現パロ小十郎
□Happy-Valentine
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ふらふらとオフィスに戻ると、いつの間にか人気は無くなり、私のデスクのPCだけがぼんやりと明りを灯していた。
「…皆帰ったんだ…」
時計を見れば既に19時を過ぎており、皆恋人や家族が待つ場所に帰ったのだと思うと、自分が酷く惨めに思えてしまう。
胸に抱いていたチョコレートの箱に目をやれば、落とした衝撃で角が潰れてしまっていた。
「これじゃ、どのみち…渡せないや」
自分のデスクが有る一画だけ電気を付けると、力なく椅子に寄り掛かる。
やりかけだったデータ入力を再開する気力も起きず、ぼんやりと手の中に有るチョコレートを見つめていた。
「…頑張ったのにな…」
そう呟いた途端、ツンと鼻の奥が痛くなる。
心を込めて作ったチョコレートは、想い人に届く前にその役目を終えてしまった。
足元に有るゴミ箱に捨ててしまおうかとも思ったけれど、食べ物を捨てる事もそれと同じ位に考えられなくて、椅子の上で膝を抱えて顔を埋める。
「…なんか。馬鹿みたい」
初めてのバレンタインだからと、数日前から張り切っていた自分が恥ずかしくて仕方がない。
当日までチョコレートを作ることを内緒にしていた事も、喜ぶ顔を想像しては一人で浮かれていた事も、客観的に自分を思い返せば思い返す程、酷く滑稽だった。
小十郎様にとってはバレンタインなんて下らない行事で、ただやり過ごすだけの苦痛な日でしか無いのだと、まさかこんな形で知る事になるなんて。
「もっと早く知りたかったな…」
そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。
女性に囲まれている小十郎様を見てやきもきしたり
自分の作ったチョコレートに劣等感を抱いたり
渡しに行く直前に自分が小十郎様にとって特別では無いのだと思い知らされずに済んだのに。
今日一日だけでこんなに気持ちが浮き沈みする事になるなら、チョコレートなんて作らなければ良かった。
『苗字だけが特別な理由なんて無い』
扉越しに聞こえた小十郎様の冷たくて硬い声が頭の奥で何度も繰り返される。
ただただ遣る瀬無くて、虚しくて、膝の上に置いた額をグリグリと其処に押し付けた。
膝に額を付けたまま目を開ければ、胸に抱えたままの小箱が目に入った。
小十郎様用に作ったチョコレート。
しかし、今のそれは行き場も本来の意味合いも無くしたただのチョコレートだ。
何気なく、箱に斜めに渡したリボンを指先で解く。
胸にぽっかりと穴が空いたまま中身を取り出すと、ふわりとワインの香りが鼻腔をくすぐった。
そのまま生チョコを摘んで口に放り込む。
するとすぐに、芳醇なワインの香りが口いっぱいに広がった。
「…あ…美味しい…」
小十郎様の為に甘さを控えめにして作った大人の味のチョコレートは、ちゃんと美味しくて、作った時の弾むような気持ちが蘇り、余計に胸が引き絞られてしまう。
薄暗いオフィスで一人膝を抱えたまま、1つ、2つとチョコを口に含む。
好きな人の為に作った物を自分で食べるなんて、なんと惨めな事だろう。
そんな私の胸の内とは関係無く、ワインの風味が薫るチョコレートは舌の上で柔らかく溶けていった。
俯いたまま、3つ目のチョコに手を掛けようとした時だった。
ふいに人の気配がし、ハッとした瞬間に大きな手が私の顎を掬い上げた。
「えっ…!」
驚いて目を見開くと、鼻先が触れそうな程近くに小十郎様の焦った顔があった。
「…そのチョコレート、俺の? 」
戸惑ったように揺れる翡翠色の瞳が、ラッピングも解いて中身だけのチョコレートの箱を抱えた私を見つめている。
「……もう、食べちゃいました…」
呆気に取られたまま、そう言うと小十郎様が困ったように眉尻を下げた。
