現パロ小十郎

□きっかけ
1ページ/1ページ



正午を知らせるチャイムが私達が働くフロアに響く

「弥彦ちゃん、今日も中庭のベンチでいい?」

「はい! 」

向かい側のデスクから同期の梅子さんがひょっこりと顔を覗かせて微笑むのに合わせて、私は大きく頷いた。

「私、売店で飲み物買ってから行くから、先に行って待ってて」

「分かりました。じゃあ、また下で」


新人研修が明け、このフロアでOLとして働き始めて約一ヶ月。
仲のいい同期も居て、仕事の内容にも段々と慣れてきた。


「本当に、いい会社に入れたなぁ」


残業も殆ど無いし、一人暮らしが出来る程度に余裕のあるお給料も貰える、アフターファイブには同期と買い物に行ったり飲みに行ったりすることだって出来る。
採用倍率が数十倍とも言われる大手企業の本社、奥州ホールディングスに務めることができたのは、本当に運が良いとしか言いようが無かった。

お弁当を持って、梅子さんとの待ち合わせ場所の中庭に向かう。
社員食堂やサロンも充実しているこの会社で、わざわざ中庭でお弁当を食べる人達も居ないのか、ここは殆ど私と梅子さん二人だけの特等席となっていた。


しかし、今日はそんな特等席に先客が居た。


「あれ…?」


ランチバッグを片手にベンチに近づくと、誰かがそこに座ってぐったりと項垂れているのが見える。


((…寝てるのかな…?))


普段こんな場所に人が居ることも殆ど無い為何となく気になってしまう。
もし寝ているのだとしたら申し訳無いけれど、でも万が一体調が悪いのであれば、医務室に連れて行く事も出来るかも知れない。

お節介だとは分かって居たが、そっとその人に近づくと、想像以上に背の高い男性である事がわかった。


((…わ…! 背高い! 脚も長いっ…!))


仕立ての良い鼠色のスーツに身を包んだその男性は、ピクリとも動かずに項垂れている。


((やっぱり寝てるのかも…、そっとしておいた方が良いよね…))


梅子さんとは別の場所でお昼を食べればいい、そう思って踵を返そうとした瞬間。


ーーぐぅぅぅ〜…


「!?」


突然聞こえてきたお腹の音にビクッと身体が跳ね上がる。
勿論、それは私のものでは無い。


「…え…あ…あの…」

「…う…」

恐る恐るベンチに座る男性に視線を向けると、その人は酷く重そうな声で小さく呻いた。


「も、もしかして…お腹空いてるんですか…?」


ぐったりと項垂れたその人に声を掛けると、ゆっくりと俯いていた顔が持ち上がる。
ふいにこちらに向けられたのは、左右で色の違う宝石のような瞳を嵌め込んだ彫刻のように綺麗な顔だった。


((わ…! 綺麗な人…))


こんなに綺麗な人が社内に居れば随分と噂になっていそうなものだけれど、生憎私には目の前の男性が誰なのかはまるで分からなかった。


「……。」


向けられた翡翠と瑠璃色の瞳にドギマギしつつ、私はもう一度問いかける。


「あの…お腹、空いてるんですか…?」

「……。」


しかし、その問いに答える前にすいっと綺麗な両目は私から逸らされてしまう。


((…あれ?))


きりりとした柳眉も訝しげに顰められており、こちらを大分警戒しているのだとすぐに分かった。


「あっ…ご、ごめんなさいっ…怪しい者では無いんですっ…私、苗字弥彦と申しますっ! この会社の新人で、先月から総務部三課に配属になりましたっ…!!」


慌てて胸元に下げていた社員証をその男性に見せ、怪しいものでは無いと示すように一歩下がって両手を上げて見せた。
しかし、男性の警戒は依然として解けないようで、怪訝そうにひそめられた眉と、他人を寄せ付けまいとする徒ならぬ空気がその身体から放たれている。


((…な、なんか…早く立ち去った方が良さそう…))


ここまで名乗ったものの、随分と居心地の悪い空気に思わず逃げ腰になってしまう。
しかし…


ーーぐぅぅぅ〜…


再び男性のお腹が鳴った。


「あ…あの…やっぱりお腹が空いてるんじゃ…」


そう問いかけると、警戒心剥き出しに放たれていた男性の雰囲気がふっと和らぎ、妙に決まり悪そうに視線が下がる。


「…放っておいてくれ…」

「で…でも…」

「…いいから、放って…」



ーーぐぅぅぅ〜…



男性の言葉を否定するかのように鳴り響くお腹の音。
かなりお腹が空いているのは明らかだった。

元々実家が小料理屋と言うことも有り、お腹を空かしている人を見ると放っておけない私は、思わず自分の作ったお弁当箱を開けてその人に差し出して居た。


「あ! あのっ…これ、良かったら召し上がって下さい! 」

「…は…?」


突然目の前に差し出されたお弁当箱を見て、その男性は驚いたように目を丸くして見せた。


((さ、流石に突然手作りのお弁当箱出されても困るよね…))


しかし、先ほどの大きなお腹の音を聞いてしまえば放ってなんて置けない。


「自分で食べようと思って作った物なので毒なんて入ってませんし、今朝作ったばかりなので傷んでもいませんので」


宜しければ…と、尻すぼみになりながらもそう言うと、その男性は暫し逡巡した後に、そっと手を伸ばして私の作ったお弁当箱から卵焼きを一つ摘んで口に放り込んだ。


「あ…」


ーー良かった。
と、心が暖かくなる。
警戒しつつもちゃんと食べて貰える事が嬉しくて、思わず頬が緩む。


「……!」


そして、もぐもぐと咀嚼していた男性が、驚いたように目を見開いた。


((あれ? どうかしたのかな?))


