「ねぇ巻島くん、夜の練習、見ててもいい?」 「……はァ?」 初めて声をかけられて、少しだけ声が裏返ってしまった。人と会話するのが苦手で、だけど自転車があるからいいと思っていた。そんな俺に突然、学年一番人気の真滝明良から話しかけられたんだ。怪訝な顔をとらないわけがない。 「だめ?」 「い、いいけど」 あの坂登ってるよね、と言って来た日に彼女は自転車部へ入部届けを出したらしく、それまで同じクラスだというのに一言も話したことがなかった俺の世界にスルリと簡単に入って来た。秘密の"オレ練"を見られていたことに恥ずかしくなったが、その日の部活で彼女が挨拶していたのに目を丸くしてしまった。 「ライトもう一つつけた方が良いと思うんだよね」 「あ、そう」 綺麗な黒髪を耳にかける仕草なんて指の角度まで計算されているのではないかと思うほど美しい。俺なんかが彼女と話していていいのかと、引いてしまったのは言うまでもない。 部活中は監督の車に乗って熱心にメモを取っている様子が窺えた。主将が窓から乗り出して大声を上げているのを後部座席から見ながら、彼女の口も忙しなく動いているのが見えたんだ。 入部初日から主将に気に入られた彼女は、部室で頭を撫でられて少しだけ表情が強張っていて、その後は何かに怯えるようにキョロキョロと辺りを見渡す。容姿のせいですぐに上級生達の"お気に入り"になったが、彼女の笑顔はどことなく引き攣っているように見えた。 ::: 「ゆ、揺らすね、」 「……笑いたきゃ笑え」 部活が終わってからの自主練に、真滝明良は本当に姿を現した。1本昇り終えた坂の上に彼女は青いクロスバイクと一緒に立っていて、息を切らした俺にドリンクボトルを差し出しながら言う。先輩達に笑われまくった"登り方"だったから、今さらマネージャーに笑われたって痛くも痒くもない。 「ううん、笑わない。一生懸命な顔してるもん」 ドキリ、と、少しだけ胸が跳ねた。 月明かりだけのそこに、彼女の満面の笑みは俺の身体を硬直させるのに容易なものだった。可愛いだの綺麗だの言われているのは知っている。だけど、こんな笑顔を見るのは初めてだったんだ。 「それに昨日よりタイム縮んでるよ」 ひょい、と前に出されたメモ帳に昨日のタイムが書かれていた。自分でも測っていたからそれは間違いない。何本も測っていたそれは自分が覚えている分と同じだったから、本当に彼女に見られていたんだとまた恥ずかしくなってしまう。 「……測ってたのか」 「こっそりね」 眉尻を下げて申し訳無さそうに笑ってから、「ごめんね」と謝られては怒ることも出来ない。 なんだこの可愛いさ、逆に腹立ってきた。 休憩中や練習後は延々海外のレースの話が続き、もう遅いからと重い腰を上げて真滝明良を家まで送るようにした。左側には俺のバイク、右側には彼女のバイク。並んで歩いて帰るそれが自然と定着して、楽しそうにしている彼女の顔を見るのが、俺の楽しみになっている。 |