そして、そっと大きな手で目尻を撫でられ、そこで初めて自分が涙を流して居たことに気が付く。
「…ごめん」
囁くような声が聞こえた途端、顎に添えられていた手に力が入り、そのまま唇が重ねられた。
「んっ…!?」
突然の出来事に驚き目を丸くしていると、ゆっくりと唇の内側を柔らかな舌がなぞって行く。
「っ…ぁ…」
ピクンッと身体が跳ねた。
舌の上の甘さを探るように小十郎様のそれがゆるゆると私の口内を擽る。
深くなっていきそうな程に濃厚な口付けに身体を緊張させるものの、そのまま唇はすぐに離れていった。
「…美味しいよ」
ちゅっ…と音を立てた後、唇が触れ合う程の距離でそう囁かれ、カッと身体中が熱くなる。
「っ…!! さっきは…要らないってっ…!」
「…ああ。やっぱりあそこに居たのは弥彦だったんだな」
「…あ…。」
思わず声を上げたものの、盗み聞きしていた事に気付かれて居たのだと分かり、後ろめたさからグッと言葉を飲み込んだ。
「…まさか聞かれてるとは思わなかったんだ。悪かったよ」
「…いえ…私が勝手に作っただけなので…」
頬を両手で挟まれて顔を背ける事も出来ず、ただそのまま視線だけを下げた。
単純な事に小十郎様がこうして来てくれた事で、先程までの重苦しくて切ない気持ちが嘘のように浮上している自分が居る。
「…あれだけ沢山の方から受け取っていれば、私がチョコを渡すのが迷惑な事くらい、少し考えれば分かったんです」
でも、それが何だか悔しくて、ほんの少しの嫉妬と皮肉を込めてそう言伝えれば、小十郎様は苦笑を湛えて私の頭を一つ撫でてくれた。
「…迷惑なんかじゃないよ。」
その言葉には答えず、恨めしげな視線を小十郎様に返す。
「…ただ、みっともなく嫉妬したんだ」
「え…」
思いがけない小十郎様の言葉に目を丸くする。
嫉妬されるような事など何かあっただろうかと考えて居ると、途端に小十郎様が決まり悪げに唇を尖らせた。
「俺以外の男にまで渡したんだろう。チョコレート」
その言葉に、目を瞬かせる。
もしかして、政宗様や田中さんに渡した義理チョコの事だろうか。
「あれは…だって…」
「…義理でも許さないよ。俺は心が狭いんだ」
慌てて弁解しようとすると、小十郎様の声がそれを遮った。
「…え…」
「だから、お仕置き。」
「おし…っ……!?」
「俺だけの特別が欲しい」
そう言って小十郎様は、この手に抱えたままだった生チョコを一粒掴んで、私の唇に押し込んだ。
「食べさせて」
「っ…!」
椅子の肘掛に両手をついた小十郎様が甘えるように顔を近づけてくる。
それは、つまり…
「口移しで」
頭の中で何かが破裂する音がしたのはきっと気の所為では無いだろう。
「だっ…駄目ですよっ…ここ…会社…」
「…構わない。もう誰も居ないから」
擽るように顎を持ち上げられ、いつの間にか熱情の灯った瞳と視線が絡む。
「早く」
まるで溶けてしまいそうな程の低くて艶のある声で囁かれれば、それを拒む事も出来なくて
おずおずとその形の良い唇に唇を寄せ、舌に乗ったままのそれを差し出した。
「んっ…」
体温で溶けたチョコレートを小十郎様の舌が舐めとっていく。
掠めるように触れ合う舌先が恥ずかしくて、でも気持ちよくて段々と頭の奥がふわふわとしてきてしまう。
「ん…甘いな…」
舐め取られたチョコレートを更に追うように小十郎様の唇が深く重なり、互いの甘さを探るように求め合う。
誰も居ない薄暗いオフィスに、濡れた音だけが静かに響いている。
1つ溶ければまた1つ、小十郎様の指先が私の唇にチョコを押し込んでは、飽きる事なく口付け合う。
ワインのアルコールなんて、調理の過程で飛んでいる筈なのに、まるで何杯ものお酒を飲んだかのように身体が熱くて仕方がなかった。
「弥彦、今夜は俺の部屋においで」
チョコレートよりも甘くて、ワインよりも更に酔わされる。
そんなバレンタインの夜が始まった。
終わり
勿論今夜はチョコレートプレイ★