メイン
□透明なブルー
1ページ/1ページ
「…あのね暁」
「うん」
「もういい加減出勤しようか」
「あと5分…」
「それもう2回目だからダメ!!」
ぎゅむぎゅむと私を抱きしめてからもう10分近くたっている。さすがに毎朝これだとちょっと心配。
「ほらお客さん待ってるよ!」
「あと1分だけ!」
「ダメですいってらっしゃい!」
半ば無理やり外に追い出すのも恒例行事になってきた。隣の人に出会う度に温かい目を向けられるこっちの身にもなってほしい。
彼はお世話になった喫茶店の影響からかお店を開いている、ちょっと人気がでてきたので忙しいようだ。
でも
「手伝うって言ってるのに…」
暁は私が手伝うことを良しとしない。バイトはまだ呼べるような状態ではないので私がいけば問題ないはずなのだ。しかし彼は「家で待ってて」の一点張りである。
「えーと洗濯と買い物と掃除と…」
「にゃー」
「そうだね、モルガナもブラッシングしないとね」
暁がいつも連れて歩いてる猫のモルガナは賢いという言葉ではくくり切れないほど物分かりがいい。雨が降りそうなときは教えてくれるし居眠りしてしまったときは時間通りに起こしてくれる。
この子は本当に猫なのだろうかと疑うときもある。たまに暁としゃべってるように見えるし…
「ねぇモルガナ」
「にゃぁ」
「モルガナは私の言葉がわかる?」
「にゃー」
「わかってるんだよね?」
「にゃぁーにゃ」
「んんんーー駄目、モルガナの言葉がわかんない…なんで暁はわかるのー?」
どれだけ見つめても話しても全然理解ができない。暁はどうやってこの猫語を理解しているのか…
「いいなー…お話しできて」
「にゃー」
ピロン
「はっこんなことしてる場合じゃない」
「にゃっ」
「洗濯してお昼の準備しなきゃ…」
今日は晴れてるから布団も干そう。お昼食べたら夕飯のリクエストを聞いて、モルガナのブラッシングして…
「あれ、そういえばさっきの音は…」
スマホが鳴った音のはず、誰だろう。
「暁?珍しいなこの時間にするなんて」
そろそろお昼に向けて動いてる頃なのに、急用だろうか。
「えーと…えっ!?」
「にゃー」
「今日、早く帰ってくるって…」
「にゃ?」
「なんで?そんな自分の都合でお店閉めないでよ!」
チャットに返事しても既読もつかないしもうお昼時のラッシュに入ってしまったのだろうか。
時たまこういうことをしてくるから困る…。
「もぉー!今度は何をする気なの!」
似たようなことをしてきた時は必ずなにかサプライズ、もしくは驚くようなことをしてくるのがお決まりなのだ。彼は少々、いやかなり見た目によらずおちゃめな部分がある。
「どんと構えておかなくちゃね!モルガナ!」
「に、にゃー…」
モルガナがちょっとため息ついているように見えたのは気のせいかな?
「ただいま」
「うわほんとに早い!」
「早く帰るって言ったろ?」
まだ夕方にもなってないんだけど!
「そんな早くお店閉めて大丈夫なの?」
「うん、今日はもともとそのつもりだったし」
「今日は?」
さも当然だというように荷物を降ろして自分の部屋に戻ってしまった。
「モルガナ、今日なにかあったの?」
「にゃぁー」
今のはわかる。ため息つかれた。
会話していたら部屋から暁が出てきた。ちょっとかしこまった服を着てる。なんで?
「名無しさん着替えて」
「えっなにこれ」
「服、買ってきたからこれに着替えて」
「え?え?」
展開が読めない、またなにかのサプライズ?
「ほら、絶対似合うから」
「似合うって…ちょっと」
「早く!時間ないんだから」
部屋に押し込まれてしまった。なんだろう、服を買ってきたの?
「…え、ちょ、ちょっと!暁!」
「着替えた?」
「違う!なにこれ!なんでこんな…こんなドレスみたいな!」
「気に入らなかった?」
「好き、だけどそうじゃなくて!」
一体いくらしたんだこの服は…!値札が切られてて確認できない!こういうときは手回しいいんだから!
「ほら、早く着て。それとも俺が着せる?」
「自分で着る!」
こんな高そうなものを着ないのは逆にもったいない…!
「着れた?」
「…そりゃもうぴったりです」
「夜とかよく見たり触ったりしてるから…」
「だまらっしゃい!!」
こんなきれいな服久しぶりに着たなぁ…友人の結婚式以来?
「よし、行こう」
「え?どこに?」
「夕飯、食べに行こう」
「えぇ?」
そういえばチャットで夕飯のこと何も言われなかった。けど
「なんで?今日なにかあった?」
「何って、名無しさんの誕生日だろ?」
「え」
「え?」
誕生日?私…今日?だっけ
「…忘れてたのか」
「あ、あの…ほら、結婚してから忙しかったし…」
「普通は女性のほうが覚えてるもんだろ?」
「わ、忘れる時だってあるでしょ!?」
思い切りため息つかれた…
「そうじゃないかとは思ってたけど」
「悪かったわね!」
「でも忘れてくれてたほうが驚かしがいがあってよかった」
「私で遊ぶな!」
つないだ手を引いて私の頭を撫でる。ずるいね。女性が頭なでられるのに弱いの知ってるんでしょ?頭を撫でたあと、彼は私ごと彼の腕の中に収められた。
「名無しさんがそうやって俺の行動で驚いたり、怒ったり、喜んだりしてくれるのが嬉しいんだ」
「おもちゃだと思ってるの?」
「違うよ、それだけ俺に対して気持ちを向けてくれてるってことだろ?それがわかるのがすごく嬉しいんだ」
「…もしかして結婚したこと後悔してるの?」
「絶対後悔しない」
「しない…」
してないじゃないのか。
「…今でも思うんだ、本当に名無しさんと結婚できたのか、名無しさんは嫌じゃないかって」
「…」
「ちょっと子供じみたことだけど、俺にはこうやって確認するしか思いつかなくて…」
「…ばーか」
「えっ」
「ばーか!暁のおおばかもの!」
目が点になってる。
「嫌なとき私はどうしてるか覚えてる?」
「…すぐ物を投げて殴りかかってくる」
「言い方!とにかく嫌なら私は嫌って言うでしょ?」
「うん」
「私結婚の時拒否した?」
「してない」
「でしょ?だから気にしないの!」
さっきまであんなに私のこと引っ張ってたのに急におとなしくなった。
「暁」
「うん」
「私は君が好き。だから結婚したいと思ったしずっと一緒にいたいと思ったの」
「…」
「私も後悔なんてしてないし、これからすることもないと思ってる、だからきゃっ」
腕の力が強くなったと思ったら私を持ち上げた。見上げるのは彼のほう。
「…ほんとに、名無しさんは…」
「何!?ちょっと!」
暁はにこりと微笑んだあとゆっくりと顔を近づけてそのまま口づけをした。優しく触れるだけのものだけどそれが妙にくすぐったかった。
「名無しさん、俺幸せだよ。君を好きになって、君を愛することができて」
「…うん」
「…ねぇ」
「うん?」
「夕飯、キャンセルして家に帰らない?」
「それは駄目、行くよ!」
目がちょっと怪しいから帰るのは却下。
「お腹すいた!どこに行くの?」
「ん、ちょっとだけ歩く」
「えー、まぁいいか」
風が温かい気がした。
透明なブルー