04/03の日記

22:19
妖気について
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霊幻の仕事をまとめていて思ったのが、もし本当にこの相談所があったら…ということでした。
きっとすごく繁盛していた気がします。
話を聞いてくれる所長がいて、霊などに悩む人には本物の超能力者が担当してくれる。
ただ、残念なことに相談所メンバーの見た目に説得力がない。
たぶん足を踏み入れた相談者はメンバーを見て、髪色の明るい20代の所長(この時点で詐欺にみえる)に地味な姿の中学生(なぜいるのか分からない)唯一芹沢さんだけが落ち着いていて大丈夫そうと思うに違いありません。


そして妖怪ハンターの話を読んでいて、天草晴明が“妖気”と言っていて、思い出した話がありました。

1947年(昭和22)に発行された本に『物理学ノート』藤岡由夫著という本があります。
物理学の先生が優しく書いた随筆らしいのですが、目次の最初に“妖気”とあって、妖気!?物理学で妖気!?と思って読みました。
“妖気”の話の内容は、先生の母が関節炎を患ったとき、なかなか良くならず久しぶりに会いに来た学者仲間の先生が、よい病院を紹介してくれて快方へ向かった。のちにその先生に聞いたら、君のお母さんを見舞ったとき、病床に妖気が漂っていた。それで紹介をした。この妖気は他の先生のお亡くなりになる前にも感じたことがあり、この時はK博士も同じことを感じていた。しかし病人を始終見ている家人には感ぜられぬものらしい。と言われ、著者の藤岡先生は妖気について物理的に分析します。

それは、わずかな“違い”にあるといいます。
いつもとは違う何か。健康な状態とは違う何か。その人らしからぬ違い。
例えば顔色が悪いとか、肌の艶や色がいつもと違うとか、体型が変わったり、匂いだったり、物の位置だったりすると言います。

また、地理学者の先生の話が出てきて、人間の観察力は鋭敏である。登山家が仲間とはぐれたとき、目印として木の枝を手折ったり、川原で石を一つ二つ積み上げておく。自然というのはでたらめに見えて一つの法則のようなもので形成されていて、その一つでも崩れると“不自然”に気付く。のだそうです。

妖怪ハンターの天草が感じた妖気も、町の変化を敏感に察知したのだと思うと納得できるというか、超巨大ブロッコリーがそびえている時点で不自然なんですが…。
そんなわけで、たくさんの超常現象も物理的に考えると怖いものではなくなるのかもしれません。
さらに物理学ノートの藤岡先生は、これから化学が発展すれば物理学以上に説明のつく答えが出てくると書かれていました。

モブ君が見える“幽霊”ももしかしたら化学の力で誰もが見える世界になるのかもしれないと思いました。

個人的な考えですが、この世界は本当に目に見えるものだけが全てなんだろうか?と思います。
以前テレビで、人間が目で物を見る仕組みを見ました。
ピーマンを暗闇に置いて、赤い光、黄色い光、青い光を順に足していきます。
この三原色の光が全て当たって初めてピーマンが緑色に見えました。
私たちの眼球はかなり限定的な範囲でしか物が見えていないことに驚いたのを覚えています。
ということは、この、光が当たらないと見えない眼球では見えない物がたくさんあるのではないかと思いました。
きっと幽霊だって、眼球では見えないのだと思います。

私の友人に幽霊が見える人が何人かいます。
一度、どんな風に見えるのかと聞いたことがあります。
そうしたら、目で見るのではなく、目で見た景色の上に幽霊がいるフィルター(映像)が重なるのだと言いました。
目で見ていながら、脳内の映像を見る感じだそうです。
そして、友人が強く言うのが、幽霊が見える人は対処の仕方もわかる、分からない人はでたらめに言っている人だと言っていました。
見える人はむやみに人を怖がらせてはいけないし、幽霊やそれにまつわる背景は個人情報だから、人の過去や秘密を知ってはいけないとも言っていました。

話がそれましたが、幽霊は目で見るものではないみたいです。
となると、どうやって見ているのか気になります。
何か幽霊を感知するセンサーを持っていたり、発達していたりするのかもしれません。
よく、幽霊は人間の思い込みで、幽霊が出ると言われると幽霊を見たり感じたりすると言われます。

でも、私が知る友人、知人は、その人しか知らない情報を幽霊(またはオーラみたいなもの?)から知ったりします。
なぜそんな力があるのか聞いたことがあります。

一人は大病を患って死にかけた。何とか生き延びられた後、幽霊が見えたり人の過去や考えや前世も見えるようになっていた。
もう一人は、友人に霊感の強い人がいて、一緒にいたら自分も霊感がうつり、また、“良い場所”“悪い場所”がわかるようになった。そして報道カメラマンとして戦場に派遣され、生き残るために能力をフル活用、その後日本に帰国して平和に暮らしている。
もう一人は、十代の時に車にはねられ、脳挫傷で数日間意識不明、その後、人の“生気”で死期が分かるようになる。
もう一人は、飲食業で接客中、お客様にあなたには能力があると言われ、その時から能力が開花、瞑想などのトレーニングで“視ること”を生業にする。
もう一人は幼い頃から人のオーラが見え、みんなもそうだと思っていたら自分だけだった。今では見ないようにコントロールできるようになり、見えることを秘密にしている。


という人たちです。
ちなみに私は幽霊は見えないし、怪談が大の苦手です。
なぜ幽霊が見える人が周囲にいるのか自分でもわかりませんが、縁があるとかそんな感じなのかなと思っています。

この人たちほとんどに共通しているのは、生命の危機を回避するために表れた能力だということです。

戦場でカメラマンをした友人の、場所の良し悪しがわかる能力、オーラが見えるという知人は怒っている人や悪人はオーラがどす黒い赤色をしていて、そういう人には近づかないようにしていたと言います。
でもそれだったら戦地にいる人たちは皆、危険を回避できる能力が発現するはずだし、オーラも私たちが人間関係を築く上で必要だから見えるようになっていても良いはずです。

おそらくこれは、律がさらわれた第七支部で、エクボが見た拷問部屋にあたると思いました。
身体へ限界の苦痛を与えて覚醒させる。でも“ノーマル”が覚醒しても数人がかりで金縛りができる程度。エクボがいう“ギフト”の世界なのかもと思いました。
たしかに私たちがオリンピック選手と同じ練習をして頑張っても、オリンピックに出られるような身体能力は得られません。
そこには各自特化して生まれた才能が決め手となるのかもしれません。

でも、私たちの身体や脳に幽霊やオーラやあらゆる物が見える能力があるなら、そこには見える人と見えない人との違いがあるはずです。
たとえば運動神経の良し悪しが、筋肉の質や骨の質、神経の伝達スピードのちがいにあるように、見える人が持っている脳波や脳内物質、もしくは私たちが見えない身体の部位に違いがあるのかもしれません。
それこそ『物理学ノート』の“妖気”の世界で、見えない違いを感じる能力が身体にはある気がします。

この世界の全てを化学や物理学で解明できる日が来たら、幽霊に会えたり、宇宙人に会えたりできるかもしれません。
もしくはモブ君たちが出会った宇宙人のように、宇宙人側がこちらに合わせてくれる日が来るかもと思うと、楽しみなような怖いような気もします。



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