G dream

□順番はダイジ
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ああ、なんて可愛いんだろう。

王泥喜法介は目の前の女性をうっとり眺めていた。
彼女は痴漢被害者で、かつその痴漢を締め上げ逮捕に協力した、夏澪菜(かれいな)名無しさんという。
海外でも活躍しているピアニストで、今も日本には演奏の為に帰国していて、その間に小さな(と言っては失礼だが)事件に見舞われた人物だった。
相手の社会生活も慮って裁判沙汰にはならなかったが、相手は常習犯らしく、警察のお世話になる羽目になり、その為の手続きやらなんやらが必要で、多忙な彼女は弁護士を雇うことにしたのだ。

「本当にありがとうございました」

成歩堂の散らかった事務所、そのソファで名無しさんは頭を下げた。

「コンサート、無事に済んで良かったですね。とても素晴らしい演奏でしたよ」

成歩堂が飾りの無い賛辞を述べた。本心から出た言葉だろう。まぁ元よりこの人は、過去にピアニストを名乗りながら、曲らしい曲などまったく弾けなかったが。

「ホント、パパのピアノとは大違い!みぬき、感動しちゃいました」

これも王泥喜さんのおかげだね、とみぬきは軽快なステップで王泥喜の横にやってきた。

王泥喜のおかげ、というのは本人からしたら少々言い過ぎな気がした。たまたま帰りの電車で現場に居合わせ、たまたま近くにいた王泥喜に、名無しさんが警察を呼ばせただけである。彼女は護身術でも嗜んでいたのか、愚かな悪漢をホームのコンクリートに投げ飛ばし、完全に失神している犯人を押さえ付けていた。
その後到着した警官にあれこれ事情聴取され、身分を明かした弁護士の王泥喜に、彼女が手続き云々を依頼したのである。
痴漢被害自体は示談で済ませたので、元よりあまり時間のかかる案件ではなかった。それでもコンサートの準備期間中に片付けられたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

「おかげさまで演奏に集中する事ができました。本当に、王泥喜さんのおかげです」

「いやぁ、それほどでもありませんよ」

王泥喜は照れながら、心の中でほんとに、と付け足した。
この事件が早急に片付いたのは、王泥喜の弁護士としての手腕より、彼女のネームバリューが大きく影響している。彼女のファンの中にはあのキザな検事もいることを思いだし、王泥喜は考えうるもの全てを頭から振り払った。
結果、彼女は大層王泥喜に感謝し、既にSOLD OUTなコンサートに招待してくれたのだ。

「俺、クラシックとか全然わからないですけど、なんていうか、とても感動しました」

もっと気の利いた事が言えればいいのに、安直な感想を伝えるので彼には精一杯だった。

「オドロキさん、うるうるしてましたよー」

「ちょっ、みぬきちゃん」

これ以上情けない姿を晒させないでほしい。言葉に詰まっていると、名無しさんは嬉しそうに微笑んだ。
ああ、なんて綺麗な人なんだ。

「次の予定とかもう決まってるんですか?」

成歩堂がやんわりと助け船を出した。みぬきも身を乗り出してその話題に食い付いている。

「みぬき、今度はチケット買います!お小遣い前借して!」

彼女の前借は今いくらくらいなのだろう。王泥喜はその好奇心を飲み込んで名無しさんの言葉を待った。

「初冬にパリでピアノ協奏曲の出演があります。ごめんね、ちょっと遠いかな」

彼女の答えはみぬきと王泥喜ひどく落胆させた。あれ、パリって。

「じゃあいつ日本を立つのかな」

成歩堂の質問に、王泥喜は少なからず狼狽した。もう会えないという考えに直結した。後で知った事だが、相手は世界を飛び回る有名なピアニストなのだ。言うまでもないが、ただの弁護士と依頼人である。それ以上に発展しようもない。そして追い討ちをかけるように彼女は答える。

「明日、夕方の便です」

あまりにも早急な彼女の旅立ちに、成歩堂父娘は落胆の色を見せた。そして王泥喜はそれ以上に肩を落とした。


明日見送りに行きますね、というみぬきの言葉で区切りがつき、彼女はホテルへの帰路についた。遠くなる後ろ姿を王泥喜がぼんやり見ていると、横から何かに突き飛ばされた。

「もう、何ぼうっとしてるんですか!」

「何だよ」

身に覚えの無い災難に、王泥喜は口を尖らせ非難をあらわにしている。

「メアドくらいぐぐいと聞き出しましょうよ!明日!ラストチャンスですよ!」

ついでに告白もしちゃいましょう!とみぬきが握りこぶしを天に突き上げた。

「いやいやいや、何でそうなるんだよ」

「だってオドロキさん、名無しさんさんにホの字じゃないですかぁ」

「ぎゃあああぁあ!」

何故かわからないが、王泥喜は断末魔の様な叫び声をあげてしまった。自分では気付いてなかった核心を、ノーガードでぶち抜かれてしまったらしい。

「ホ、ホの字って…いやいやいや」

だって依頼人だし、と口をモゴモゴさせていると、背中にみぬきの平手が飛んできた。

「そんなこと言ってたら、誰かに取られちゃいますよ」

「そうだねぇ、彼女とっても美人だし。クラシックにしては珍しく、ファンも随分多いみたいだね」

そういえば御剣も彼女のCD持ってたなぁ、と成歩堂が呟いた。王泥喜は青ざめている。
だからって、告白って。
道端でいやいやいや、と何度目かわからない自問をしている間に、日はすっかり暮れてしまい、辺りには王泥喜以外の誰も居なくなっていた。
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