現パロ小十郎

□Happy-Valentine
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定時を過ぎ、オフィス内は帰宅する人々が次々と席を立っていく。

午前中の怒涛のチョコレート騒ぎは昼休みを境に収束したようで、午後からは普段通りに粛々と仕事を進める雰囲気に戻っていた。

しかし、私はと言えば午前中に見た衝撃的な光景の後ではまるで仕事に身が入らず、結局定時までに終わらせる予定だったデータ入力も捗らないまま残業へ足を踏み入れる事になってしまった。

「…はあ…」

早く終わらせなければと思うものの、自分のデスクのパソコンに必要事項を入力しながら何度も溜息が口をつく。

「…はぁ〜…」

仕事も出来て、ルックスも良い。
それなのに人柄も申し分無くて、立ち振る舞いもどこまでもスマートで。
そんな雲の上のような人を好きになってしまった自覚は勿論あった。

「…でも…あれを直接見ちゃうと…」

自分の引き出しの中に、ぽつんと一つだけ入っている小さな箱に思考を移す。

日曜日に作った手作りのチョコレート。

政宗様やフロアの皆さんに配るトリュフチョコの他に、小十郎様にだけ特別にワインを効かせた生チョコを用意していた。
想いが通じ合って初めてのバレンタインなのだから、と張り切って作ってみたのだ。

しかし、どんなに張り切って作ったとしても、結局は完全なホームメイド。
その上、ラッピングだってオリジナル。特別豪華な包装紙な訳でも無く、シンプルな包装紙とシンプルなリボンで包んであるだけだ。

先程見た女性達が抱えていた煌びやかな宝石箱のような贈り物を見てしまった後では、何とも貧相でお粗末で恥ずかしい位の代物で悲しくなって来る。

結局、政宗様にチョコレートを渡した時のように揚々とした気持ちで小十郎様の元に行くことは叶わず、こうして定時を過ぎても私のデスクには本命のチョコレートが眠ったままだった。


「…渡さない…なんて無しだよね…。なんなら今から買ってくるとか…」


今すぐに上がれば近くのデパートに見目の良いチョコレートを買いに行けるかも知れない。
そんな考えが頭を過ぎるが、オフィスの皆さんや政宗様にまで手作りのチョコレートを差し上げて置いて小十郎様に既製品をプレゼントするなんて出来るはずも無かった。

「…きっと…小十郎様なら受け取ってくれるよね」

どんなに沢山の女性社員からチョコレートを受け取っていたとしても優しい小十郎様なら、私の作ったチョコレートだってちゃんと受け取ってくれるに違いない。
ザビちゃんだって「小十郎様は断らない」と言っていたのだ。

「よしっ…」

拳を握り小さく気合を入れ直す。


「小十郎様…今どこに居るんだろう」

今日は朝から女性社員に追い回されて、息をつく暇は無さそうだと思っていたけれど
それどころかオフィスで見かける事すら殆ど出来なかった。
先程も営業部とのミーティングから帰ってきてすぐにまた何処かへ姿を消してしまったのだ。

「煙草でも吸いに行ったのかな」

そういえば、考えが行き詰まったり疲れたりした時に煙草を吸っていたのを思い出す。
もしかしたら、いつもの場所かもしれないと思い立ち、私も引き出しの中のそれを持って席を立った。



喫煙所は別に有るものの、内緒の喫煙所として小十郎様が非常階段の踊り場を利用している事は知っていた。

関係を秘密にしているとは言え、ほんの少しだけなら問題は無いだろうと、急ぎ足で非常階段に向かう。

しかし、大きく分厚い鉄の扉を押して開けようとした時、その向こうから話し声が聞こえてきてハッと扉から手を離した。


「小十郎様、今年も凄かったですね〜」

「田中、…からかうな。あれは政宗様宛の分も入っている」

「いやぁ〜。でも八割…いや九割は小十郎様宛じゃないですか」

盗み聞きをするつもりは無かったが、聞こえてきた声が聞き慣れた小十郎様と田中さんのもので思わずその場で立ちどまる。

((…どうしよう…田中さんなら平気かな…))

いつもお世話になっている田中さんにも、皆さんに配ったトリュフチョコを渡していた。
それならば、私が小十郎様に同じようにチョコレートを渡す事だって不自然では無い筈だ。

中身を見れば小十郎様のチョコレートが他の人とは違うものだと言う事はわかるのだから、この際何食わぬ顔で渡してしまえばいいのかも知れない。

意を決してここまで来たのだから、こうなったら勢いだ、と再び非常階段の扉に手を掛けた時だった。


「俺は毎年ゼロ個なんですけど、今年はなんと弥彦ちゃんから一個貰ったんですよ! もうそれだけで幸せです」

「…苗字からか?」

突然、扉の向こう側から聞こえてきた自分の名前にハッとして再び身体が硬直した。

「小十郎様も貰いましたか? 弥彦ちゃんって何作ってもすっげー美味いんすよね」

田中さんの悪気の無い言葉に、思わず冷や汗が流れる。
他の人には渡して置いて他ならぬ小十郎様にはまだチョコレートを渡していないのだ。

小十郎様に要らぬ誤解をさせてしまうのでは…と焦りがお腹の底から沸き起こって来る。

「いや、俺は貰っていないが」

「…え! あ、そうなんすか!? いや、小十郎様忙しいから渡すタイミング無かったんですかね」

小十郎様の返答に、田中さんもギクリとしたのか一瞬声が上ずった。
そして、その田中さんと同じ位私も扉の前で焦っていた。

今ここで出ていくべきか、それとも聞かなかった事にして後から改めて渡すべきか。

扉を挟んだ田中さんと私はきっと同じような表情をしているのだろうと思うと滑稽だったが、今は正直そんな事を考える余裕も無く、頭の中を焦りばかりが支配していた。


「き、きっと、今頃弥彦ちゃんも小十郎様の事探してるんじゃないですか? あは、あはは」

「何、気を使ってるんだお前は。 俺が一社員から貰うチョコレートに一喜一憂すると思ってるのか」


必死に取り繕おうとする田中さんの言葉に、小十郎様の冷やかな声が被せられた。


「そ、それもそうですよね。 流石にあんなに女の子からチョコレート貰ってたらそんな…」

「…そもそも、商業目的で仕組まれたイベントに踊らされる事自体が愚かだとしか思えない」


田中さんの言葉に小十郎様の言葉がスパンッと切り捨てるように被せられた。
その声の冷たさに私の背中を冷たい物が流れ落ちていく。


「…そんな事にかまけている暇があるなら、仕事の一つでも覚えた方がよっぽど生産的だろう」

「…さ、流石小十郎様ですね」

「女性嫌いの政宗様から遠ざける為に、仕方なく全て受け取っては居るが、正直何を貰っても迷惑なだけだからな」


小十郎様が小さく嘆息したのが分かった。

私が扉を一枚挟んだこちら側に居るとは知らない小十郎様と田中さんの会話は止まることを知らず
その会話が進む度に、冷たい針が胸を突き刺していくような心地になっていく。


「えっ! じゃあ、弥彦ちゃんからのチョコもですか?」


何気なく質問した田中さんの言葉に私の背筋に緊張が走った。


「……。 苗字だけが特別な理由は無いだろう」


一瞬考えた後言い捨てられた小十郎様の言葉に頭が真っ白になる。

思わず手から持っていた小箱が滑り落ちてカタンと音を立てた。


「あっ…」


慌てて小箱を拾い上げると 、慌ててその場から走り去ったのだった。


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