G dream

□シアワセの裏もシアワセ
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今日は朝から気合が入っていた。
昨晩なかなか寝付けなかった割に気持ちの良い目覚めである。今ハマっているグラノーラにバナナと胡桃を入れ、温めた牛乳と共に今朝の朝食とした。
これから洗濯してお部屋の掃除、ケーキの下拵えしてシャワー浴びちゃおうかな、などと考えていると携帯が鳴った。ディスプレイには《ホースケ》と表示され、数回振動して止まった。メールである。

《こんにちは、今日は役所に寄ってから向かいます》

たしか住基カードがもうすぐ切れるとか言っていた気がする。多分その手続きでもしてくるのだろう。わかりましたと返信し、名無しさんは気合を入れ直した。

「よーし、やるぞー」

食べ終わったボウルを両手に抱えキッチンに向かう。洗い物はこまめにする方だった。ワンルームなので臭いとか気を付けている。特に今日は彼氏が遊びにくるから尚更だ。

洗濯機を回している間に部屋の掃除に取り掛かる。あまり物を置かない様にしているので掃除機をかけるのも苦にならない。最近は掃除グッズも豊富で、便利な物が安価で手に入る時代だ。子供の頃母がはたきで埃を落としていたが、今はそんなことしない。
それでも掃除に満足する頃には、時計は既に午後をまわっていた。慌てて洗濯物を取りだしベランダに干すと、今度はキッチンに駆け込んだ。先日ネットで見つけたパウンドケーキのレシピを確認する。普段菓子など作らないが、これなら簡単に作れそうだと思ってチェックしていた。

「急がないと〜」

便利なもので《パウンドケーキ用》の小麦粉が売っているのである。他にもマドレーヌ用、カップケーキ用、スポンジケーキ用などあるのだが、原材料にあまり違いがあるようには思えなかった。ぶっちゃけていうと、ホットケーキミックスでも作れるらしい。まぁ粉を計ったりふるいにかけたりしなくてもいいので、結局専用の《お粉様》を購入したのだ。
本当はアールグレイの茶葉を用意した方が良かったのだが、わざわざその為に買うのも気が引けた。今はもっぱらダージリンにハマっているのである。極力家にあるもので間に合わせたい彼女は、ダージリンで紅茶のパウンドケーキを作ることにした。ナッツもグラノーラ関連で色々買ってある。焼き菓子にナッツは愛称抜群だ。
ケーキ用マーガリンの泡立てに苦労はしたが、後はさほど難しくなかった。バターを塗った型に生地を流し込み、空気を抜いてオーブンレンジにセットする。オーブンは勿論温め済みでぬかりはない。タイマーをセットし、今度は慌ただしく風呂場に駆け込んだ。本当は入浴もしたかったが、朝のんびりしすぎた分はここでも取り返しておきたい。シャワーでさっぱりしてお気に入りのワンピースに袖を通す。その間にもオーブンに数回足を運んで様子を伺うが、概ね順調の様だった。
軽めのメイクがすむ頃にオーブンのタイマーが鳴った。部屋は既に焼き菓子特有の甘い香りで充満している。オーブンから焼き上がったケーキを取り出すと、生焼けじゃないか確認した。初めてにしてはよく出来たんじゃなかろうか。あら熱を冷ます間に飲み物の用意をしておく。
それにしても随分遅い。なかなか来ない恋人は、何かあればすぐに連絡くれるのに、今日はそれがなかった。少々不安な気持ちでパウンドケーキを切り分けていると、来客を告げるインターフォンが鳴った。

