□おひさま紙風船
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春は花を連れてあっと言う間に来る。

まだ時間があると言った自分の言葉を思い出してみて、それから、あびが赤いランドセルを背負うのを、随分早いと思ってしまった。



「え、何?この大量の冊子」

「あびの教科書」

風呂敷の上に置かれた教科書の塔を目にした安定が絶句の声をあげれば、寝そべって「こくご」の教科書を見ていた清光が答えた。

「教科書?」

「なんだっけ、学校?ほら、学び舎で使うんだってさー」

頁の捲る速度が比較的遅いので、割としっかり読んでいるらしい。

「これ全部?」

「うん」

「いや、あび絶対持てないでしょ。どうすんの?」

積み上げられた紙の冊子は、それら全てを合わせると相当な重量になってしまうだろう。

これを果たして全て、あの小さいのが持てるのか否か。

答えは万に一つもなく「否」だと思う。

「知らねーよ。あれじゃん?アイツが何とかすんじゃない?これもいつの間にか届いてたし」

「はぁ…………で、あびは?どこにいんの?」

当の教科書を使う本人が見えずに辺りを見回せば、

「奥の間。燭台切が体操着とかのサイズ確認させてる」

「体操着?」

「たぶん道着みたいなやつ」

「ふーん」

やる気のない清光の声が返ってくる。

「それそんなに面白いの?」

「いや別にー。殆ど平仮名ばっかなんだけど、なんか、懐かしいなぁって」

「あー…………」

思い当たる節があり二三度頷けば、不思議と自分も気になってくる紙の束。

「僕も読もうかな」

「えー……言っとくけど「こくご」はまだ俺が読んでるから他にしてよね」

「はいはい」

素っ気ない返事に素っ気ない声で返して、さぁどれに目を付けようかと手を伸ばした。



所変わって奥の間。

何やら悩んでいる顔の燭台切と、何かに引いた顔の薬研が口を開く。

「また末恐ろしい程に大将にぴったりだったな」

つい数分前まで、喜んではしゃいでいたあびの姿を思い出す。

寸分の狂いも無くきっちりあびサイズに仕立てあげられていた体操着からは、何やら恐ろしい気配を感じて「気付いてはいけない気がする」と、考えを払拭するのに苦労した。

「あの人あびちゃんのサイズいつ測ったの?僕知らないって言うか許可した覚えないんだけど……。え、これ訴えて良いのかな?」

内心、

「(あーあーやっぱ流せねぇか。そうかそうだよな)」

と思いつつ、

「目に光無くなってんぞ燭台切の旦那。それに万が一訴えたとして、あんたが今持ってるデジカメでついさっきまで撮りまくってた大将の写真がある限り、大幅にあんたの方が不利になると思うぞ」

と返せば、

「だって撮るでしょ」

と、真顔で見られて苦笑する。

「まぁ気持ちは分からんでもないがな」

内密にあびの写真を幾つか所持しているだけに、あまり否定も出来ずに、今回はいったい何を渡せば取引完了になるのだろうかと思案を巡らす薬研だったとかそうでなかったとか。



「出席番号__番、向谷あびさん」

「はーい」

あびの部屋に一番近い縁側からは、妙に作ったお澄まし時のあびの声が聞こえてきた。

正座した太郎の上にいつも通り乗っているあびが、上を見上げながら右の手を伸ばしている。

そのあびを見るように首を曲げた太郎は、

「………………慣れました?」

「ちょぴっとだけ」

へらっと少し元気のない笑顔が返ってきた。

明日「入学式」に参加するあびは、同業の者ですら怖がる大の人見知りなので、前もって太郎と自己紹介の練習をしていたのだ。

「「大きなお返事をしましょう」とは、また個人によっては難のあることを強制する所なのでしょうか学校とは」

入学式の必要事項が書かれた紙の、にっこりマークと太字で強調された文を読めば、

「???」

下から首を傾げたあびの視線がぶつかる。

「お返事、上手く出来ると良いですね」

なるべく優しく聞こえるように言うと、何故か不安気な目が返ってきた。

「…………あのね、」

「はい」

ぎゅっと掴まれた衣と、しばらくの間の後に、

「たろちゃんいっしょだめ?」

そう続いた言葉は、最近ずっとあびが繰り返し繰り返し太郎に言っていることだった。

「ですからそれは、」

「どしても?おねがいしてもだめ?」

「駄目、と言うよりは無理でしょうね」

泣きこそしないものの、潤み始めた視線が縋るように自分に向かう。

「たろちゃんいっしょじゃなきゃできない…………」

そう言われても。

「上、さんに駄目だと言われたでしょう」

何度もお願いしては、その都度駄目だと言われているらしいし、一度それを目の前で見もした。

どう頑張っても余程の特例が無い限りは無理なのだそうで。

「うんでもね……あびたろちゃんといっしょいたい…………」

それをどんなに説明しても、ごねてなかなか納得してくれないあびは、学校へ行くこと自体は楽しみにしているようで、先程体操着を着た時などは楽しそうにしていたが、それでも日を追うごとにどんどん融通がきかなくなっていった。

普段我が儘もほとんど言わない聞き分けのいい子なだけに、極力お願いは聞いてやりたいのだが。

「共に行けない分、変わりに必ず毎日一番初めに「おかえり」と「いってらっしゃい」を言うと約束しました」

「でも……」

「勿論あびの好きな抱っこもなでなでも、毎日気の済むまでします」

「……………」

これからの話をする際に、あびと交わした約束について言えば、小さく頷いて、それからちらりと向けられる眼。

「分かりました。それならあびが帰ってくる頃に、私が行ける限界の所まで迎えに行きましょう。これでも駄目ですか?」

「まいにち?」

「ええ」

「いっぱいぎゅってしてくれる?」

「ええ、必ず」

「あびがいいよっていうまでだっこは?」

「分かりました」

「………………わかった、がんばる」

「良い子です」

前の主がいなくなって、それから妹と名乗るこのあびが来て、今までに色々なことがあった。

小さいことも大きいことも、その全てはあびを関係して始まったことばかりで、時間が足りないのではないかとさえ思ったこともあった。

それでもやはり思ってしまうのは、

「………………早いですね」

「うん」

一番初めに触れられたのが己で良かった。
一番初めに味方になって良かった。
一番初めに頼られて良かった。
一番初めに助けてあげられて良かった。

貴方の一番初めに嬉しい顔を見られたのが、
私は一番嬉しい。

人の言う感情を把握しきれている訳ではないけれど、だけどそれが堪らなく嬉しいと、それだけは言えるから。

何度も振り返りながらゆっくり進んで行く後ろ姿が、走り抜けるのが当たり前になっても、いつも誰ともなしに言っている「陽の光」によく似た存在。

あびの言葉で言う、おひさま。

紙風船と同じまんまるいそれが、どうか握り潰されてしまわないように、大事に大事に全てから守っていく。




これからも。







【おひさま紙風船(完)】
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