伊賀の忍

□甘え下手
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「才蔵さん、怪我してるじゃないですかっ!!」


任務帰り、身を清めて普段着に着替えた俺を見つけた弥彦は、すぐにその表情を曇らせた。

怪我をしている。

その言葉に疑問符が浮かぶ。
今回の任務では、刀傷一つ負っていない。
俺で無くても片付くような容易い任務で、半日もせずに戻ってきた位の軽い内容だったと言うのに、怪我などしている筈がない。

バタバタ音を立てて、走り寄ってくる弥彦を不思議に思っていると、急に腕を取られた。


「…?」


首を傾げれば、真剣な顔をした弥彦がこちらを見上げてくる。


「…血、出てますっ! すぐ手当てしなきゃ!」

「は?」

「早く! 早く座ってください!」

「ちょっと、一体何なわけ。 怪我なんてしてないんだけど」


眉を顰めてそう問えば、更に眉を顰めた弥彦が俺の手の甲を指さした。

そこに有るのは小さな擦り傷。
一方向に数本入った滲む細く赤い線。


((…これって…))


刀傷ではない。

水で流せば消えてしまうようなそれは


「…これ、枝で掠めただけなんだけど…」


敵を追って薮を突破した際に出来たと思われる擦り傷。
最早怪我でも何でもない。
薄皮一枚を引っ掻いた位の浅い浅い擦り傷。


「だめです! ばい菌が入ったら大変ですっ!」

「子どもだってこんなの怪我だなんて騒がないんだけど」


薬箱を抱えて来て、軟膏を探し始めるその姿に思わず溜息が出る。


「…ちょっと、甘やかすにも程が有るでしょ。薬の無駄。明日の朝には消えてるよこんなの」

「才蔵さんは甘え無さすぎなんです!! 他にも本当は怪我してるんじゃないですか?! 」


俺の腕の袖を捲ったりしながら、他にも怪我が無いかと探し始める弥彦。


((…甘えなさ過ぎって…、単に甘やかされ過ぎてるだけなんだけどね))


俺の事になると、兎に角過敏な弥彦。

任務帰りには怪我の心配をし
天気が悪ければ熱が有るのでは無いかと心配し
雨が降れば何も言わずに褥の準備がされており
更に言えば、毎日昼に夕にと山盛りの団子が用意されている


((こんな状態で、これ以上何を甘えろって言うのかね))


何処ぞの金持ち坊ちゃんでもあるまいし
ましてや、こんな裏稼業で長年生きてきた俺をこれだけ甘やかしまくるのは弥彦位なものだろう。

今も、俺の腕に付いた擦り傷を、濡れ布で丁寧に拭いて軟膏を塗っている。

ここまで来ると、最早見事としか言いようがない過保護。


「本当に、他に怪我はありませんか?」


俺の手に両手を添えて、くっ…と弥彦が下唇を噛む。


((…本当に…これは、困ったね))


弥彦がこんな擦り傷の心配をしている訳では無い事くらいわかっている。

いつも、危険と隣り合わせ。
死と隣り合わせの闇の仕事。
数日帰れない程の大怪我を負ったことも有れば、本当に死んだと思った事も有る。

その度に顔を真っ青にしながら、時には寝ずに、時には食べずに、甲斐甲斐しく俺の世話を焼く弥彦。
そんな事が何度も起これば、俺の任務そのものが恐ろしい程の心の傷になるのは必然だ。


俺が任務に出る度に言い知れない不安を抱え
それでもじっと耐えて帰りを待ち
帰ってくれば大袈裟な位に俺を甘やかして、その無事を確認する。



((…甘え下手なのはどっちなのかね))



いっそ、行かないで欲しいと泣いて喚いて引き留められた方がまだマシな位だ。


無理やり笑って
無理やり泣かない


不安な気持ちを表に出さずに、気丈に振舞ってる方がよっぽど甘え下手だろう。

だからこそ、余計にタチが悪い。





「…ああ。そう言えば、有るよ。傷」

「えっ…! どこですか?!」


俺の一言で弥彦の顔色がサッと青ざめる。
刀傷か、それとも骨折か打撲かと、その頭の中に不安が駆け巡っている様子が手に取るように分かる。


「早くっ…早く手当てしないと!」


着物の裾を握って懇願するように見上げてくるその姿に、意地悪くも愛しさが込み上げてくるのだから、俺も相当に重症だろう。


「背中」

「背中…っ…」


青ざめた弥彦が俺の背後に回ろうとする。


「はい、待った」


その腰をすぐ様掬うように抱き寄せると、非難するような視線がこちらを睨(ね)めつけた。


「才蔵さんっ…!」


こんな事をしている場合では無いと言いたいのだろう。
本当に、何処までも何処までも甘え下手のお人好し。


「お前さんが付けたんでしょ。」

「…へ?」

「こんな擦り傷なんかよりも深くて大きい傷痕」



数瞬、時が止まる。

パチパチと、零れ落ちそうな瞳が瞬かれ
次の瞬間、噴火でもしたかのように弥彦の顔が真っ赤に染まり上がった。


「ーーーーッッッ…!!!!!」


声にならない叫び声を上げて口をパクパクさせている光景は実に面白い。



「昨日のお前さんの方が、今よりよっぽど甘え上手だったね」

「なっ…! なっ…!!! 何の話しですかっ…!!!」

「分かるように説明した方がいい?」

「けけけけ…、結構です!!!」



甘えて良いなんて、無責任な言葉は言ってやれないけれど
せめて思う存分、甘やかされてやる事で
甘え下手なお前を甘やかしてやれるなら







終わり



甘え下手なのは、お前の方。

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