入学式当日に自転車競技部へ入部して、そのまま先輩達の練習に加わった。徐々に増える1年生の中には初心者もいるようで、ローラーを回す俺は先輩達からすぐに名前を覚えられた。1週間も経てば新入部員も減ってきて、個人の実力も顕になってくる。与えられたメニューへ各々が準備をしている部室に、女子生徒が1人静かに入って来た。 「真滝明良です」 マネージャーとして入部した彼女にはその日のうちに自分が惹かれていると気が付いた。高い位置で結った黒髪は肩にも付かず、揺れるそれが彼女の動きを表す。忙しなく動くそれに目が奪われるのもしばしばで、忽ち視界から居なくなることも少なくない。メカニックとしての知識も、1週間経ったロードレーサー初心者のそれより彼女は遥かに自転車に詳しかった。 「金城くん、私パンクタイヤ視るからって主将に言伝お願いしていい?」 「ああ、わかった」 ニコリ、とぎこちなく笑んだ真滝は笑うのが不器用なのか、そのまますぐに俺へ背を向けた。部室に残る彼女は慣れた手つきで修理を始め、それからこちらへ目を向けることはない。真剣な表情でゴムの穴を探し、その度に結った髪が揺れる。そんな様子を部室の入り口で見ていれば、外から先輩に呼ばれて出て行かざるを得なかった。 ::: 「真滝、主将が呼んでいた」 「あ、うん、ありがとう」 部室のテーブルで熱心にペンを走らせる姿をよく目にするようになった。寒崎主将と共に監督の車に乗るのが定着して、その車内でも彼女は熱心にメモを取る。1年生レースで1着ゴールを果たした俺に彼女は興味津々といった様子で視線を寄越し、それから様々な質問をしてくるようになったんだ。平坦や坂、その都度気をつけていることは何か、ペース配分は天気によってどのように変えているか、筋肉はどこを意識しているか。オールラウンダーとしてメニューを言い渡される俺に、真滝は毎日声をかけ、そして笑顔をくれる。初めはぎこちなかったそれが、日に日に柔らかくなっていくことにさらに胸が疼いた。 部室の外にいる主将に呼ばれた彼女が残したノートを目にし、覗いていいものか少しだけ躊躇したが、あまりにも真剣な目をしているものだから気になって仕方が無かったんだ。罪悪感は有るが好奇心の方が優ってしまい、1ページだけ捲ってみれば小さな字がズラリと並んでいるのが見える。先輩達の名前に1年生の名前、自分の名前も見つけてはその日の体調と共に走り方まで細かく記されているそれに目を丸くすることしか出来ない。"巻島"のスペースには部活が終わった後の時間まで書かれているし、3年生の先輩の名前の下には早朝の各タイムを見つけた。部活中に監督の車から主将が見ている部員の走りはもちろん、追い抜かれた選手、追い抜いた選手の気になったところまで彼女は聞き出しているのだろう。見ていないはずの部員のことまでそこにはしっかりと書き込まれていた。 「きゃーー!」 わざとらしい悲鳴と共に肩が跳ね、目の前のノートが視界から消える。顔を赤くした真滝がそのノートで顔を隠し、目だけ覗かせては俺を見上げた。 「ききき金城くん、見たの?」 「あ、ああ、すまない」 勝手に見てしまったことに謝れば、彼女はガクンと項垂れて椅子へ腰掛ける。ノートで顔を覆い隠して小さくなる姿に、先輩達がやっていることを真似たくなったというより無意識にそこへ手が伸びてしまった。頭を撫でると小さな身体がピクリと反応し、恐る恐る持ち上げられた顔はやはり赤くなっていて、下がった眉尻の下にある大きな目が目一杯潤んでいる表情に俺の胸は大きく跳ねる。初めて触れた彼女の髪は柔らかく、指通りがあまりにも心地よかった。 「勝手に見て悪かった」 「あ、ううん、その、なんかごめん」 私こそ生意気にこんなことしちゃってて、とさらに小さくなる真滝は立ち上がって頭を下げ、またも恐る恐る俺を見上げて視線を合わせる。大事そうにノートを包んだ手はもはやそれを守るように胸の前で固く組まれてしまって、拒絶されているような気分になり少しだけ胸が痛んだ。 「悪いと思いながらも見させて貰ったんだが……すごいな」 そう言うと彼女はきょとんと首を傾げ、漸くノートを胸から離した。 「すごい?」 「詳しく書かれているし……よく見てる」 今度は恥ずかしそうにはにかんだかと思えば、へへへ、と口に出して照れ笑いを見せる。入部したての頃より随分表情も柔らかくなったなと見惚れていれば、彼女はすぐにハッと目を見開き腕時計を確認した。バタバタとバッグへノートを仕舞うとこちらへ目を向け、微笑みながら口を開く。急ぎすぎて噛みながらの言葉は最初の方が聞き取れなかったが、とにかく誰かの練習を見に行くということだけは理解出来た。 「それじゃ金城くん、また明日!」 「あ、ああ」 振り向きもせず走って行く後ろ姿に、胸が苦しくなった。 |