現パロ小十郎

□金曜日の恋人
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((どこに行ったんだ……))






弥彦の自宅に向かうが、その部屋も灯が消えている。
それならば、と向かった会社のオフィスも蛻の空だった。



「くそっ……!」



何度も鳴らしたスマホは延々と無機質なアナウンスが流れ続けている始末。

突然目の前から姿を消してしまった愛しい人に、俺の気持ちは滑稽な程にかき乱されていた。



「……弥彦……っ」



どうか無事でいて欲しい。

ハンドルを握る手が、その思いを受けて白く色を変える。
心臓は、うるさい程に早鐘を打っていた。



((もし……))



もし、万が一事故でも事件でもなく、弥彦自身の意思で俺の前から姿を消したのだとしたら……。

最悪のシナリオが脳裏をかすめ、絶望にも似た虚無感が腹の底から上がってくる。



「……まさか……」



正直、これまでも同棲していた女が突如姿を消す事は何度も有った。

仕事にかまけて相手をしない俺への当てつけや、愛想を尽かして出ていくという事は珍しい事ではない。
そのたびに『またか』と面倒に思い、特別連絡を取る事も追いかける事もしなかった。

今思い返せば最低な事だが、俺と一緒に居たければそのうち勝手に戻ってくるだろうと、そんな風に思っていたし、実際何人かは自分から戻ってきた事もあった。



しかし、今回ばかりはそうは言っていられない。



弥彦だけは違う。
何が違うのか、ハッキリと口する事は難しいが、とにかく違う。
特別な美貌があるとか、出自が華やかだとか、華々しい経歴があるとかそんな物でもない。

生まれて初めて自分から求めて、追いかけた人。

俺の容姿や経歴、立場に全く見向きもしない。
そのくせ臆せずに俺に向き合い、ただただ純粋に懐に飛び込んできた唯一の女性。

心から、彼女が愛おしいと思った。

何があっても手放す事は出来ない、たった一人の大切な人。
弥彦の前では“大人の恋愛”など意味のないものでしかない。
簡単に割り切れる思いなど、持ち合わせて居なかった。


だからこそ、万が一弥彦が自らの意思で俺の前から姿を消したとしても、
絶対にどこまでも追いかけて、捕まえて、離すつもりは無い。
泥臭くても、例えどれだけ拒絶されても何度でも口説き落として自分の物にする。



((……だから……頼むから……))



痛い程に締め付けられる心臓をシャツの上から抑えた時だった。






「……ッ!!」



反対車線に見慣れた人影が見えた。

華奢な体に色白な肌。
花が綻んだように笑う表情は、今俺の中の殆どを占有している人物。
弥彦、その人だった。


しかし、無事な姿を確認できたのもつかの間。

その隣に並ぶ男の姿を認めた瞬間、俺の目の前は真っ赤に染まる。



((まさか……!))



今しがた考えていた最悪のシナリオが脳内を埋め尽くしていく。



((自分の意思で俺の前から姿を消した……?))



―――他の男と一緒に居るために。







つま先と踵でブレーキとアクセルを操り、中央分離帯で思いっきり車体を反転させた。
かなり乱雑な運転だったような気がするが、それどころではない。
ポカンとしている弥彦とその男を視界に捉え、逃がすまいとすぐさま路肩に横付けた。



「こ、小十郎様!?」

「あ……小十郎様……」


零れ落ちるのでは無いかという位に目を丸くした弥彦と、キョトンとしたままこちらを見ている男の姿。



「…苗字……と、田中か?」



よく見れば、弥彦の隣で自転車を押している男は、俺の部下でもあった奥州ホールディングスの社員、田中四郎で……。



『何故』よりも『まさか』が勝った。



まさか、弥彦が田中と。

有り得ないと思いながらも、腹の底から迫り上がる黒い感情は行き場を無くして蠢いている。
この良く見知った相手が弥彦に好意を抱いている事は随時前から分かっていた。



「こんな時間に、どうしたんだ?」



努めて冷静を装ってそう伝えるが、口から零れ落ちたのは想像以上に低い声。



「あ、あの…弥彦ちゃんの残業の手伝いを…」

「田中が? 苗字の手伝いを?」

「そうなんです。今日言われた月曜の重役会の資料を…」

「なぜその手伝いを田中がしてるんだ?」



エンジンを切ると、ガードレールに腰かけながら車を降りて腕を組む。
冷静を装うが、俺の臓腑は既に燃え滾る程の熱を湛えていた。

しかし、俺と弥彦の関係を知らない田中は普段通りの人の良さそうな表情のまま俺に状況を説明し始める。




「えっと…実は、俺が資料室の鍵を持って出ちゃってて…弥彦ちゃんがそのせいで残業になっちゃったので…」

「それで…田中さんが手伝って下さったので、何とか終電には…」

「……」



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