Story

□バレンタイントラブル
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「ねえミラ、今日の夕食どこが良い?」

練習の休憩中、リンクサイドで勇利はスマホを弄りながらミラにそう声を掛けてきた。

彼はこんなにナチュラルに女性を誘える男だったろうか。

いや、違う。

「約束してた?」

そんな確信を持ってミラはそう答えた。

「あれ?じゃあミラは行かないの?」

「ん?だって誘われてないし」

「んん?」

「んんん?」

二人の頭にはてなマークが浮く。

確かに、いつもであればリンクメイトを誘って夕食に行く話しが出ると、誰彼ともなく集い、大人数になることは多い。

ただ、今日に関しては。

シュ、と音を立ててユリオがリンクサイドへ上がってきた。

「あ、ユリオ」

「何だよ」

ユリオはどっかりと椅子に座り、タオルで汗を拭く。

「今日夕食行く?」

「はあ?お前と?」

「うん。僕と、ソフィアと」

出た名前にミラは驚いた声を上げた。

「ソフィア?他には?」

「他?あ…。聞いてないけど、皆行くんじゃないの?」

きょとんとした顔の勇利に、ミラは恐怖すら覚えた。

「バカかクソカツ」

「?」

「今日は聖バレンタインの日だ」

「!」

「ああ…。日本にはそういうのねぇのか?」

ユリオが妙に納得した顔でそんな事を言っている。

「いや…。日本では女の子がチョコを好きな人に渡す日、だよ」

ミラとユリオは顔を見合わせる。

「まあ、ロシアとはちょっと違うけど…。こっちでは恋人同士で過ごしたりするわよ」

「ミラは今年も一人だろ?」

「煩いわね!も、は余計!!」

じゃれあっている二人を、勇利は呆然とした顔で見つめていた。

「ね、カツキ。それってソフィアにデートに誘われたんじゃない?」

ミラにそう問われ、勇利は渋い顔のままミラの方を見た。

「お前ああいうのがタイプだったのか」

「いや!!」

突然の勇利の大声に、ミラとユリオは驚いた。

それを見て勇利は、慌ててトーンを下げる。

「いや、その。何度かお茶した事はあるけど」

「ええ。それってもう付き合ってるんじゃん」

ミラが感心した様子でそう言うと、勇利の顔は青ざめていった。

「だって彼女ヴィクトルオタクで、色んな雑誌とか、画像とか持ってて…」

「ああ…」

「なるほど…」

ヴィクトルオタクとして勇利は有名であった。

勇利を狙う女性なら、そう言う所をついてきてもおかしくは無い。

「だって好きだとかも言われてないし、どっちかというと彼女ヴィクトルの方が…」

「好きだ、なんて特別な時にしか言わないわよ」

「そう、なの?付き合う前に言うもんじゃないの?」

「文化の違いかしら…」

すっく、とユリオは椅子から立ち上がった。

「で?どうすんだ?」

「どう、って…」

「そうね。断るなら早いほうがいいかも」

「…」

しばらく俯いていた勇利だったが、そのまま椅子に座った。

「カツキ?」

「…ちょっと行ってくる。練習遅れるってヤコフコーチに伝えてくれる?」

「…おう」

勇利はすばやくスケート靴を脱ぐと、リンクサイドを後にした。






ユリオとミラが練習を再開して少しすると、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。

「はあい!」

明るい声と共に、ヴィクトルがリンクサイドに入ってきた。

後ろにはバレンタインの贈り物を渡そうとしている女の子たちが、入り口のところで警備に止められていた。

「なんだよあれ」

リンクの側にヴィクトルが来たので、ユリオはその側まで滑っていった。

「中に入ってきちゃったみたい」

笑いながらヴィクトルが彼女達に手を振ると、黄色い悲鳴が聞こえる。

「あれ、勇利は?」

きょろ、とヴィクトルはリンクを見渡してそう言った。

「あ、ああ」

「練習日だよね?休み?」

「ヴィーチャ、仕事はどうした」

ヤコフがこちらに来ながらそう言った。

「ちゃんと終わらせてきたよ。ちょっと邪魔が入ったけど」

「…」

「ね、ヤコフ。勇利は?」

「ああ。用事があるとかで事務室のほうにいる」

「事務ね。分かった」

「おい!」

ヴィクトルは踵を返すと、そのままリンクを出て行った。

彼が廊下に出るとまた、黄色い声が上がっていた。





(事務室には居なかったし…)

ヴィクトルは施設内を歩いていた。

勇利が居ない。

(事務的なこと、って。日本で何かあったかな。っと…)

あまり使われていない通路の方に来てしまい、戻ろうとした時だった。

(…声?)

