仕事で私服の一時

□仕事で私服の一時
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一匹の黒い兎が私の前で止まった。
その兎はのぞき込むようにして私を見ている。
(本当にいるんだ、野良兎。)
この町に出張で来た私はしゃがみこんで兎をもっと近づいて見ようとした。
この町には兎がいると部長から聞いていたがこんなに早く、それも駅の改札前で見られるとは思いも寄らなかった。
奈良県の鹿だって駅には来たりしない。
(さすが兎の楽園ね。)
私は好奇心で兎に手を伸ばした。
直後。
兎が私の細い指にかみついた。


私は動物が好きだけど動物は私が好きじゃない。
知ってるし、噛まれるのもなれたけどやっぱり痛いな。



この町は全体的によく整っていて、古風で、静かで、明るかった。
全ての家がレンガを素材とした物で各家の窓や玄関の前にはプランターが置かれ小さな花を咲かせている。
レンガの家に色とりどりの花、そして兎。
また、道ですれ違う老若男女たちはみな服装などがしゃれている。
道端にゴミが一つもないところからも皆の町への心がよくわかった。
町の写真を数枚撮り、私は目的地に向かうことにした。
今回の目的地は小さなカフェ。
今急速に発展している人気小説家へのインタビューが今回の仕事。
事前に持ってきた地図を使いゆっくり歩く。
途中、何度か兎に遭遇して足を止めそうになったが歩いて10分もしないうちに私は目的の場所に着いた。
ラビットハウスという名前の店の扉を引いて開けようとする。
ガチッ。
そうよね、ふつうお店は押して開くものよね。
私は気を取り直しドアを押した。
カランカラン、とドアのベルが鳴る。
「いらっしゃいませ。」
店内から気持ちいい挨拶が聞こえた。
その後カウンターの方からツインテールの高校生が近づいてきた。
「お一人様ですか?」
「いいえ、待ち合わせしてるの。
えっと…、まだ来てないみたいね。」
「分かりました。こちらにどうぞ。」と、かわいい定員さんが私を四人掛けの席に案内してくれた。
(いいな、あの制服。
昔やったバイトの時の制服よりぜんぜんかわいいじゃない。)
今はもう二十代半ばだが高校生の時の私ならとても羨ましがっただろう。
さっきのツインテールの子からメニューをもらい一度眺めてから数あるコーヒーの中からマンデリンを選んで注文した。
店内を見回すとお客は私一人のようだった。
店員はさっきのツインテールの子と色の違う制服をまとった短髪の子の二人だけ。
…と、思っていたらカウンターの影で誰かが立ち上がった。
長い髪の上にふさふさした帽子をかぶった少女。
年は彼女らと同じ高校生には見えない。
しかし、世の中には高校生に見えて二十代だったり、小学生に見えて高校生だったりすることがあるので一概には判断できない。
そのロング少女はコーヒーをなれた手つきで入れるとトレーに乗せ持ってきた。
「マンデリンです。」
ロング少女が私のテーブルにコーヒーをおいたとき不意に彼女の帽子が動いたように見えた。
何かと思ってそれを見てみるとそれには目がついていた。

私は後で知ったのだがあれはアンゴラウサギ と言うらしくとても飼育の難しい兎なのだとか。
こんな兎にあえたのは多分すごいことなのだろ。



あれから2時間。
一向に今回の仕事相手である小説家の先生が来ない。
その担当さんから先生が逃げたとの連絡があったけれどいくら何でも遅い。
ラビットハウス(ここ)に来たのは11時、もうおなかが空いて仕方がない。
こういう時にランチを注文するのはNGだが今回は許してくれるだろう。
「すみません。
注文いいですか?」
私は定員さんに日替わりランチを注文する。
今日の日替わりランチはキノコのスパゲティとカップ一杯分のスープ。
最近、インスタントの物ばかり食べていた私は久しぶりに美味しいと思えるものを食べた。
キノコをかむ度口の中にうまみがあふれていくのがよくわかる。
少しツンとくるコショウもキノコの旨みを際立てていて、フォークを動かすスピードが上がる。
いつの間にか皿は空になり、料理は私の胃の中に収まった。
それを見計らったように短髪の定員が食べ終わった料理の食器を片づけにきた。
「待っている人はまだ来ないんですか?」
高校生の定員さんが私にそう話しかけてきた。
まあ、待ち合わせと言って二時間も待っていたら不思議に思うだろう。
「ええ、そうなの。
小説家さんにインタビューに来たのだけどさっき担当さんから先生が逃げたって連絡があって。」
定員さんはそれを聞くと「そうなんですか」と言ってカウンターに戻ってしまった。

それから数分。
さっきの短髪の子は定時になったのか店の外へ出て行った。

それからさらに数分。
カランカランとドアのベルが鳴り、先程の短髪の定員さんが入ってきた。
否、入ってきたのは彼女だけではない。
青山ブルーマウンテン先生も一緒だった。
彼女は私の心を見透かしたようにつれてきた。
(担当さんが探しても見つからなかった先生を物の数分で見つけてくるなんて!
なんて恐ろしい子!)

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