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□幻の女
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知らない女性を見たことがある。
もちろん、この世の中で知らない人のほうが多いのだが、それでも俺には見たことがないと印象づけられた。
「ジョーカー?」
「ん、なんでもない」
仲間に声をかけられて意識を戻すが再度先程の場所に目を戻す。女性はそこにまだいる。
メメントスのなかでの人たちは皆一斉に奥へ奥へと歩いて電車に乗っていく。その中であの女性はその波の邪魔になるようにただ立っている。他の仲間にそれを言うと彼女は綺麗にいなくなっているため、俺しかわからない。
「行こう」
彼女を横目にモルガナカーに乗り込みエンジンをかける。ハンドルを切るときバックミラーから手を降る彼女が見えた。
「こんにちわ」
反対のホームに立つ彼女に話かけてみる。俺一人だ。電車がいつ通るのかわからないため、俺はその場で声をかけるしかなかった。
「お前は誰だ?」
単刀直入に聞いた。別に現実には影響はない。ならば堂々と聞けばいい。
しかし女性は喋らない。
「どうしてそこにずっといる?」
答える気がないのか、聞こえていないのか。ただ女性は笑っている。
「何か、知っているのか?」
今度は声を低くして問う。それでも女性は顔色一つ変えず、何も答えない。遠くで電車の音が響く。そこで女性はやっと動いた。正確には電車がくるであろう方向を向いたのだ。
「…?何かあるのか?」
ジョーカーも顔をそちらに向ける。すると女性がいた。突然近くに現れた女性に驚きながら距離をとり、とうとう銃を構えた。
「何のつもりだ」
女性をにらみつけてさらに問う。女性は変わらず、しかし今度は答えた。
「私はどこにもいない」
「…?」
「あなたの銃が私を貫いたらあなたが見る私は死ぬ。でもあなたの見ていない私はきっとまたそこにいる」
「なんの話だ…」
思った以上に澄んだ声と落ち着いた口調で少しだけ気が緩みそうになった。女性は質問に答えない。
「私はそんな存在、見ていない私、見られている私、ここじゃそれが私」
「…おい」
「私は見られる私、見られていない私はあなたが視線をそらしたらそれが私になる」
「話を聞け、お前は誰だ」
カチリと銃を鳴らして女性の体を狙い続ける。
「私はあなたが想像する私、あなたが知らないうちに描いた想像上の私」
「いい加減にしろ」
「怖い?」
「…」
初めて女性が質問をしてきた。正直、言い知れぬ恐怖に足が震えそうであった。認知上の人間でもないが生きていない。しかし女性は確かにそこに存在する。強敵に出会ったときの恐怖ではない。死を目前にする恐怖でもない。
純粋な恐怖。
「もし私があなたの思う恐怖なら、私は恐怖になれる」
「は…?」
すると女性は線路側に傾いて、倒れていく。電車の音が近い。ジョーカーは急いで女性に手を伸ばすが届かず、飛び出した。女性を空で捕まえてその勢いのまま向かい側へと飛び乗ろうとしたが、ふと女性を見てしまった。
女性の背景は真っ暗で、線路も何もない空間が広がっていた。時間と心臓が止まった感覚がジョーカーを襲った。
「ねぇ、私はあなたの恐怖になれた?」
「っは…!!」
ジョーカーの目には見知ったメメントスの天井が写った。ゆっくりと手足の感覚を確かめて呼吸を整えながら起き上がる。女性を見つけ、話をかけた場所だ。自分は今生きているのだろうか。ジョーカーは出口を目指した。
女性は、もういない。
現実世界に戻った暁は顔を触り、呼吸をした。生きているということでいいんだろうか。いまだに半信半疑のままそこから歩き出す。
「私は恐怖、あなたがそう位置づけた」
人混みの中で確かにあの女性の声が聞こえた。振り返り探すがそれらしき姿はなかった。
「恐怖でしか、私はあなたと一緒にいられない」
この言葉は今度は誰にも聞かれることなく雑音に飲み込まれた。
幻の女