伊賀の忍

□二人きりのバレンタイン
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「才蔵さん、今年も南蛮の露店が来てるんですよ」



ある任務の帰りに久々に夕霧に顔を出せば、女将が淹れたてのお茶と共にそんな話題を持ってきた。


「ふーん。もうそんな時期」


特に南蛮の露店に用も無く大した興味も無いため、出された団子を食みながら適当に相槌を打った。


「毎年、この時期は若いお嬢さん方が露店にごった返しますからね。ほら、ちょうど弥彦ちゃん位の」


仮にも里のくの一だと言うのに、どちらかと言えば商売人としての顔の方が長い夕霧の女将は、そこら辺に居る話し好きの熟年女性とまるで変わらない調子で俺に話し掛けてくる。


「南蛮の露店の何がそんなに楽しいのかね」


素っ気なく相槌を打つ俺に構わず女将はニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて言った。


「あら! 何を言ってらっしゃるんですか。ばれんたいんですもの、想い人に“ちょこれいと”を渡そうと思って張り切ってるんですよ」


うふふ、と何が可笑しいのか実に楽しそうに笑う女将を傍目に見ながらそう言えばそんな南蛮の風習がここ数年、京で流行している事を思い出した。


ーーばれんたいん
想い人に気持ちを伝える日

南蛮の商人が持ち込んだ“ばれんたいん”と言う風習は、意中の相手に“ちょこれいと”と呼ばれる甘味を渡して想いを告白すると言う仕組みがウケて、毎年この時期はその露店に若い女がひしめき合って居るのだ。


((…ちょこれいと…ねえ))


確か、何かの機会に食べた事が有る。
甘くてほろ苦くて体温で溶けていく不思議な食べ物だった。
その時は別段何とも思わなかったものの、今はその甘味が妙に気になってしまう。


((…弥彦は、ばれんたいんなんて知ってるのかね))


上田にはまだ入って来ていない南蛮の文化。
もし、知っているなら懐かしいと言って笑うだろうか。
知らなかったとしても、南蛮の珍しい甘味だと言えば喜ぶだろうか。

そんな思いがふと脳裏に浮かぶ。

どちらにしろ花の蕾が綻ぶように嬉しそうな笑みを零す弥彦の顔が目に浮かび、胸の奥が擽ったくなってくる。

「…。」

飲み終えたお茶を盆に戻し、立ち上がった。


「あら、才蔵さんもうお帰りですか?」

「まあね」


すげなく答えて、腰にいつもの刀を帯びる。


「露店なら大通りの小間物屋の斜向いですよ」

「…うるさいね」


何処からどう見ても話好きの熟年女性になった女将のにやけ顔を一瞥して俺はそのまま夕霧を後にした。





それから数日後
上田に戻り、いつも通りにこちらで真田の忍として過ごしていたある日の事。

鍛錬だと言って庭先でじゃれ合っていた幸村と佐助が水を飲む為に炊事場に向かって歩いていた。


「いい汗かいた〜!」

「やはり鍛錬の後は喉が乾くな」


いつもなら鍛錬の終わりを見計らって、水や甘味を差し入れる弥彦が今日は珍しく炊事場にこもって出てこない。

炊事場に籠る事自体は別段心配はしていなかったが、それにしても暫く出てこないので訝しく思い、俺も二人に続いて炊事場へと足を向けていた。


「うわ! なんか不思議な匂いがする!」

「甘い香りだな。 腹が減ってきたぞ」


炊事場に近づくに連れて、甘い匂いが鼻腔を擽る。


((…これは…))


上田では嗅ぐ事の無い甘い匂い。
しかし、その正体が何で有るかはこの目で見ずともすぐに分かった。


炊事場に入るなり、当初の目的を忘れて佐助が弥彦の元に駆け寄った。
いつも通り笑顔でそれを迎え入れる弥彦だったが、幸村の後に続く俺の姿を認めた瞬間、その瞳が戸惑いに揺れたのを見逃さなかった。


((…やっぱり知ってたのか))


上田では手に入らないちょこれいとを鍋で溶かしながら煎り豆や一口大に丸めたどうなっつに絡めている弥彦。

それが、ばれんたいん用に作られた甘味である事はすぐに察しが付いた。
そして先程弥彦の瞳が揺れたのも、俺に調理している所を見られた事に対しての動揺からなのだろう。


((…それにしても…))


今日がばれんたいんだからと、弥彦が張り切っているのは分かる。
しかし、その手元に有るのは細々とした豆や小さいどうなっつばかり。

弥彦の後ろから手元を覗き込んでは首を傾げている佐助や幸村と同様に俺の頭の中にも疑問符が浮かんでいた。


「弥彦、これ何だ?」

「ちょこれいとっていう南蛮菓子なの」


弥彦はちょこれいとを知っている。
と言うことは、当然ばれんたいんも知っている筈だ。

しかし、目の前で煎り豆やどうなっつにちょこれいとを絡めて居る弥彦からは一向に、ばれんたいんを連想させるような言葉は出てこない。


((…じゃあ、このちょこれいとは何の為?))


俺の知っているちょこれいとは、ばれんたいんに想い人に気持ちを伝える為に用意する甘味だ。
しかし、今の弥彦はどうみても少量のちょこれいとを、出来る限り嵩増ししているようにしか見えない。


「…。」


不思議に思いながらその手元を眺めていたその時、得体の知れない茶色のドロドロにどうなっつを浸した弥彦を見て、幸村が焦ったように声を上げた。


「なっ!? 弥彦、どうなっつに何をする!」

「ふふっ、大丈夫ですよ、幸村様。味は保証します」

「そんなにうまいなら、俺が味見してみる!」


まだ固まりきっていない茶色く色付けられた豆を食べようとした佐助の腕を、弥彦がすかさず掴み止めた。


「待って、まだ固まっていないから。佐助くん、このお皿、少しだけ外に出しておいてくれる?」


((…相変わらず、料理になると俊敏だね))


のほほんとしている様に見えて、意外と強かな弥彦。
摘み食いをしようとした佐助の腕をパッと掴んだ挙句に、固まりきっていないちょこれいとを固めるため、寒い場所に皿を置いてくるようにと逆に指示を出している。

不服そうな佐助だったが、結局は弥彦に逆らう事はせずにその指示に従い皿を持って炊事場を出て行く。
そして、幸村も大好物のどうなっつが謎の茶色い液体に浸されていく光景に怖気付いたのか佐助の後を追って炊事場を後にした。


「……」

「……」


うるさい二人が居なくなった炊事場に沈黙が落ちる。
弥彦は未だせっせと、手を動かしてはちょこれいとにどうなっつを浸して網に上げていく。

そもそも、どうしてこんな事をしているのか。
少量の、しかも希少なちょこれいとをわざわざこんな風に溶かして細々と分ける必要性を感じない。

どう見てもこれは



「ーー作り過ぎ」
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