弱虫pdl

□【過去編】田所
1ページ/2ページ




「今日から週3は迅くんに張り付く」


鋭い目に睨まれているような感覚。部室で着替え終えた俺に、明良は扉を開けた先、仁王立ちでそう言った。


「張り付く?」

「外周の時はもちろんローラー回してる時も見てるから」


気ィ抜かないでね、と不敵な笑みを浮かべた明良とは最近漸く話すようになった。入部当初は彼女の周りに先輩が群がっていたし、俺は自転車のことで精一杯だったから。どんなに練習しても速くならない、外周時に前を走る先輩や同級生がどんどん遠ざかる光景は夢にも出てくる勢いだった。もう辞めてしまおうと主将と監督へ話をしてから、彼女は俺のことを気にかけてくれるようになったんだ。


「吐く寸前まで今日回してね?」


タイム表の整理をしながら、明良は視線をそのままに俺へ声をかける。主将に叫ばれながらの外周から戻って来たばかりで、彼女も何人かのマッサージをつい先程終えていた。自分の足が震えているのはわかるし筋肉も痛む。この状態で今から吐きそうになるまでローラーに乗るなんて、とキレそうになったのは仕方ないと思う。


「明良、お前自分が乗らないからってそんな簡単なこと、」

「うん、無茶言ってると思う。でも私が責任持ってケアするから」


トントン、とテーブルの上でタイム表を揃えた明良は漸く俺と視線を合わせた。無表情にも近いが纏う空気はどこか悲しそうで、言葉を遮られたのに続きを言おうとも思えない。舌打ちをして自転車をローラーへ乗せると、彼女は隣に立ち徐ろに俺の片手を取った。


「吐く寸前まで、ね。吐いちゃダメだよ」

「わかってるっつの」


フンッ、と鼻を鳴らし、あからさまに不機嫌な表情でペダルを回す。吐く寸前までどれだけの時間回すことになるのか、溜息をつきかけたところで明良の手が俺の背へ伸びた。そっと触れたそれに驚いたのも束の間、彼女はそれから肩や肩甲骨など至るところを撫で回す。なにやってんだと文句を言おうとも思ったが、あまりにも真剣な表情をしているものだから黙って足を動かすことしか出来なかった。


「迅くん、こっちで回して」


思いついたようにハッとした明良が姿を消して数分後、戻って来た彼女の手には運動靴があり、肩で息をする姿に走って戻って来たんだと察しがついた。ジャージで汗を拭い言われるがまま靴を履き替える。ニコリと笑んだ彼女に胸が跳ね、顔を見られたくなくて乱暴にその頭を撫でた。


「きっつ」

「ハンドル引いて、踏み込む時の筋肉意識してね」


クリートがついていない分片足で踏むだけの力でペダルを回す。自然と肩が上がり、腕にも力が入る。その度に明良が俺の身体へ触れ、ライディングポジションについての助言を行った。徐々にスピードを上げろという鬼のような指示に負けん気で対応すれば、彼女はみるみる笑顔を見せる。「5秒後に終了」という声と共に目の前に掌が見え、その指が1秒ごとに折り曲げられれば、拳に変わった瞬間俺の頭にタオルが降ってきた。


「わーーーー!」

「わーじゃねーようるっせーな!」

「すごい、これだけ回して具合悪くないの?」

「お前が吐く寸前まで回せって言っただろ」

「そろそろ限界かなって思ったから止めたのに。肺活量まだまだ増やせるかも、そういう練習もしてこうよ」


満面の笑みを浮かべた明良が喜々として言葉を投じる。どうにもこの笑顔には弱い、と熱くなった顔を隠すようにタオルを被ったまま俯いた。





:::





「迅くん肩!肘!」


週に3日。明良は本当に俺に張り付いている。主将にも負けない、というより主将よりも声を出しているようにも感じる。だけどそれは決して俺を不愉快にさせるものではなかった。


「田所、お前のタイム縮みっぱなしだな」


もはや恐怖、と主将が降車しながら俺へ声をかけた。後部座席から降りた明良はすぐに部室からタオルとドリンクの入った大きなカゴを持って来て、続々と到着する部員達へそれを手渡す。一人ひとりと言葉を交わし、そして満面の笑顔を向けるんだ。顔が真っ赤になっている同級生や、今にも抱きしめてしまいそうな手を必死に引っ込める先輩、彼女がこの部の連中を虜にしているのは誰がどう見てもわかることだった。そして穏やかな「おつかれさま」という声が、俺の背後から静かに聞こえた。


「裕介、先輩に抜かれてた」

「ンなの俺が一番わかってるショ」


乱暴に頭を撫でられた明良がギャンギャン騒ぐ。巻島とは同じクラスだということも知っているから、飛び抜けて仲が良いのは納得している。だけどその光景を目にする度に、どうしてか苛立ってしまうんだ。





次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