弱虫pdl

□【過去編】ある日(2年生)
1ページ/3ページ




「ん……、古賀ーー?」

「はい」


部室のベンチで仰向けに横になった明良が、傍でホイール調整をする男を気の抜けた声で呼ぶ。「んーー」とくぐもった声を漏らした彼女に古賀はクスリと微笑を浮かべ、油まみれの手袋を外して明良の頭の傍へ腰掛けた。


「あけましておめでとうございます、明良さん」

「んーーおめでとー」


新年を迎え、3日間の正月休みを経た総北高校自転車競技部は"初走り"と称して選手部員全員で走ることになっていた。制服の上にベージュのダッフルコートを着た明良が相変わらず部室に1番乗りで、寒咲通司が置いていたグラビア雑誌をペラペラ捲っていたところで睡魔に襲われた。ロッカーの上のダンボールに雑誌を放り込んでベンチへ横になれば重い瞼はすぐに閉じてしまい、その20分後、部室の扉を開いたのが古賀だった。どの部員より早く来ようとこの人には敵わないなと苦笑を浮かべ、着ていたダウンコートを明良へかけてホイールの調整をして暫く経ったところで彼女はその名を呼んだのだ。


「まだみんな来ないと思いますよ」

「何時ー?」

「9時です」


集合時間は10時。早過ぎると駄々をこねていた明良だったが結局は自分が1番早くに来る。自宅で寝るよりも部室の方が落ち着くという彼女はまだ暗い時間に目覚め、朝食も摂らずに家を出ていた。

カチャカチャと古賀がホイールを弄る音で目が覚めた明良は覚醒しきっていない頭のまま身体を起こし、グッと伸びをしてからトロンとした目で隣に座る古賀を見遣る。彼女の口が弧を描くと同時に彼は眼鏡を押し上げると、細めた目を三日月にして口を開いた。


「もう起きますか?」

「うん、一緒にメンテやる」


預かっていた金城のトレックを壁から降ろした古賀は、フッと窓の外へ目をやり雪が散らついていることに気が付いた。今朝の予報でも言っていた通りだがこう寒いと路面も凍ってしまっているかもしれない、と今日走る面々が怪我をしないかと心配で目を伏せる。時折吹く風が降りて来る雪を横へ流し、遠くに見える木々も葉のない枝を揺らしているようだ。


「古賀は今日走っちゃダメだよ」


俯く古賀の隣に立った明良が窓の外へ目を向けたままそう口にする。サイクリング程度にならペダルを回せると反論しようとしたが、見上げてきた彼女が眉尻を下げて笑っていることでその言葉は飲み込まれてしまった。


「寂しいから私と一緒にお留守番しててよ」


ね、と古賀の横腹に軽く拳を入れた明良は金城から今日一緒に走ることを禁じられていた。それは正月でさえ睡眠時間が短い彼女を寒い中走らせまいというもので、機嫌を損ねた明良を部員全員が宥めたのが年末のことだ。つい先日のことを思い出しては古賀の頬が緩む。だが彼女が不機嫌だったことだけではなく、見上げてきた視線が一瞬己の肩へ向けられたことも微笑む要因となっていた。インターハイで怪我したそこを心配してくれているのだろうと察した古賀が「仕方ないですね」と頷けば、彼女は満面の笑みを浮かべて首を縦に振った。







「早いな、古賀」

「金城、私もいる」

「お前がいるのはわかってた 」


トレックのメンテナンスを終えペダルレンチを磨きながら古賀と明良が談笑していると、ガラリと開いた部室の扉の先で金城が声をかけた。「あけましておめでとうございます」と古賀が新年の挨拶と共に頭を下げれば金城もそれに応え、ロッカーに荷物を入れた彼はすぐに踵を返すと、微笑みながら明良の頭を撫でた。


「おはよう、明良」

「おはよ」


周りで黄色い粒が弾けているような笑顔を見せた明良に金城はさらに口角を上げる。だが自分とは違い朝の挨拶しか交わさない2人を目にした古賀は、疑問に思いながら小さく首を傾げた。


「おーっす」

「んぁ〜〜超絶寒いっショ。マジでこんな中走んのか」


雪降ってんだけど、とポケットに両手を突っ込み肩を竦める巻島と、マフラーの中に顔の半分を埋める田所が入って来ると、既に部室に居た3人が一斉にそちらへ目を向ける。入り口から冷気が入って来たことに一瞬で顔を顰めた明良は、早く閉めてと言わんばかりの表情で巻島へと目配せた。






次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