ガコン、と落ちて来たお茶を取り出して踵を返したところで、私は初めて彼に会った。 「うわ、だるー」 気の抜けたその声の主はカクンと落ちるように膝を曲げ、地面に散らばった小銭をゆっくりと拾い出す。足元に転がって来ていたそれを拾い差し出すと、見上げてきた眼鏡の奥に見えるツリ目がちのそれが柔らかく弧を描いた。 「おおきに」 ゾクリと背筋が凍る感覚に無意識に眉根を寄せてしまう。拾った100円玉を出された掌に乗せ、早く退散しようと足を一歩踏み出したところで後ろから声をかけられた。 「******ちゃん、やろ?」 女の勘か、野生の勘か、この人とはあまり関わってはいけないと頭の片隅で小さく警鐘が鳴り響く。人違いだと思わせるためにそのまま歩みを進めようとすれば、頭の上に乗ってきた大きな手によってぐりんと無理矢理 振り向かされてしまった。 「青峰の女」 大輝の知り合いなのかと溜息を吐きそうになるも、同学年で見たことが無いから先輩だと気付かされる。先輩の目の前で盛大な溜息はさすがに失礼過ぎるだろうと飲み込むと、彼はケラケラ笑って私の頭を撫でた。 「なんや、桃井が言うてたのとちゃうやん」 予想外の百面相や、と独特なイントネーションで関西が出身なのだろうと分析が出来た。いや、分析なんて大それたことはしていないのだけれど。こんなの誰でもわかるか。 さつきちゃんの名前も出てきたからバスケ部の人なのだろう。やっぱり一度は練習か試合を観に行っておくべきだったかもしれない。もう半年以上も大輝の恋人をやっているのに、彼が所属している部活の人間はさつきちゃんしか 私は知らない。それと、原澤先生。 「すみません、どちら様で、」 「ああ、べつに知らんでもええねん」 ポンポンと頭にある手でそこを軽2回叩かれると同時に、彼は片手に持っていたビニール袋を突き出し私の視線を捕えた。 「昼メシ、一緒に食べへん?」 またも背筋が凍る感覚を覚えて無言で踵を返したが、頭に置かれていた手に肩を掴まれてしまいそれから動くことは出来なかった。とりあえずどうして初対面の私と昼食を摂るのか問えば、大輝のことでお願いがあると言うものだから断るにも断れなくなってしまった。 ::: 「はーいオニギリやでー」 「……ありがとうございます」 警戒心はそのままに手渡されるオニギリを両手で包み、ジッと見ていると「毒なんて入れてへんよ」と心を読まれたような声に目を見開いてしまう。中庭のベンチに腰掛けた私達以外には誰もいなくて、生暖かい風がぶわりと髪を持ち上げる音さえ研ぎ澄ました神経は聞き取ろうとしているようだ。 「いただきます」 物凄く警戒しながらもせっかく頂いたのだから食べることにする。なんてったってお腹が空いているんだもの。学食で食べるか購買へ行こうか迷っていたところだったが、気分は確かにパンではなくお米だった。 「あ、昆布」 「昆布て書いてあったやろ」 「見てなかったです」 「嫌いなもん無いのはエライ」 「ありがとうございます」 一口かぶりつけば確かに毒は盛られていなくて、すんなりと喉を通ったゴハンは空腹には最高のご馳走だった。いつの間にか警戒心も解いてしまい勝手に頬が緩んでしまう。私に合わせてくれているのか、彼もゆっくりと手にしているオニギリを頬張っているようだった。 いつの間にかオニギリに夢中になってしまいあっという間にちいさくなったそれを口の中へ放り込み、先程買ったお茶で喉を潤していれば自販機の前での会話を思い出した。 「あの、大輝のことでお願いって?」 問えば彼はニヤリと口端を吊り上げ、またも私の背に鳥肌が立つ。反射的に少しだけ身体を離して彼が話すことに耳を傾けた。 「これから毎週末練習試合組まれとんのやけど実力的にどこよりウチが強いねん」 「……え、ご不満なんですか?」 「ちゃうちゃう、ちょっとでもやりがいあらへんとアイツ本気出さへんから……試合観に来てくれへん?」 彼が言っている"アイツ"というのは大輝のことだとすぐにわかった。以前さつきちゃんも同じようなことを言っていたからだ。 だけど、私が顔を出したところで、だ。2人の話を聞いていると大輝はやりがいがある相手と戦いたいように聞こえる。彼がどれだけ強いのかも知らないが、先輩にここまで言わせるのだ、私が想像しているより遥かに上級プレーヤーなのだろう。 観に行きたいのはやまやまだが、問題なのは。 「………え〜」 「え〜〜〜て」 「起きれたら行きます」 そうだ、問題は起きられるかだ。正直なこと言うと週末くらいゆっくり寝かせてくれというのが本音で、頑張って起きようとしたことが無い。何度さつきちゃんから電話を貰ったかわからないし、一応電話に出てもその度に"ごめんなさい"と言って二度寝を決め込んでいる。だから本当に、起きることが出来たら、大輝が活躍しているところを目に焼き付けるつもりだ。 「……現代っ子やな」 「まあ確かに先輩よりは若いですよね」 「マネージャーやらへん?」 「……今の話の流れからどうしてそうなるんですか?」 おもろそうやし、それに…、と何かを言いかけた先輩の声をかき消すように、校舎の方から怒声が響いた。 「あ、大輝」 「見つかってしもた」 1階の窓から飛び出した大輝は見たことないスピードで走って来たかと思えば、私の腕を掴んですぐに踵を返してしまう。振り返りながら先輩に「マネージャーは出来ません」と伝えると、表情に影が落ちたのが見えた。 「おにぎりありがとうございました」 「ええよー」 そういえばオニギリを貰ったんだと思い出して、1度は試合観戦に行かなければならないと考えてしまった。 もしかして、そのつもりで、オニギリを。 (何でおめーが今吉サンとメシ食ってんだ) (今吉さんっていうんだ) (……おまえ名前も知らねーのに、) END ━━━━━━━ 1万打記念リクエスト/大地様 (プリーズ ブラウザバック) |