「っ、痛って!」 「起きて、朝」 頭に鈍い痛みを覚えて目を開ければ軽快にカーテンを開ける***の姿を捉えた。真っ向から陽射しを受けて目を細め、毛布を頭から被ればその上からボフンッと今度は腹に痛みを感じる。渋々顔を出せば、片足を俺の腹の上へ乗せて両手を腰に当てている***が眉根を寄せて睨んでいた。 「あーさっ」 「わぁーたって」 青いエプロンをした彼女はぶつぶつ言いながら足を下ろす。見計らって腕を引けば、細い身体は難なく俺の胸へ倒れ込んできた。さっきよりも強めに睨んでくるも離れようとはしない。引っ張り上げた毛布の中に彼女を入れると、甘えるように胸へ顔を擦り寄らせてくる。そんなことをされれば朝から我慢が出来なくなるのだが。 「お前さ、もっと可愛らしく起こすとか出来ねーの?」 「可愛らしくって?」 「おはようのチューとか」 「……本気で言ってる?」 高校時代から付き合っている***とは結婚して二年。彼女の姉の旦那があの腹黒メガネってこと以外は幸せ過ぎて夢でも見ているのかと思ってしまうほど毎日が充実している。捻くれていた高一の時には俺が強く出れないのをわかっていて無理やり練習だの試合だのに連れて行かれたが、その名残なのか彼女はすぐに手や足を出す。変わったといえばその力が若干弱まったことぐらいだ。相変わらず姉を溺愛している。 「早く起きて。今日お姉ちゃん達とお昼一緒なんだから」 ちゅ、と額に軽く口付けられれば言うことを聞かないわけにいかない。扱いが上手くなった、昔は俺の方が彼女を振り回していたというのに。 二ヶ月に一度開かれる義姉夫婦との昼食会は今日だったか。昨晩それらしいことを言っていた気がするが飲んで帰って来たために記憶は定かではない。未だアルコールが抜けきっていない頭を起こせば、彼女は「おはよう」と優しく微笑んだ。 ::: 「お待ちしておりました」と丁寧に頭を下げるウエイターは"今吉"の名前で案内をする。隣を歩く***が少しだけ俺に顔を寄せて「このお店初めて」と小声で耳打ちしてくる姿は同じく緊張している様子だった。 先にテーブルへついている二人は穏やかな笑顔で迎えてくれた。反面俺の顔が歪むのは毎度のことで、その度に彼女の姉にクスクスと笑われるところ***から脇腹を小突かれる。軽く頭を下げてから引かれた椅子へ腰掛け、ドリンクのオーダーを聞き終えたウエイターはまた丁寧に頭を下げてから離れた。 「ねぇ、お姉ちゃんどうしたの?ここいつもより高そう」 少しだけ前のめりになり姉に向かってそう言った***は、「ね」と俺にも視線を投げる。確かにいつもは入り辛い小洒落たイタ飯屋やらカフェなんかで、他の客が昼間からワインを傾けているこんなお店ではない。前に座る高校時代の先輩はいつもにも増して何を考えているのかわからない表情をしているし、若干上がった口端に溜息を吐きそうになるのを堪えるので精一杯だった。 「青峰、ワシの顔になんか付いとるか?」 「いや、べつに何も。それよりマジでなんだ?こんな店俺らには場違いだろ」 「オマエにはな」 「てんめェ、」 「ちょっと大輝」 苛立ってきたところで***からの制止の声が入り、「相変わらず***には弱いな」なんてケラケラ笑う今吉さんを睨みつける。隣ではまたも義姉さんが静かに笑っていて、少しだけ落ち着いたところで目の前の二人は視線を合わせていた。 「***たちにね、今日は報告があるの」 優しく細められた目は***によく似ている。隣では彼女が緊張した面持ちで話を待っていて、それにつられて俺も居住まいを正した。奮発した理由は二つ、とゆっくりと話始めた義姉さんの声は、***と同じものだ。 