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□おひさま紙風船
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「清光、可愛い清光、私の清光」
ふっと笑って自分を撫でる心地良い感触は、随分前に遠くなってしまったもの。
「ねぇ、主」
いま貴方は何処に居て、俺じゃない誰かを可愛がっているの?
俺は、
「自由になっても、」
◆
きゃあきゃあと、無邪気な声に瞼を開ける。
声のする方、庭先を見てみれば短刀達と戯れるあびの姿。
最近のあびに対する気持ちは、自分でもよく進歩したと褒めてやりたい気分になるほどだが、まだ他の刀のように、心からあびを大切にすることは難しかった。
いつかあの笑顔が愛しいと思う日が来るのだろうか。
目を瞑れば現れる、消せないあの人の影とあびを重ねていれば、なんだか小さくて柔らかいものが、フニフニと清光の頬を突っついた。
「何?あび」
これまで無視したり冷たく当たったり、色々してきた筈だけど、このチビは全然めげずに自分の元へ来る。
阿呆なんじゃないかとさえ思うほどに。
「おっきした、ました?」
拙い敬語を使って、そう疑問を投げかけてきた。
短刀と遊んでいたはずのあびが、いつの間に寄ってきたのか、縁側で寝転ぶ清光のすぐ近くに居る。
「起きたもなにも寝てないから」
「かしゅーさん、いっしょあそんで、ください?」
「やだね、遊ばないよ」
気持ちは変化しつつも、なかなか行動に移すのは難しくて、つい無愛想になってしまう言葉にあびがシュンとした。
嗚呼、またやってしまったと後悔しても遅い。
歩み寄ろうにも此方側がこうも敵対していれば、進むものも進まないだろう。
また泣かせてしまうのか、溜め息を吐けば、
「うんっしょ、」
「?」
何故かあびが清光のすぐ側へ、よじ登ろうとしていた。
「何してるの?」
「うえいきたいの、です」
「なんで?」
「のぼりない」
イマイチ質問の回答になっていない返しをされ、訳の分からない清光の脳内ははてなマークでいっぱいになる。
しかしまぁ、こう、頭の上付近で登ろうとわちゃわちゃされると、気になって仕様がないので、
「よっ、」
「うひゃ!」
少し身体を起こして、あびを引っ張り上げた。
「お、おーのぼりりた!」
両手を上げて歓声を上げるあびに、くだらないともう一度目を閉じる。
ここで他の連中なら「良かったねぇ」と一緒に喜ぶのだろうが、生憎とそんなことが素直に出来ていたら、今頃悩んでなんかいない。
子供相手に寂しさを紛らわす為に当たる等、我ながら良くないとは思う。
だから極力なんとかしようとはしているのだが、どうにも減らず口ばかり叩く己の口。
仕方ないのだ。
駄目なことは駄目と、そう誰も叱ってくれないのだから。
「(虚しい……)」
いっそ憎まれ口でも良いから、誰かに愛されていると実感したいのに。
黒い感情が胸の内を占めそうになれば、
「いーこいーこ」
「…………………何、」
清光の頭のすぐ近くに座り込んだあびが、清光の頭を撫で始めた。
その行動の意味が分からず呆気に取られていれば、
「こーね、あびおひざにのんのんできないの、です」
自分の膝をポンポン叩いてそう主張する。
まぁ、そうだろう。
短刀ならまだしも他の刀の頭を乗せるには、些かあびの膝は小さ過ぎるから。
「だからなんだって言うの?」
そう聞いてみれば、一瞬黙ってからポツリポツリと話し出した。
「ねーねがね、あびなくと、こーしていーこいーこしてくれたの」
そんなの言われなくたって知っている。
この本丸で、誰よりもあの人に撫でられたのは他でもない自分だ。
「俺泣いてないけど」
「うん、でもないてる」
泣いてないと言ったのに、泣いていると返された。
この少女が何をしたいのか、本当にさっぱり意味が分からない。
「あびにいーたいことある?」
清光を撫でながらあびがそう言った。
そんなの幾らでもある。
第一に、どうしてこんなことするのかとか。
何の為にいま自分の傍に居るのかとか。
そう言う質問を聞こうと思ったのに、気が付けば、
「本当にずっと此処に居るの?」
と、聞いていた。
「うん、いる」
「なんで?」
「ここにいれば、あびさみしくないから」
「でも、」と続ける言葉。
「かしゅーさんはさみしいね。どーすればいーんだろね」
撫でる手を止めずにじっとこちらを見詰める、あの人と同じ色の目。
その目の持ち主に、哀しそうな顔をさせてしまっていた。
今まで何度も泣かせてきたけれど、どうしてか今のこの顔が、一番辛くて堪らない。
「(ねぇ、主、)」
いま貴方は何処に居て、俺じゃない誰かを可愛がっているの?
俺は、
「(貴方とは違う人を主と呼んでも良いの?自由になっても、良いの?)」
この本丸で貴方が帰ってくるまで待つと言う鎖を、振りほどいてしまっても。
「ねぇ、清光。私には妹が居るのよ。だからもし私が居なくなっても、今度はあの子が私の代わりに貴方を愛してくれるわ、絶対に」
「……………………あびは俺を捨てない?」
「そーすればかしゅーさんはさみしくなくなる?」
「うん、なくなる」
「なら、ずっといっしょいる」
「………………………約束だよ」
あびの前に小指を差し出せば、迷いなく清光の小指に、あびの小指が巻き付いた。
「かしゅーさん、いっしょ!」
「ん」
きっと全部を理解するには時間が掛かってしまうだろうけど、この笑顔を曇らすことだけは、もう二度と絶対にしちゃいけないと、清光はそう誓う。
兎にも角にも、
「ねぇそのさ、[かしゅーさん]って止めてくれない?あと、変な敬語も」
「あぅ、どしよ?」
「普通に呼びたいように呼べばいいでしょ」
「きよちゃん?」
「………………なに」
「きゃあ〜」
「ちょっと纏わり付かないで擽ったいから!」
山がひとつ、崩れたようだ。