黒子のバスケ short

□気が付いた
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彼女から目が離せなくなったのは不可抗力だ。
自分の妹よりも年齢的には上だというのにどこか心配させる行動をとるものだから気付けば目で追ってしまう。
何も無い所で躓いたり「ああ!忘れた!」と耳にする言葉に呆れて頭を抱えたのはもう何度目だろう。
普通に試験をパスして入学しているのだから頭は申し分ないのだろうが如何せんドジ過ぎる。
王者と称される秀徳バスケ部のマネージャーとしては本当に悩まされるというのにどいつもこいつも彼女に甘い。
あの宮地さんですら彼女に対しては暴言を吐かないのだから。


「ごめんなさい!ちょっと取りに戻ります!」

「明良ちゃーん、いいよいいよ、そのくらい俺が取ってくるから」


高尾との身長差も二十センチを越えている彼女はよく部員に頭を撫でられる。
俺以外だが。
ふにゃりとだらしなく顔を綻ばせる目の前のパートナーを一瞥しては溜息を吐いた。


「っつーことで真ちゃん!俺ちょっくら学校戻るわ」

「試合には遅れるなよ」

「わーってるって!当たり前っしょ」


近隣校に練習試合に来ているというのにゼッケンを忘れるという失態を繰り出した真滝はアワアワと涙目になって高尾を見送る。
たしかに彼女を向かわせるよりは早いに違いないがここで部員を動かせてしまうマネージャーとはその名に恥じることこの上ないと自覚しているのだろうか。
だから溜息が尽きない。
人事を尽くす俺にとっては信じられなさ過ぎてもはや尊敬してしまう。


「緑間くん、ごめんなさい」

「……俺に謝るよりも戻って来た高尾に謝れ。試合前の選手を雑務に動かすマネージャーなど聞いたことが無いのだよ」


左手に巻いてあるテーピングを取りながら呆れたように言えば「あう…」と俯いたまま言葉を濁す。
それもそのはず、彼女に厳しいのは俺だけなのだから。
だけど今日はいつもと違ってすぐに顔を上げないことを不審に感じてしまう。
「ごめんなさい!」と元気に返して来てはその度に本当に反省しているのかと溜息を吐いていた俺にとってペースを崩された感覚だ。


「……そうだよね、ほんと、あたしダメだぁ」


眉尻を下げて笑う彼女の目尻からほんの少しだけ下にキラリと光るものが見えた。
今までどんなに罵ろうと泣いたことなどなかったから目を見開いて驚いてしまう。
ごめんね、と小さく呟いて踵を返した彼女の涙が頭から離れずにテーピングを取る手も止まってしまった。

練習中、試合中、誰よりも叫ぶ彼女の透き通った声はコート内の選手のみならずベンチにいる部員ですら奮起させる。
負けることなどありえないがその声によって全員のパフォーマンスが上がることは目に見えてわかっていた。
今日も快勝、試合開始ギリギリに戻って来た高尾も宮地さんに毒づかれるもプレーに変わりはない。
コートを出れば彼女から笑顔で手渡されるタオルを受け取ると、全員が「今日もありがとう」と頭を撫でる。
変わりなく行われたその見慣れた現場も、試合前に見た彼女の涙が忘れられず俺は眉間に皺を寄せた。


翌日にいつもの騒がしい姿を捉えなかったことに頭を傾げた。
隣で高尾が「明良ちゃんがいない」と口にする前から気付いていた俺はその言葉を聞き流して辺りを見回す。
学食で派手に唐揚げを落として笑いをとっていたから欠席でないことは明らかだ。
部活を休んだのは初めてのはず。
委員会で遅れたこともないから来ていないことが不思議でならなかったが、コートの隅から聞こえた宮地さんの言葉に絶句した。


「はあ??!辞めたぁ??!!!」


ザワリと周りがどよめいたのがわかる。
何かを察した高尾が急いでそこへ駆け寄れば、先程の声に負けないくらいの声量で雄叫びを上げた。


「明良ちゃんが辞めたってどーゆーことっすか!!!」


ドクン、と静かに心臓が脈打つのがわかった。
さらにざわめき出した周りの声など耳に入らず、大坪さんの声だけがやけに鮮明に聞こえる。


「あー、うん。お前ら練習に集中出来なくなると思って黙ってたんだがいつ言っても同じか。真滝が退部した、俺も止めたんだがアイツ意外と頑固でな」


色んなところから叫び声が上がるものの、俺は声すら出せなかった。
頭を過ぎったのは昨日の彼女の顔と涙。
聞いたこともない弱々しい声が耳に張り付いたままだった。
気付けばボールを放って走り出していて、許可無く体育館を後にする。
後ろから木村さんの呼ぶ声が聞こえたが、止まれるはずもなく頭は真滝のことで一杯で、彼女の教室へ一直線に足は向かっていた。
いるのかもわからないのに教室の扉を開くと、夕日のせいか教室内は橙一色となっている。
隅の席に座っている人影は逆行で誰だかわからなかったが、小さく囁かれた声に彼女だと認識出来た。


「……辞めたとはどういうことなのだよ」


既に整っている呼吸は頭の中にあった科白を詰まらせることなく口から出してくれる。
俯いてしまった彼女の言葉はシンと静まり返る教室では容易に聞き取ることが出来た。


「あたし、……迷惑ばっかりかけるから」


笑っているように聞こえるその声だが、言い終えた後にズッと鼻を啜る音で泣いていることに気が付いてしまう。
こんな所にいるせいかな、と顔を上げた彼女の横顔から見える目は、日に当たって長い睫を煌かせていた。


「ここにいると、皆と一緒にいるみたい……オレンジは、皆の色だもんね」


微かに、笑顔が見えた。
だけど目尻から流れる涙も一緒に見えてしまって、ギチッと奥歯を噛み締める。
自分があんなことを言ってしまったせいだ。
いやしかし、きつい言葉なら幾度となく投げつけていたはずだ。
それを諸共せずに健気に部員達へ奉仕し、屈託の無い満面の笑みを見せていたからこそ安心していたというのに。
彼女はずっと気にしていたのだろうか。
自分が吐き捨てる言葉の一つ一つを、真摯に受け止めながら頑張っていたのなら、俺はなんて情けないことをしてしまったのだろう。


「真滝、」

「ごめんねっ、緑間くん、……新しいマネージャーも明日には来るはずだから、今日だけは皆でお願いします。……投げ出しちゃってごめん」


新しい人はあたしなんかよりずっとしっかりしてるから、とまたも無理して作った笑顔だとわかるそれを向けてくる。
遮られた俺の言葉なんてもう飲み込むことしか出来なくて、気が付けば足は彼女の方へ進んでいて、柔らかい髪に指を這わせていた。
ビクリと震える彼女が恐る恐る顔を上げる。見開かれた大きな目からは驚いたせいで涙も流れることを止めているように見えた。


「……辞めるな」

「でも、あたし何の役にもたたなくて、」

「役に立っている、お前が居るだけでいいのだよ」


そう、居てくれるだけでいい。
ドジだろうが、元気に駆けずり回って、試合中のあの応援があれば、俺だって。


「いても、いいの……?」

「俺が、……居て欲しいのだよ」


選手のパフォーマンスが下がるのを懸念しているわけではない、自分のそれが有り得ることだからこそ人事を尽くす。
何より彼女を見ていないと、気持ちが落ち着かなくて仕方がない。


「ありがとう、緑間くん」


また流された涙は、夕日に照らされて綺麗に落ちた。



(大坪さんが怖いから手繋いで行って欲しい)

(……今回だけなのだよ)






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