「ひとつめは翔一の昇格」 「わ、今吉さんおめでとうございます」 「おおきに」 「それとふたつめは、」 静かに息を吐いた義姉さんに***は心配な表情を向けるが、それへの返しは幸せそうな笑顔だった。 「家族が増えるの」 目を見開いた彼女はどうやら硬直してしまったらしい。だけど何か言いたげに口を震わせている姿は俺がプロポーズしたとき以来のものだった。笑顔を向け合う義姉夫婦に、俺は素直な疑問を投げ掛けた。 「犬でも飼うのか?」 途端に吹き出した今吉さんは「ああ、それもええな」なんて言っている傍ら、テーブルの下では***がキュッと俺の手を握る。顔を向ければ彼女までも笑っていたが、その表情は嬉しそうな悲しそうな、そんな複雑なものだった。 「違うの大輝くん、お腹にね、赤ちゃんがいるの」 弧を描いた口が上品に開き、紡がれた言葉が俺の脳に焼き付く。***の声と同じだからか、彼女がそうなってしまったような感覚だった。 「おめでとう、お姉ちゃん」 「なんや、***なら飛び跳ねて喜ぶ思ててんけど」 「飛び跳ねたいですよもちろん。でもここじゃさすがに」 そう言う***は微笑んでいるものの、微かに目が潤んでいるように見える。嬉しいから、そうも思えるが、俺にはどことなく寂しげに見えた。 ::: 「良かったな」 帰りの車の中で一度も口を開かなかった***に、帰宅してすぐに俺から声をかけた。疲れているだけかとも思ったが、いつもなら笑顔で姉の話をする彼女が今日は黙りこくったままだったからだ。リビングのソファへ二人で腰掛ければ、沈んだそれが勝手に肩と肩を寄せてくれる。 「うん、私も嬉しい」 「……そうは見えねえぞ」 そう言うと彼女は驚いたような表情で見上げてきては、すぐに自嘲の笑みを浮かべた。 「嬉しいに決まってるじゃん。家族が増えるんだし……お姉ちゃん、すっごく幸せそうな顔してた」 「だったらもっと嬉しそうな顔しろよ」 「っ、……してるよ」 「してねーよ」 「してる!」 シンとなったリビングには時計の針の音がやけに響いて、睨むように俺を見る***の肩は震えているようだ。ムキになるのも珍しい、彼女は何事にも冷静で、どちらかというと聞き流すタイプの人間だというのに。 「笑えてねーよ」 途端に目を大きくした***はすぐに俯いてしまい、それからの表情は窺えなかった。だけど小さな声がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。きゅうっと俺の服の裾を握り、傾いた頭が肩に乗せられた。 「ちょっとだけ……またお姉ちゃんが離れた気がしただけ」 その声音は、彼女の姉と今吉さんが付き合い始めた、あの日の夜のそれとよく似ていた。ただ元気付けたくて、結婚をほのめかすような発言をしたのも覚えている。クリスマスの直前、高一のウインターカップを目前に控えた寒い冬の夜の公園。 "いまさっき今吉さんの彼女になった" そう言った彼女も、安心したような、だけどどこか寂しそうな表情をしていて。笑顔が少ない彼女を、どうしても笑わせたくて必死だった俺から出たのは「ずっと一緒にいる」なんてありきたりな言葉だけだった。それでも笑ってくれたのが嬉しくて、この笑顔をずっと守りたいと思ったのも事実で。 「お前はホントに昔っから姉ちゃん姉ちゃんだな」 肩にある頭を撫でてやれば、きょとんとした表情で見上げてくる。 「俺がいんだろ」 自分でもクサイ科白だと思う。だけどこれくらいバカげた言葉を投げれば、彼女はほら、すぐに。 「ん、そうだね」 たまに見せるその笑顔が好きなんだ。 その笑顔を守りたいんだ。 これからずっと死ぬまで一緒にいるから、俺がその笑顔を守るから。 隣にずっと居てくれよ。 END ━━━━━━━ 1万打記念リクエスト/なちゅ様 (プリーズ ブラウザバック) |