男と、女の声。それは聞き覚えのある声だった。

『その、本当にごめん』

(勇利…?)

『僕がこっちの風習を良く分かっていなかったから、誤解をさせてしまって…』

側の扉の中から聞こえてくるようだ。

ヴィクトルはそのまま、近くの壁に寄りかかった。

二人の声は小さくなり、思うように聞き取れない。

(嫌な予感がするんだけど)

こんな人気の無い所で、男女がと来れば大体想像はつく。

(でも、今の言い方だと…)

『…何でそこに、ヴィクトルが出てくるの?』

「!」

と、少し強い口調の勇利の声が聞こえてきた。

『今僕は、僕とソフィアの話をしているんだよね』

「…」

相手はソフィアか、とヴィクトルは思う。

(以前アプローチを受けた事があったな。適当にあしらった子だ…)

ヴィクトルは大きくため息をついた。

二人の話はまだ、続いている。

自分が出て行って、話をつけたほうがいいだろうか。

『僕はヴィクトルの付属物じゃない。誰と会って何をするかに、ヴィクトルの許可は必要ないよ』

穏やかじゃない内容に、ヴィクトルは聞き耳を立てる。

『でも、だからって好きじゃない子と付き合ったりしない』

「…!」

『そういう挑発の仕方、やめたほうが良いと思う』

ヴィクトルは思わず口笛を吹きそうになった。

(格好良いね…)

何せこのヴィクトル・ニキフォロフがご執心な相手だ。

そうそう簡単に落とせる男ではない。



ヴィクトルはこの1週間、モスクワで撮影をしていた。

本来なら3日で終わるところ、思わぬ事で長引いてしまったのだ。

(時期も時期だったから…。心配してた通りになった)

バレンタインにヴィクトルが居ないとあれば、勇利にアプローチをかけてくる人間は増えるだろうと思っていたけれど。

流されて付き合ってしまうのではないか。

そんな事も頭を過ぎったりしてはいたのだが…

(杞憂だったな)

年頃の男ならば、好意を寄せられて満更でもなければ付き合ったりするものだ。

とヴィクトルは以前の自分を正当化してみる。

でも、そう言う部分でヴィクトルと勇利は随分と違っているようだ。

(誠実なのか、人と関わるのが面倒なだけか…)

『本当にごめん。もう誘わないで』

足音が大きくなり、部屋のドアが開いた。

「…ヴィクトル!?」

ヴィクトルを見つけた勇利が心底驚いた顔をしたので、ヴィクトルは笑う。

「行こう」

「え、あ、うん…」

ヴィクトルは勇利の背に手をやると、歩くように促した。

部屋の中を見ると、ソフィアがぽつんと立っていた。

「そういうの、もうやめたら?」

ヴィクトルは彼女にそう声をかけてドアを閉めると、勇利の側へ駆け足で寄った。

「そういうのって?」

勇利は真っ直ぐ前を向いて歩きながら、ヴィクトルに聞いてきた。

「なんでもなーいよ」

「…」

「…ただいま」

ヴィクトルは歩きながら勇利の顔を覗きこむ。

勇利は真面目な顔をして、少し怒っているようだった。

でもヴィクトルのその顔を見て、顔をほころばせた。

「…お帰り。撮影どうだった?」

「まあまあかな。ツカレタヨー」

そういって勇利に寄りかかると、重いよ!と言いながら勇利は笑う。

(さっきの話、聞いていたのかどうかは聞かないんだな…)

そう思いながら、ヴィクトルは更に勇利に体重をかけた。

勇利がまた笑いながら「おんぶする?」と聞いてきたので、それは丁重に断らせていただいた。


この立場を誰にも譲る気は無い。

ヴィクトルはひっそりとそう心に誓うのだった。



and…

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