黒子のバスケ short

□息が出来ない
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好きな人の好きな人になることは奇跡に近いことだと思う。
周りの女の子達に比べて地味な私が男の子に好かれるなんて思えない。
だけど私にも想いを寄せている人がいるのだ。
明るくて気さくで優しい声を出す彼を、自分だけのものにしたいと思うこの気持ちは恋というものに間違いない。
だけど付き合うなんて大それたこと私なんかに出来るはずがない。
手を繋いで一緒に帰ったり、テレビドラマで観るような甘いキスなんて考えるだけで顔から火が出そうになってしまう。
教室で彼の姿を捉える度に呼吸でさえ上手く出来ていない気がするというのに、もしそんな状況にでもなってしまえば私は卒倒してしまうだろう。間違いない。

大嫌いな日直の仕事のためにいつもより早く登校して教室にある植木鉢へ水を垂らす。
誰もいない空間に私の溜息だけが響いた。
カチ、と時計の針が動く音が聞こえて黒板の上に設置してあるそれに徐に目を向けると、視界の端で教室の扉が開いた。


「真滝」

「き、きき木吉くん」


朝練の途中なのか額に薄っすらと汗を滲ませて首にタオルをかけた木吉くんは見慣れた制服姿ではなくノースリーブの紺色のシャツを着て突如私の前に現れた。
身体と一緒に心臓も跳ねた気がする。
上手く声が出ていたのかさえわからない。


「日直か?早いな」


ニカッと笑うその顔に弱い私は気が遠くなるような感覚に陥ってしまう。
下半身に力を入れて倒れないように踏ん張る。
彼の前で醜態なんて見せられない。
だけど平常心でもいられない私はとりあえず会話を続けようと精一杯口を動かした。


「う、うん、木吉くんは朝練?」

「おー、……教室見たら真滝見えたから、ちょっと抜けてきた」


何を言っているのだろう。
私が見えたから大事な朝練そっちのけでここまで来たというのか。
都合の良いように私の耳が変換して聞き取ったのかもしれない。


「早めに日直の仕事片付いたら練習観に来てくれよ、がんばれるから」


じゃーな、と手を振り踵を返した木吉くんはそのまま教室を出てしまった。
耳に入ってきた穏やかな彼の言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
硬直した足から力が抜けてへたりと床に腰を落としてしまい、水の入ったペットボトルから微かに水飛沫が上がった。
心臓が煩いほど激しく脈打っている。
彼は今何と言ったんだろう。
いや、なんのためにここへ来たのだろう。
朝練を見て欲しくて誘いに来たのだろうか。私を。
何故私なのだろう。
ただ単に誰でも良いから見て欲しいと言うような人でないことはわかっているつもりだが、私なんかに見られて何か彼にメリットがあるのだろうか。
いや、私にしかない気がする。
だけど見ていいというのなら行くしかない。むしろ行きたくて仕方が無い。
呆けている暇などないと考えに達した足は力強く立ち上がり、中断していた作業を済ませて足早に教室を後にした。





「お、来てくれた」


体育館では優しい笑顔をした彼が迎えてくれて、空のパイプ椅子へ招かれた。
隠れて何度も見に来たことはあるが、こんなに近くでバスケをしている彼を見られるなんて思いもしなかった。

格好良すぎる。

どうしよう、胸が苦しくて涙が出そうだ。
両手で口を覆って声が漏れてしまわないように喉に栓をする。
呼吸は出来なくてもいいから瞬きだけはしたくない。
彼が言っていた頑張れるからという言葉は私のために向けられたことのように思える。
今日一日というより今日から一週間、いや、一ヶ月間晴れ晴れしい気分で頑張れそうな勢いだ。
監督である相田さんの話が終わると早々に駆け寄って来る彼に身体が強張った。


「サンキューな、来てくれて」

「え、ううん、私こそありがとう、練習見せてくれて」


シャキンと立ち上がった身体とは対照的に声は弱々しく口から出てくる。
もっと気の利いた台詞やおつかれさまと差し出せるタオルをどうして持って来なかったのだろうと後悔の念が渦巻いた。


「やっぱり気合い入るわ、好きな子に見られてると」

「…………え、」


またも彼の言葉が理解出来ずに私の身体はさらに硬直してしまう。
返す言葉も見つからない上にやはり耳がおかしいのだろうかと疑念を抱いた。
無我夢中で見ていた練習のときとは違い本当に呼吸さえ出来ていない気がする。
相変わらずの優しい笑顔を私へ向けて、彼の大きな掌が差し出された。


「付き合ってくれないかな、俺と」


部活ばっかであんまり相手出来ないかもしれないけど、と苦笑する彼はあまりにもキラキラしていて今度は目を開けていることさえ出来ない。
ギュッと目を閉じて彼の言葉を必死に理解しようと脳を再起動させる。
だけど何度確認しようと彼が言い放った言葉と差し出された手は現実のようで、夢にまで見た彼の手を無意識にとっていた。
やったぁ、と緩く笑う彼の顔が見たくて目を開ければ、よろしく、と言葉を紡がれる。

奇跡が起きた。
好きな人の好きな人になれただなんて本当に夢のようだ。

これから毎日正常に呼吸が出来るかわからないけど、メトロノームでも買って練習しよう。
まずは今日帰って呼吸のリズムを登録しないといけない。




(すっげー顔赤くなってる)

(だ、だって火が出そうなくらい熱い…!)







END
(プリーズ ブラウザバック)



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