張って金メダルとってね」

ヴィクトルはそう言って勇利にウィンクを一つ贈る。

勇利は真っ赤になって、そのあと俯いて、しばらくしてようやく「…да」とだけ答えた。



end



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