現パロ小十郎

□金曜日の恋人
1ページ/6ページ

金曜の夜は、弥彦が来る。



そう約束した訳でも、話し合って決めた訳でもない。

仕事で忙しく過ごす日々の中、唯一邪魔が入らずに二人の時間を過ごせる週末を、大切にしたいと思う気持ちはお互いに同じだったと言うだけの事。



「苗字、今日も遅くなるのか」

「あ、小十郎様」



秘書用のデスクで黙々と資料作成をしていた弥彦に声を掛けると、くるんとした瞳をこちらに向けてから、恥ずかしげに小さくはにかんで見せた。
その笑顔に胸の奥が音を立てる。



「ここ最近、残業続きだろう。たまには早く帰りなさい」

「はい。あとは資料室でデータを纏めるだけなので今日は定時で上がれます」



一見すれば何気無い上司と部下の会話。
しかし、それは恋人同士の甘さを孕んだ秘密のやり取り。

早く二人きりになりたいと言う願望を上司の顔の下に隠して伝えれば、それを受けた弥彦も応えるように部下としての表情のまま頷いた。

無意識なのだろうが、俺にだけ分かるようなほんの少しの甘えを滲ませた上目遣いで見つめられると、先ほど音を立てた胸の奥が更に小さく波立つ。



((無自覚なのも罪だな……))



正直、みっともない位に惚れ込んでいる自覚は有る。
ほんの少し言葉を交わしただけで。
ほんの少し見つめられただけで。
恋を覚えたての子供のような気持ちになるのだから、自分で自分が手に負えない。

もう、この可愛い恋人に何日触れて居ないだろうか。
折れそうな体を抱き締めて眠るのは何日ぶりだろうか。
許されるならば、今すぐここで口づけたい。

そう思うだけで、抑えきれない熱量が胸の内から染みだしてくる程に俺の身体も心も弥彦を渇望して止まないようだ。




((……ほんとに、弥彦の事になると大人気も何も無いな))



自分の思考に苦笑を漏らしながら、デスクへ戻る。
疲労のピークを迎えた金曜は作業能率が落ちるのが常だと言うのに、残りの仕事が消えるように片付いて行く。

弥彦と付き合うようになってから、金曜の夜は特別な日になった。
仕事ばかりの味気ない日常に、日差しのような温かさが降り注いだのは数か月前の事。

今では、この週末に纏めて体力も気力も充電し、次の一週間を乗り切ると言うのが生活スタイルになっていた。

しかし、俺のそんな数日ぶりの逢瀬への期待は数時間後、無情にも打ち砕かれる事になる。













『お掛けになった電話は現在電波の届かない場所にあるか電源が――……』






「ちっ……!」







本日、何回目かの無機質な女のアナウンスに、舌打ちをしてスマホを助手席に投げ捨てた。



「一体どこに行ったって言うんだ……!」



苛立った気持ちをぶつける場所もなく、ただただアクセルの踏み込みだけが深くなる。

唸るようなエンジン音を響かせ人気のまばらな夜のオフィス街を疾走している俺の頭の中は、感じたこともない不安と焦りが渦巻いていた。



車内の時計はすでに10時半を過ぎている。
しかし、俺の隣に弥彦の姿は無い……。



(電話も出ない、自宅にもいない、会社にも居ない……)



今日は定時に上がると言っていた弥彦の姿が何処にも無い事に気づいたのは、2時間ほど前の事だった。



.
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