現パロ小十郎
□会社がピンチA
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『もし許して貰えるなら、また弁当を作って貰えないか』
あの日から、再び小十郎様のお弁当を作る事になった私は朝から社長室横のキッチンでお弁当作りに勤しんで居た。
「相変わらず忙しいけど、少し余裕が出てきたみたいで良かったな」
まだ誰も出社していない時間に、1人で政宗様と小十郎様の朝食とお昼のお弁当を作るようになって1週間。
朝は早くて大変だけど、会社が大変な時に、私に出来る事と言えばこれ位しか無いのだから、精一杯勤めようと思っている。
((…それに…ちょっと、楽しみもあるし…))
朝食に出す予定のかき玉汁の味付けをしながら、思わず緩む口元を左手で抑える。
その時、キッチンの戸がノックされ控えめに扉が開いた。
「あ、おはようございます」
「ああ、おはよう」
扉から入ってきたのは今しがた思い描いていた人物。
今日もパリッと皺のないスーツを着こなして、優しい笑みを浮かべた小十郎様だった。
「今日もいい匂いだな」
「朝食の準備、もう出来ますので」
「ああ」
長い脚を伸ばして私の横まで数歩で歩いて来た小十郎様は、そのままシンクに手を突いてどことなく嬉しそうにお玉を持った私を見下ろした。
「俺の仕事は?」
含みを持った、いたずらっ子のような笑顔で首を傾げながらそう聞いてくる小十郎様がなんだか可愛くて思わずクスクスと笑みが零れてしまう。
「味見は小十郎様のお仕事になったんですね」
「うん。結構役に立ててると思うよ」
「ふふ、そうですね」
そう、私のちょっとした楽しみと言うのは、この毎朝の小十郎様との何気無いやり取りだった。
小十郎様から正式にお弁当作りを依頼された次の日、会社でも政宗様の分の食事やお弁当を作るのだからと、二人分の食事を会社のキッチンで作らせて貰えるようにお願いをした。
その方が効率がいいし、オカズに偏りも出ないし、何よりアパートの狭くて小さいキッチンよりも会社の立派なキッチンの方が何倍も使い勝手が良いのだ。
そして会社のキッチンで食事とお弁当を作るようになったその日からほぼ毎朝小十郎様はこうして食事の準備をしている私の元にやってきては、味見や配膳の手伝いをしてくれるようになったのだった。
「はい、今日はきのこのかき玉汁です」
お玉で小鉢にかき玉汁を少し載せると、小十郎様に差し出す。
出し汁の香りがふわりと舞った。
「ん。美味しそうだな」
「しめじと舞茸とえのきが入ってるので、とっても美味しいですよ」
小十郎様は小鉢を受け取り、こくりとそれを飲み、すぐに嬉しそうな笑みをこちらに向けた。
「うん。美味い」
「塩加減などは如何ですか?」
「ちょうど良いと思うよ」
お願いしても結局いつも「美味しい」としか言わない小十郎様の味見係だけど、朝から私の料理で笑顔を見せてくれるこの瞬間がとても嬉しくて、擽ったくて、幸せだった。
始めは雲の上の存在でしか無かった筈の小十郎様。
しかし、私の作る料理を介して少しずつ少しずつその存在が身近に感じる事が多くなってきていた。
((…何だか不思議…))
味見した小鉢を私に返しながら、小十郎様が目元を緩ませた。
「苗字の料理を一番に食べられるのは、味見係の特権だな」
「っ…」
何気なく放たれた小十郎様のその言葉に、無防備だった心臓がドキンッと跳ねた。
((…ず…ずるい…))
仕事中には絶対に見せない柔らかな笑みと、少しだけ砕けた口調。
その上、無意識に相手をドキッとさせる仕草やセリフがポンポン出てくるのだから、小十郎様は所謂「無自覚女たらし」と言うものなのかもしれない。
((…本人は何のつもりも無いんだろうな…))
小十郎様の恋愛遍歴が華々しいと言う噂は、入社当初から社員の間では語り草だった。
どこぞの有名企業のご令嬢から、敏腕女社長や誰もが知ってる国民的美人女優まで、とにかく幅広い美女と浮名を流しているらしかった。
一緒に仕事をするようになって、完璧なスタイルや仕事の出来だけでなく不意に見せる甘い雰囲気を側で感じれば、その噂の信憑性が高い事を認めざるを得なかった。
((…そんな人が、一回りも離れた新入社員を相手にする筈無いよね))
ドキドキと未だ煩く鳴っている心臓を抑えながら、小十郎様に気付かれないように息を吐く。
「ああ、そうだ。苗字に頼みたい事が有るんだ」
「…あ、はい。何でしょうか」
狼狽えた私の様子に気付いた風もなく、小十郎様が話題を切り替えた。
その瞬間に、今まで柔和だった小十郎様の表情が引き締まり、思わず私の背もしゃんと伸びる。
「来週、重要なお客様がいらっしゃる。その方を持て成す為のお茶菓子を作ってくれないか」
「え…私がお作りして良いんですか?」
重要なお客様がいらっしゃるなら、私のような一社員が作るようなお菓子よりも、デパートや百貨店で高級なお菓子を用意した方が良いのでは無いだろうか。
目を丸くしてを見上げていると、小十郎様は口元に淡く笑みを浮かべて一つ頷く。
「ああ。お前が作ったお菓子が良いんだ。とても人の心の機微に敏感な方だから、小手先だけの高級品じゃ意味が無いんだ」
「そ…そんな…舌の肥えた方なんですか…?」
小十郎様の言葉に思わず不安になるものの、そんな難しいお客様の為のお菓子を私に依頼して下さる信頼が何処か嬉しくもあった。
「ああ。だから苗字に心のこもった持て成しをして欲しいんだ。お前の料理は誰よりも信頼出来るから」
ポンと小十郎様の手が私の頭に置かれた。
その手の暖かさにまた胸がドキンと鳴るのを、気付かない振りをして私は精一杯頷いたのだった。
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