Story

□Stand by …
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ロシアの冬は寒いが、室内は結構暖かい。

ことヴィクトルの家は、服嫌いな彼のためか暖房も整っていて、寒いと感じる場所は無いほどだった。

夕食も食べ、風呂も終え。

明日はオフだという事で、ちょっと夜更かし。

勇利は日本から持ち出したポータブルのゲーム機をベッドの上に持ち込んでいた。

「…ああ、こっちかぁ。防御重視だと辛い…」

大きな枕を背もたれにし、ぶつくさと呟きながら指を熱心に動かしている。

と。

「わ!」

突然。

勇利の目の前に美しい顔が現れた。

「…」

「ヴィクトル…」

美しい顔の後ろ辺りから、ゲームオーバーの音が聞こえてきた。

隣でのんびりと、布団に潜り込みながらスマホを弄っていたはずの彼は、今目の前に居る。

「何度も呼んだよ」

そう言って、ヴィクトルは更に勇利に顔を近づける。

「そう?」

「うん。…俺と一緒に居るのに、ゲームするのって勇利ぐらいだよ」

「…」

ちゅ。

と、勇利は思わず美しい髪の上からヴィクトルの額にキスをした。

「…それがいいんでしょ?」

勇利の言葉を待っているヴィクトルに、そう言ってみると。

「…良くないよ」

そんな返事の後、勇利は唇を塞がれた。

でも怒っている様子も、拗ねた様子も無い。

ごくごく普通にそう言われ、きっと満更ではないのだと勇利は思う。

ヴィクトルの口が開いて、勇利の唇を啄ばむ。

その誘いに乗るように勇利が口を開くと、するりと舌が滑り込んできた。

「ん…っ、ふ」

「…ぁ、っ」

体温の高いヴィクトルの舌は、正直気持ちが良い。

あっという間に、勇利はその気にさせられてしまう。

「…ん」

ヴィクトルは満足したのか、最後に軽いキスをすると勇利から唇を離した。

ほんのりと赤くなったヴィクトルの唇が目に付き、いやらしいなと勇利は思う。

勇利は手元にあったゲーム機を無造作にサイドテーブルに置いた。

続けてメガネも外して置いて、ヴィクトルに向き直りその頬に手を添える。

そのまま、また、と顔を寄せる。

と。

ヴィクトルの指が勇利の唇を押し留めた。

「…」

勇利はじっとヴィクトルを見つめる。

ヴィクトルはそれを受け取ってにっこりと笑った。

「おやすみ、勇利」

「ええ…?」

ヴィクトルはそう言うと、バサリと布団にもぐって向こうを向いてしまった。

「…」

勇利は仕方なしに電気を消して、布団にもぐる。

「…」

ヴィクトルは本当に寝てしまうのだろうか。

悶々とした気分を抱えながら、勇利は口を開いた。

「…ヴィクトル」

「…何?」

「もう寝る?」

「んー」

その返事は迷っている時にするやつだ。

「ヴィクトルは、さ」

「うん」

勇利はそのまま、話を続けることにした。

本当は…したかったけれど、彼が望まないならしなくても良い。

「特別扱いして欲しい?」

「うん?」

「ゲームしてるの、僕だけだって」

「ああ…」

ヴィクトルはもそりと動き、勇利の方を見た様だった。

様だった、というのは、部屋の中が暗かったからだ。

まだ暗闇に慣れていない勇利の目では、ほんのりと物や人の輪郭が分かる程度だ。

「さっきのは、怒ってたわけじゃないよ」

ヴィクトルの声が届く。

その声には、確かに怒りとかそういった負の感情は含まれて居ない。

「うん、分かるけど」

「ならいいけど…。でも、勇利は普通に俺を特別扱いするよね」

「そう?」

「そう。しないときは全然しないけど」

「…そう?」

「うん。今みたいに」

「あはは…」

「勇利が無理をしているなら問題だけど…」

「いや…。そういうのはないかな」

「なら、今まで通りでいいよ」

「そっか」

「うん」

暗いからだろうか。

何故かいつもより素直に話をしているような気がした。

これなら今まで聞けなかった事も、聞けるかもしれない。

「ね、ヴィクトル」

「うん?」

「いままで、どんな人と付き合ったの?」

「聞きたい?」

「うん」

「前は嫌がってたのに」

「あの時は…。あの時とは違うよ」

「…そうだね」

「うん」

ヴィクトルが長谷津に来て間もない時、そんな話をしようとしたことがあった。

それを勇利は、止めてしまった。

「あの時は…自分の事を教えたくなかったし…」

「ふうん?」

兎に角勇利はその時、上手く話題を変えられずに気まずい雰囲気を作り出してしまったのだった。

興味の無い事は、忘れるヴィクトルだ。ヴィクトル、覚えていたんだなぁ、などと勇利はのんびりと思いながら話を続けた。

もうひとつ、気になっていたこともあったからだ。

「あの、ね。前の大会で…。女子のロシアの選手に、ヴィクトル「続かない」とか言われてたなあ、と思って」

ずっと引っかかっていた、言葉だ。

ヴィクトルのゴシップが多いのは知っていたが、本当に付き合った人はどれ位居たのだろう。

そして…

…どんな愛し方をしたのだろう。

「…あまり、長く続いた事は無いよ」

少しの沈黙の後、ヴィクトルは口を開いた。

