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□優しい涙
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※妊娠話


「名無しさん、今日のご飯…」
「ん、うん…」

いつもなら元気にキッチンに立つ名無しさんが今日は調子が悪いようだ。

「大丈夫?」
「うん、熱とか風邪じゃないから平気。それよりなにか食べたいものあるの?」
「あったけど、いいよ俺が作るから」
「平気だって」

そう言っていつもの笑顔になるが、やはり少し無理をしているようだ。

「じゃあ、一緒に作ろう」
「ん、んー…いいよ」

納得してくれたようだ。心配だから本当はやらせたくないけど、それを口にすれば彼女はもっと無理に元気なフリをする。
これが一番いい。

「…今日のご飯もいいけど、明日の晩御飯は?」
「明日は名無しさんに任せる、でも無理に作らなくていいから。具合悪かったら寝てていい」
「明日は大丈夫だって」

そうならいいけど…





「ただいまー」
「おかえりなさい」

ぺたぺたと玄関まで迎えてくれる妻は何年たってもかわいい。見慣れた笑顔は安心する。

「ただいまっ」

名無しさんの額にくっつけるだけのキスを贈る。毎日のことだから彼女も拒否なく受け入れてくれる。
初めは照れていてかわいかったけどこっちの笑顔もかわいいからいいか。

「夕飯すぐ食べる?」
「うん」
「わかった」

またぺたぺたとキッチンに戻っていく。うん、かわいい。

「すぐ持っていくから」
「大丈夫、お風呂沸かせてくるから」
「えっごめんね!ありがとう」
「いいよ」

むしろ名無しさんは一人でなんでもやろうとしすぎだ。でも俺もよく言われるから黙っておく。湯船にお湯を入れてリビングに戻る。綺麗に並べられた料理と食器に感心して定位置につく。

「…名無しさん」
「何?」
「名無しさんのご飯少なくない?」
「あー…食欲なくて」
「まだ体調悪いのか?」

いつもより少なめに盛られた量に質問をしたら苦笑いで返されてしまった。

「ほら、家にいると運動しないから食欲なくなるんだよ」
「今までそんなことなかっただろ、もし駄目なら病院に」
「気にしすぎだってば!」

名無しさんに止められてとりあえずご飯をたべることになった。量もそうだが箸の進みも悪い。本当になんでもないのだろうか…。

食後の食器洗いは自分が半分無理やりやって彼女を風呂に入れて就寝させる。明日の朝食は俺が作ろう。心配性と言われても気にしない、名無しさんに限った話だから。



「じゃあ名無しさん、行ってくるけど何かあったらすぐ呼んで?いややっぱり俺が休む」
「仕事行ってください」

呆れ顔で追い出された。朝は割と元気に見えたから大丈夫だと思うけど。
普段より足取り重く職場に向かった。






その日から名無しさんはやはりダルそうだったり、食欲がない時が増えた。病院を勧めても本人は行きたがらないので無理に連れて行こうと思ったが「お仕事行ってきなさい」と一喝されて追い出される。それがなんとなく無理強いできる様子じゃなくて、仕方なく、本当に仕方なく仕事にいく。

「名無しさんに何かあったら、どうしよう…」

友人が今の俺の姿を見たら目が落ちそうな程驚くんだろうな。名無しさんに何かあったら本当に俺に何ができるんだろうか。

「一緒に死ぬ?」

物騒な言葉を口にしたら遠くからその友人達からツッコミされたような声が聞こえた気がした。





仕事はなにごともなく終わり、帰宅する。どうか名無しさんになにもありませんように。

「ただいま」

ドアを開けて中に入る。鍵をかけて再び視線を戻すが、名無しさんの声が聞こえない。近づいてくる足音も、姿もない。しかし料理の匂いは届く。

「まさかっ」

すぐに頭が真っ白になり、靴を履いたままキッチンに向かった。やはり家にいるべきだった、無理やり病院に連れて行くべきだった。そんな言葉も出てこず、ただ目的の場所へと走った。

「名無しさん!!!」
「あ、おかえりなさい」
「なっ…は?あれ?」
「ごめん、気づかなかった」
「それは…でも、あの…?」
「どうしたの?」

普通に料理をしていた名無しさんは俺が考えていた最悪の状態とかけ離れすぎていて言葉がでなかった。安心したんだけどさ。

「なんでもない…ただいま…」
「うん、おかえりなさい。靴脱いて廊下拭いてきてね」
「…あっ」

俺が廊下を拭いている間に名無しさんは料理を作り終え、風呂場でお湯を溜めていた。

「今日はどっちが先?」
「風呂入る…変な汗でたから…」
「??そう」

名無しさんの不思議そうな視線を横目にお湯が溜まりきらない風呂場に足を踏み入れて服を洗濯機に入れる。
浴室に入ってシャワーからお湯をだし、それに当たりながら深く息を吐いた。最悪の状況じゃなくて本当によかった。先程までの思いを汗と一緒に洗い流すようにタオルで泡を作り体をやや強めに洗う。そうしているうちにお湯が溜まり、蛇口を捻ってそれを止める。体を流した後湯船の温度を確認してザブンと入る。