「良かった、何もなくて」

待ちきれず玄関前まで出てきてしまった。エレベーターの開閉音が聞こえ、ばたばたと駆ける音が近付いてくる。

「ごめん」

やっと姿を見せた恋人は、申し訳なさそうに謝る。額には汗が光っていた。急いで来てくれたのは明白だ。
部屋に上がってもらうと、彼は一瞬立ち止まる。未だに慣れないのかな、と見れば、なんだか気まずそうな顔をしていた。手には見たことのある紙袋が下げられている。たしか今年オープンした、人気のタルト専門店のロゴだ。結構並ぶ上、お値段も可愛くないのでまだためした事がない。きっとそのせいで遅れたのだろう。だが室内に充満する甘い匂いで、彼は何が用意されてるのか察したらしい。気にしなくてもいいのにキッチンまでついてくるものだから、もう隠しようもなかった。

「俺そっちの方がいいな」

気を使ってるのかと思ったが、彼はそういうタイプではなかった。目をらんらんと輝かせて覗き込んでいる。

(喜んでもらえると思ったんだ)

手作りを嫌がる人も多いが、彼はそうじゃないと確信していた。だから珍しく菓子など作ったのだ。今日は裏目に出てしまったけれども。
焼き菓子は包んであげるからタルトを食べようと言うと、彼は素早く焼き菓子をさらっていった。

「じゃ両方って事にしない?俺のタルトも名無しさんにあげるからさ」

そう言うと彼はにかっと人好きのする笑顔を見せた。この笑顔が見たかったのだ。きまずい雰囲気などとうに吹っ飛んでいる。
早速ケーキボックスを開けると、そこには赤いフルーツが沢山乗ったタルトと、チョコレートのタルトが互い違いに並んでいた。フルーツの方は表面に塗られたジュレのおかげでキラキラと輝いている。思わず感嘆の声をあげた。正直自分で作った菓子にここまで感動する事は出来ない。彼の気遣いに感謝した。

タルトをテーブルに運ぶと、ポットには既にお湯が注がれていた。恋人は嬉しそうにそわそわと待っている。まるで『マテ』をする柴犬の様だと思った。紅茶を注いでどうぞ、と声をかけると、真っ先に焼き菓子に手を伸ばした。

「これなんていうの?」

と言って菓子を頬張った。説明を聞いてるのか聞いてないのか、2つ目を手に取るとくんくん匂いを嗅いでいる。紅茶の菓子がお気に召さなかったのかと不安になったが、そうでもなかったようだ。美味しい美味しいとぱくついている。全てが報われるお言葉だ。

それにしても流石人気のお店なだけあって、彼のお土産のタルトはとても美味しかった。フルーツは全て瑞々しく、程よい酸味がカスタードと相まって、まさにいくらでも食べれるお味だ。お値段さえ可愛ければ、毎週買ってしまいそうである。そうなると、当然彼のチョコレートのタルトの味も気になるもので、子供のようにねだってみた。彼は照れ臭そうにあーん、と食べさせてくれる。他人がしているのを見ると居たたまれない気持ちになるコミュニケーションだが、やはりしてもらうのは嬉しい。

(ふふ、シアワセ)

弛んだ頬を押さえながら味わっているところを彼に見つめられていた。照れ隠しにフルーツタルトをお返しすると、彼は一層照れ臭そうに口をあける。家なら人の目を気にしなくていいので、最近出かけるより家で会うデートの方が多かった。それで会う回数も頻繁になった気がする。

「そうだ、パウンドケーキ半分残ってるの。良かったら持って帰ってね」

「いいの?やった」

心底嬉しいという笑顔を見せた。好きな人の笑顔というのは、いくら見ても飽きないものである。

「それに本当はね、パウンドケーキは一晩経った方がしっとりして美味しいの」

「そうなんだ、焼きたてもこんなに美味しいのになぁ」

「一応個装にしておくから、食べきれなかったら事務所にもっていってね」

「うーん、わかった」

これは多分持っていかないな、と心の中で微笑う。

(もしかして今日中に食べちゃうのかしら)

紅茶のおかわりを自前で淹れる愛しい彼を眺めながら、シアワセの時間を噛みしめた。





2015,9,17

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