弱虫pdl

□【過去編】手嶋
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注意!:申し訳ありません。捏造を含みます。



どんなに頑張っても結果が出せないとなれば、それは自分に向いていないとしか思えない。好きだから今までやってきたけれど、そろそろ諦め時だと思う。

高校生になるんだ。

ペダルを回すのはもうやめて、もっと自分に向いているものを見つけよう。新しい趣味を探すのもいいかもしれない。彼女を作って勉強もそこそこ頑張って、学校のイベントで目立つのもありだろう。



3日前に中学を卒業して、新たな門出のために部屋を整理していて気がついた。スカウティングのためのロードレースのDVDや雑誌が山のように出てきて、こんなに見てきたのに一度も結果を残せなかったのかと嘲笑してしまう。両親には金銭面でかなり迷惑をかけたとも思うけれど、このままダラダラと続けてさらに無駄な出費をさせるわけにはいかない。

俺は自転車を降りるんだ。

もう見たくもなくなってしまったそれらをダンボールに詰め、いずれ処分してしまおうと部屋の隅に追いやった。片付いた部屋を見渡せばこんなに広かったのかとまたも自分を嘲笑ってしまう。洗濯したばかりのシーツを纏ったベッドへダイブし、おかしな開放感を得たまま目を閉じれば、瞼の裏には流れる景色がはっきりと浮かんだ。それは確かにロードに乗っている時の目に映る風景で、じわりと胸に痛みを感じてしまう。

心残りが無いと言えば嘘になる。

だけど俺には結果が出せない。

目を開けると窓から入る朱い光が嫌に眩しくて、徐々に影が落ちるそれにつられるように、俺もまた目を閉じた。





:::





「1番の"イチ"だ」


青八木との出会いは、俺にとってとてつもなく大きなものだった。

それと、もう1人。



高校では何をしようか、凡人である自分が得意としていることなんて特別あるわけでもないから、楽しめることなら何だって良いと考えながら正門を過ぎたところで、青八木を見つけた。ロードに乗っていたことで親近感が湧いた、というより、どこか似ているような気がしてならなかったんだ。話しかけても返事は中々返ってこなかったけれど、名乗ってくれたから早速嫌われているわけではないらしい。口数が少ない男と並んで校舎へ向かう中、その場に俺だけの声が残されていく。だけど割り込むように、とても澄んだ、大きな声に2人して反応し、咄嗟に振り返った。


「巻島!タイム悲惨!」


遠くに見える人影はひとつだけで、シルエットで性別がわかるくらいだ。高い位置で結った黒髪が揺れているのがようやくわかる。叫ばれている人の姿は建物に隠れて見えないけれど、怒気を含んだ"連続4本目"というフレーズだけは聞き取れた。あんなところからさっきの声量が聞こえるのか、と青八木と目を見合わせたけれど、どうやら驚いた点は俺と違ったらしい。


「真滝……明良さんだ……」


青八木は輝く視線を俺から外し、彼女の方へすぐに戻した。習うように自分も目を向けたけれど、そこに人影を見つけることは出来ず、まるで幻を見たような気分になってしまった。

名前は聞いたことがある。だけど会ったことも無ければ見たことも無い。去年出場したレースで、誰かが興奮しながら"真滝明良"について話しているのを耳にしただけだ。年代別で行われる大会の高校生の部にその名の人物は現れていたらしいけれど、俺たち弱小チームはレースが終わったら余韻に浸ることなくすぐに帰っていたから話題に興味すら持たなかった。女性だということはわかっていたから選手ではないと、ただそれだけの情報しかなかったんだ。


「すっげーデカイ声だったな、あの人」


何気ない声音でそう言うと、青八木からは心底驚いているような目を向けられた。それからすぐに眉根を寄せ、俺を怪しむような怪訝な表情へと移る。ペラペラとロードについて1人で喋り続けていたのに、あの人を知らないのかと、無言で訴えてきているのがわかった。


「真滝明良って名前は聞いたことあるよ。総北だったんだな」

「関東のレースに出てたのならあの声を知らないわけないだろ?」

「初めて聞いた。高校の部は去年全然見てないからな。あの人そんなに有名なのか?」


踵を返しながらそう問えば、青八木はまた無言のまま俺の隣を歩き出した。結局"真滝明良"がどんな人なのかもわからないままだったけれど、並んで歩く初めて会った男の纏う空気に触発されて、俺はまた、ペダルへと足をかけてしまった。


無念無想の日々から開放されたような、そんな気分だった。帰宅して詰め込んだダンボールから取り出したのはサイクルジャージとグローブ、母親からの夕食についての声も聞き流して外へ出て、すぐに乗り慣れたロードバイクのハンドルを握れば、ぶわりと高揚する気持ちと共に足が疼いてしまう。

俺はやっぱり、自転車が好きだ。

沈みかけた太陽を目の前にサドルを跨ぎ、力いっぱいグリップを握る。しっくりくることに安心し、また自分を乗せてくれるかとバーを撫で、ペダルへかけた足を踏み込もうと目を前へ向けたところに、彼女はまたも現れた。逆光な上に眩しくて目を細めてしまい表情まではわからない。だけど夕日をバックに靡く髪はあまりにも綺麗で、ハンドルを握る手から力が抜けてしまったのも無意識だった。徐々に近付いて来る影に緊張して全身が強張ってくるのがわかる。どうしてか"隠れたい"と思い自宅の方へ目を向けたけれど、思うように動かない体は彼女の声だけを聞き取った。


「あ、手嶋くん、だよね?」


ジャッ、と地面の砂利を擦って止まった自転車は綺麗に磨かれた青いクロスバイクで、白くて細い足が軽快に地に着いた。振り返って落としていた視線をゆっくり上げれば、大きな目が三日月に細められ、薄い唇が緩やかな弧を描く。柔らかなその微笑みに目を奪われたのは至極当然のことだっただろう。

見たこともないくらい綺麗で、呼吸をすることすら忘れてしまいそうだった。


「あれ、もしかして人違い……ですか?」


不安げに眉尻を下げた目の前の女性は表情と同じような声音で問うてきた。ハッと我に返って頭を下げ、詰まった喉を押し開げるように名乗ると、頭上でクスリと小さく笑う声が耳に入っり、変な声を出してしまったのかと慌てて顔を上げると、彼女はまたも笑みを浮かべて俺と視線を合わせた。


「よかった合ってた。今日青八木くんに聞いたんだ、 もう1人自転車競技部に入るかもしれない人がいるって」

「え、自転車部、ですか」

「知らない?総北ってインハイ常連校なんだけど」


知らないわけがない。インターハイは生で見たこともあるし、地元はどこの学校が出場するのか部内で話題になったこともある。近くにある学校が出場していることに、胸が跳ねたこともあった。


「私、真滝明良。総北自転車競技部マネージャーの2年生なりたてです。よろしくね」


そう言って差し出された手を、躊躇いながらもグローブを外してから軽く握った。少しだけヒヤリとした手は触り心地がとても良くて、離したくないとも思ったけれど暴れ出した心臓のためにほんの数秒しか触れていられなかった。


「今から練習かな?私も一緒に走っていい?」


邪魔になるかな、と窺うように顔を覗き込んで来た真滝さんの上目遣いは抜群の破壊力だ。噂になるのが頷ける。総北自転車競技部のマネージャーとしてでなく、1人の女性として頭から離れなくなるのがわかった瞬間だった。
小さな声だったけれど「邪魔になんてならない」と口にすれば、目の前で彼女は満面の笑みを浮かべた。またも体が動かなくなって、釘付けになったのは言うまでもない。





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