「着替え置いておくね」
「ありがとう」

見計らったようなタイミングで着替えを置いてすぐに彼女は出ていった。

「名無しさんも誘えばよかった…」

安心して名無しさんを確かめたいからのんびり一緒に入りたかったなぁ。あわよくばそのまま

「出たらシよう」

決定。ちゃんとご飯食べて体力つけたら寝室に連れて行こう。考えたら名無しさんに会いたくなってすぐに出た。浴室から出ればいつもの料理が並んでいる。
おいしそう。

「お疲れ様。食べよ?」
「うん、いただきます」

水が滴らない程度に頭を拭いたタオルを首にかけてご飯をたべる。名無しさんは相変わらず少食だ。

「…やっぱり食欲ない?」
「…うん」

体調は相変わらずらしい。抱こうと考えていた思考が大人しくなり、早めの就寝に切り替わった。

「名無しさん、今日も早めに…」
「あのねっ」

早めに寝て明日こそ病院へと言おうとしたが名無しさんが言葉を遮った。

「ご飯のあとでいいから、話、聴いてもらえないかな…」
「うん、いいけど」

それから彼女は小さく頷いてご飯を食べ続ける。俺も再開するが彼女の表情と言葉が気になり、それどころではなくなっていた。

いつもより味がわからない夕飯後、名無しさんがお茶を出して定位置に座る。改まって座られた気がして俺も座り直す。

「…あのね」
「うん…」
「妊娠しました」
「うん…うん!?」

なんて!?

「…」
「えと…」
「…デキたの」

なるほどわからないせいりしよう。
俺は黙って立ち上がり、そのまま壁に頭を打ち付けた。

「ちょっ!?暁!」
「…ふぅー…」

痛みで先ほどより頭がはっきりする、意識もしっかりしてきた。よし

「ごめん、もう一回言ってくれるか?」
「…だから!赤ちゃんができたの!!」
「ふんっ!」

半ばやけっぱちに彼女は叫ぶ。俺の耳は空耳じゃなかった。でも衝撃が大きすぎるから今度はすぐそこにあったテーブルに頭を打ち付けた。

「…あの…」
「…」

二度も強くぶつけたせいか頭がぐらぐらして目が回ってきた。さっきの彼女の言葉は幻か何かだろう。そうだそうに違いない、だからこんなに意識が朦朧としてきて…

「暁!」
「はいっ!」
「頭…っやだちょっと!血がでてる!」
「え」

そういえば鼻筋に何か垂れてきてる。これ血か。

「救急箱!暁これで頭冷やして!」

てきぱきと濡れたタオルを額に押し付けて名無しさんは救急箱を取りに立ち上がる。俺はひどい鈍痛に耐えながら意識を手放さないように必死だった。
強く打ち過ぎた…、あれ?俺なんで頭打ったんだ?

「おでこ見せて」
「はい…」

そっとタオルを外して、彼女が救急箱から消毒液とガーゼを取り出してペタペタと張り付けていく。ふとタオルを見ると血がべったりしみ込んでいた。そんなにか。

「これでいいよ、前髪長くてよかったね」
「あぁ…ありがとう」
「あーびっくりした」
「…ごめん」

本人もびっくりした。タオルをぼんやり眺めていると箱を閉じた名無しさんがそのタオルを取り上げて台所で流し始める。ぎゅっと水を絞りそれを洗濯機の中へと入れた。

「…」
「?」

戻ってくると自分の席には戻らず、俺の前に立ち止まりそっと頭を抱いてきた。丁度お腹に顔が当たる。

「ねぇ、ちゃんと聞いて。私妊娠したの、赤ちゃんがお腹にいるの」
「…」

またぶつけたい衝動に駆られたが、抱き込まれていてそれもかなわない。その代り名無しさんの話はしっかり耳に届いて頭の中に入ってきた。

「暁と、私の…」
「…」
「一昨日に病院行ってきたの。流石にまずいかなって思って…内科に行ったら、別の科を紹介されて…それが、産婦人科で…」
「…」
「そしたら、2週目だって、言われて…私っ貴方にそれをっいいたくて…でも、拒否とか、されたら…怖くて…」

泣いているのか?泣かないでくれ。大丈夫、何も怖いことなんてない。

「今日、話したらやっぱり暁、驚いて…頭打ったりとか…」

それはごめん。

「暁…子供、いらない?」
「そんなわけないだろ」

今俺の目の前に、君との愛が詰まった一つの命がある。

「俺前からずっと言ってただろ?子供が欲しいって」
「うん…」
「それで今日この報告だろ?驚いて頭打ち付けたけど、聞き間違いとかしたくなかったんだ」
「…うん」
「名無しさん、俺、すごく嬉しいんだ。泣きそうなほど、言葉が、出てこないほど」
「うん…っ」

そっと顔を彼女から離して見上げる。やっぱり泣いていた。予想通り顔を歪めて涙がたくさん流れていた。
俺は立ち上がり、今度は俺が彼女を抱きしめるる。

「ありがとう、本当にありがとう…嬉しい」
「っ…あ、あきら…」
「うん」
「よかった…」

あぁ本当に幸せだ。彼女と夫婦になれて、彼女との子供ができて。本当に幸せだ。

「名前とか決めないとな」
「まだ、早いよぉ…」
「女の子がいいな」
「まだ、わかんないよぉ…」

彼女の頭に唇を落として、彼女にキスをする。それから服をめくり、お腹にもキスをする。健康で元気に生まれてくることを祈って。

「はー…幸せ」
「…うん、私も」
「…ねぇ名無しさん」
「うん?」
「一緒に風呂に入らない?」
「えっ」

彼女の涙が引っ込んだ。

「さっき暁入ったじゃん!」
「もう一回!今度はゆっくり入る」
「でもほら私まだやることとか調べることとか…」
「後で俺がちゃんと調べておく!いこう!」

よいしょと名無しさんを抱き上げて浴室へと足を運ぶ。扉を閉めると観念したのか背を向けて服を脱ぎ始めた。もともと薄着だった俺はさっさと脱いで中に入りお湯を出す。

「…うん」

出てきた涙をお湯で流してごまかした。





優しい涙




        

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