不思議に思いつつその男性を眺めていると、ごくんと喉を鳴らした後、再びぱくぱくと私のお弁当のおかずをつまみ始めた。


「あっ…! あのっ…割り箸ありますからっ…!!」


流石に私の使うお箸では申し訳無くて、予備に持ち歩いていた割り箸を渡す。


「…ああ」


すると、男性は静かに割り箸を受け取ると、そのまま私のお弁当を物凄い勢いで食べ始めたのだった。


((もしかして…気に入ってもらえた…?))


その余りの食いつきの良さにホッとし、持っていた水筒にお茶を注いで差し出すと、今度はそれもすんなりと受け取って貰える。

無言で私のお弁当を食べ続けるその姿が嬉しくて思わず
見入っていると、突然背後から焦ったような声が掛けられた


「政宗様っ…!! 探しましたよ!」

「…わっ!」


身構えて居なかった為突然の声に驚いて、またしても身体が跳ね上がる。


「相手先の料理人の作った物だと言っても、何も召し上がらずに帰るなんて…! すぐに食事を用意しますのでお戻り下さい」


慌てて声の方を振り向くと、お弁当を食べていた男性と同じ位手足の長い、上質なスーツ姿の男性がこちらに向かって歩いてくる所だった。


((…ま、政宗…様?! 様!?))


目の前に居る男性は、まさか「様」と呼ばれる程の偉い人だったのかとあんぐりと口を開けていると、長い脚でずんずんとこちらに向かってきた男性が、私の真横でピタリと足を止めた。


「…政宗様!? こ、これは一体…!」


驚愕といった表情でお弁当を食べるその姿を見る男性。


「…小十郎…」


政宗様と呼ばれた男性は、小十郎と呼ばれたその人に視線をくべた後に私の方をチラリと見やる。


((え…、え…?))


何がなんだか分からないままキョロキョロと政宗様と小十郎と呼ばれた男性を交互に見る。
すると、その小十郎様が私の方へ驚いたような視線を向けた。


「…まさか、政宗様が貴女の作った弁当を食べたと言う事ですか」

「…え…あ、はい…随分とお腹が空いていらっしゃったようなので…」


仕立ての良いスーツはパリッとしていて殆ど皺も無く、柔らかそうな髪は綺麗にセットされている。
この人も随分と偉い人なのかもしれない…とぼうっとその整った顔立ちを眺めていると、何かをじっと考えるように、小十郎様は私を見つめた。


「…あの政宗様が他人の作った料理を召し上がるなんて…」

「…え?」

ポツリと呟かれた言葉は良く聞き取れなかった。
しかし、聞き返す声も気にした様子は無く、小十郎様は胸ポケットからブランド物の長財布を取り出すと、その中から一枚お札を抜き取って私に差し出した。


「貴女の昼食が無くなってしまいましたね。申し訳無いが、これで何か買って食べなさい」

「へ…! えっ…!?」


長い指に挟まれて私に差し出されたそれはなんと、一万円札。
材料費の何十倍もの金額が目の前に差し出され、思わず声が上ずってしまう。


「そっ…! そんな、受け取れませんっ…! 材料費なんて500円も掛かっていませんし、お弁当なら手持ちのお金で十分買えますのでっ…!!」

「そうは行かない。受け取って置きなさい」

「いえっ…! ほ、本当に大丈夫ですのでっ…!! あのっ…! わ、私これで失礼しますっ!!」


お腹を空かせてぐったりしていた政宗様と呼ばれた男性にお弁当を食べさせたら、何故か別の男性から一万円札を差し出されると言う、異常事態に頭がパニックになってしまう。
そう言えば、政宗様と呼ばれた男性がこの会社の社員であるかも知らないのだ。


((もしかして、新手の詐欺か何かなんじゃ…!!))


などと、突拍子も無い事を考えながら慌てて立ち上がりその場を後にする。


((あ! お弁当箱…!))


お弁当箱を渡したままにしてしまった事を思い出すが、またあの男性達と関わる勇気は無い。

お弁当箱ならまた可愛い物を探せば良い、と自分に言い聞かせて梅子さんが居るであろう売店に急いだのだった。





ーー翌朝


「な…何これ…」


出勤後、血相を変えて駆け寄ってきた梅子さんに連れられて廊下の掲示板に向かった私は、予想だにしない出来事に口をあんぐりと開けていた。



ー辞令ー

以下の者は、本日を持って秘書室勤務を命ずる。

総務部三課 苗字弥彦


以上

✕✕年 ✕月 ✕日

奥州ホールディングス株式会社




「な…何が起こってるの…!?」


これから何が起こるのか、一体どうなってしまうのか。
その時の私はまだ何も知らなかった。

この一通の辞令が、私の運命を大きく変えてしまうなんて。






次の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