「じゃあ、ゴシップ通り?」

「あれはでっち上げや宣伝もあるから…」

「やっぱり」

「そうだよ」

「それでも、結構な人と付き合ったんでしょう?」

「んー。付き合った、というか」

「モデルとか芸能人とか…そういう話は幾つか知ってるけど」

布団の中はホカホカと温かく、ともすればうとうととしてしまう。

温もりが隣にある安心感もあるのかもしれない。

二人はお互いにそんな事を思いながら、会話を続けていた。

「…俺は、シーズン入っちゃうとスケートに集中しちゃうから。だから自然消滅しちゃう事が多かったかなぁ」

「そっか」

「練習優先になるから、デートとか出来なくなって…」

「スケートと私どっちが大事?って」

「そう!そういうのもあった。勇利良く分かったね」

「…まあ、あるよね」

「勇利はあるの?」

「…」

「ごめん」

何の意味のごめんなのか。

少し情けなくなった勇利だったが、そのまま話を続けた。

「…スケーターとは付き合った事あるの?リンクメイトとか」

「うん?」

「そういう人なら、シーズン中でも割と一緒に居られるんじゃないかな、って」

「ある、けど」

「けど?」

「…」

暗闇に沈黙が流れる。

勇利がヴィクトルの方を向いても、彼の表情は良く分からなかった。

「ごめん、話したくない話題だった?」

「いや…」

ヴィクトルは一つ大きなため息をついた。

「スケートの事に理解はあるから、始めは良かったんだけど…」

「うん」

「俺が金メダルを取る度に、情緒不安定になっていって」

「…!」

「別れてくれ、って、言われたよ」

「あ…」

「俺の隣に居るのが辛いって。自分は成果をだせない、って泣きながら言われた」

「…」

「俺はそんな事を望んでいた訳じゃ無かったんだけど」

「うん…」

淡々とヴィクトルはそう語った。

ヴィクトルは本当に、彼女にスケートで成果を出せ、とは望んでいなかったのだろう。

というか、どうでも良かったのかもしれない。

彼特有の興味の無さ、とでも言うのだろうか。

あくまで彼はプライベートの部分で彼女と接していたんだろうと思う。

でも、ヴィクトルの隣に居る、という事がスケーターとしてはどういう事になるのか。

(スケートが好きなら、なおさら辛いのかもしれない…)

勇利は眠くなってきた頭で、ぼんやりとそう思った。

「俺と別れて、彼女スケートも辞めた。それ以来会ってないな」

「…」

もそり、とヴィクトルが動く。

勇利の頬に、温かい手が触れた。

「勇利、が」

「うん?」

「勇利は、どう?俺と一緒にいることは、プレッシャーになる?」

そう言われて、勇利は改めて考えてみる。

「…それは、もちろん」

「…そうか」

二人の間に、静かな時が流れた。

ヴィクトルにとってそれは一瞬の様でもあったし、まるで永遠のようにも思えた。

「もし、勇利が」

「ヴィクトル」

勇利はヴィクトルの言葉を遮った。

「僕もそのうち、彼女みたいに思う日が来るかもしれない」

「うん…」

「でも、来ないかもしれない」

「…」

「いや、どっちかというと、思ったり思わなかったりするのかな…」

「うん?」

「あ、いや、そういうことが言いたいんじゃなくて」

勇利はそっと、自分の頬に当てられたヴィクトルの手に手を重ねた。

「ひとつ、安心して?」

「?」

「僕は、貴方の記録を塗り替えてるわけだし」

「!」

「逆にヴィクトルが、そんな風に思うようになったりするかも」

金メダルはまだだけどね、という茶目っ気を含む声が、ヴィクトルに届く。

自分がそう思うかも、なんて考えもしなかったヴィクトルは少々面食らった。

「ゆ…」

「僕は彼女と違うから。だから、安心して」

一瞬思考を止めてしまったヴィクトルに、間髪入れずそう言って、勇利はヴィクトルを抱きしめてきた。

「…」

勇利の腕に包まれて、ヴィクトルは体の力が抜けていくのを感じた。

「…勇利」

勇利の年季の入ったジャージに顔を埋めながら、ヴィクトルはその名を呼んだ。

「うん?」

「俺は少し、怖かったのかもしれない」

「怖い?」

「勇利が、離れていくんじゃないかと」

「ヴィクトルでも、そんな事思うんだね…」

「…」

思うに決まってるだろう。

文句の一つも言ってやろうと、ヴィクトルが顔を上げると、勇利は目を閉じている。

「勇利?」

呼んでも動かない。

ふう、すう、と深い息を繰り返して寝入る姿を見て、ヴィクトルは目を見張る。

(この状況で、寝る、なんて)

変なところで肝が据わっているというのか、何というか。

「…」

気持ち良さそうにしている姿を見て、ヴィクトルはもう色々諦めた。

勇利の腕をもう一度自分の体に巻き付けさせると、そのまま自分も目を閉じた。

明日の朝の仕返しをほんのりと考える。

勇利はどんなリアクションをするだろうか。

(きっと…)

ヴィクトルは思わず笑ってしまう。

温かさに包まれながら、ヴィクトルもそのまま眠りについていったのだった。




end


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