〓
□おひさま紙風船
13ページ/33ページ
少し時間のかかる任務だからと、まだ月の上っている真夜中に本丸を抜けて、帰って来たのは空の茜がそろそろ色を暗く変えそうな刻だった。
再び目覚めてから今日まで、あの小さい生き物が縋れるのは自分しか居ないからと、なんだかんだ遠征に立ったことはなかったが、最近は皆とも随分と仲を深めたようで、起床と就寝以外であびがやって来ることも無くなった。
きっともう己は前ほど必要とされてはいないだろうから、離れても大事無いだろうと、そう過信していたが、
「うわーんたろちゃぁぁぁ!!!!」
遠征から戻り門を潜った辺りで、あびが泣きながら駆け寄って来て、飛び付くように抱き着かれた。
「あび?」
何故泣いているのだと、疑問をかけようにも、大泣きのあびはそれどころじゃない。
ずっと泣くのを見てきたが、過去最高に泣いているんじゃないかとすら思うほどの号泣っぷりに、太郎太刀は困惑した。
「おー、やっぱり旦那のところに行ってたか大将」
あびの来た方向から歩いてきた薬研は、太郎太刀に抱き付いて嗚咽を溢しているあびを見てそう言う。
「やっぱり、とは?」
「ん、あーちょっと悪りぃ。おい!大将居たぞー!」
後方に向かって呼び掛ける薬研を余所に、ひたすらすんすんと泣いてばかりのあび。
決して離してなるものかとぎゅっと力を込められても、その細腕では対して苦しくもなかった。
「あびちゃん!急に居なくなっちゃ駄目でしょ?!」
留守の間、一時的にあびの近侍を頼んだ光忠が慌てた風にやって来たが、未だ上手いこと状況が掴めていない太郎太刀。
とりあえず、
「あびを泣かせたのはどなたですか?」
またこの子を苛めたのかと若干視線が強くなってしまったが、
「いや、大将を泣かせてるのは旦那だぜ」
「うん、間違いなく太郎くんかな」
「たろちゃぁぁぁぁ」
予想外の返答が返って来てしまった。
「私……がですか?」
泣かすも何も今日一日本丸に居なかった自分が、どうあびを泣かすと?
疑問のランクが上がったが、割とあっさりその疑問は解決してしまう。
「太郎の旦那、大将に黙って遠征行っちまうから」
「もーあびちゃん一日中落ち込んじゃって最終的に泣き出しちゃって、もう凄かったんだよ……」
と、脱力しながら言う面々に、何があったのだと問いただした。
事が起こったのは今日の早朝からである。
◆
「あびちゃんおはよう、起きて」
「ぅ〜…………」
寝惚ける数分前にやってくれば、もぞもぞ蓑虫のように掛け布団に包まったあびが呻く。
夜、あびが寝ている間に、まるで逃げるように遠征へと向かった太郎太刀からあびの世話を受けた光忠は、二つ返事で了承した。
「あんまり寝坊助さんだと擽っちゃうよ?」
「くしぐりやぁ〜ってゆってるのたろちゃ…………………じゃない」
パチパチと瞬きを繰り返したあびが、何とも形容しがたい不思議な表情のまま硬直する。
目の前で手を振ってみても、「なんでお前が此処にいるんだ?いつものはどうした?」みたいな空気だけが止まらない。
「みっちゃん……、」
ようやっと出てきた言葉が、
「たろちゃんは?」
と続けば、「昨日の夜から遠征に出ているから、帰ってくるのは今日の夕方かな」そう答えを返した。
「………………………………そう」
それから、あびがずっと俯いたまま動かなくなってしまった辺りで、自分が失言してしまった事に、光忠は気付く。
「あ、っと、でもほら!!夕方なんてすぐだから!!」
「………………うん」
「太郎くんすぐ帰ってくるからね?大丈夫だよあびちゃん」
「…………………うん」
「(駄目だ落ち込んじゃってる)」
あからさまに分かる負のオーラに、慌てふためくも時すでに遅し。
それでもいつも通り皆と会えば、元に戻ると思って大広間に連れて来ても、
「た、大将?どうした?」
「……………」
「なんかほら、太郎くん遠征行っちゃったから」
「あー」
項垂れたままのあび。
いつもの天真爛漫さはどこに行ったと、苛められていた時期ですら、こんなにも落ち込んでいるところを見たことがない各面々は動揺する。
「よ、よし!今日は俺が太郎の旦那と思って良いぜ大将!!」
「………………………ん」
「駄目か、次、大和守の行け!」
偶々近くに偶々居た安定が巻き込まれ、苦肉の索で、
「ぅえっっっ?!あー、首落ちて、」
と始めたところで流れが決まった。
「チェンジ!!!!駄目でしょ首落としちゃ!!!!赤い方、加州くん!!!!可愛い方行こうか!!!!」
「俺っっっ?!あび、えっと……………………」
「そんなに焦らなくても大将は壊れない!!!!次、あ、大倶利の旦那なら!!!!」
「馴れ合うつもりは……」
「馴れ合って!!!!今だけでいいから素直に馴れ合おうかくりちゃん!!!!」
「わ…………分かった。あび?」
「………………………」
「あ、駄目だ、あびちゃんの方が馴れ合うつもりがなかったね。ね、そんな落ち込まなくても、皆一緒だから!頑張ったよくりちゃん頑張った!!!!」
「…………………嗚呼」
「次…………は、」
「仕方ねぇなぁ、俺が行こうじゃねぇか」
「かっこいいよ兼さん!!!!」
「…………………………」
「無理だな、次!」
「ちょ、諦めるの早くねぇか?!」
「大将、旦那のこと見向きもしてねぇしなぁ」
「うっ、」
「あびや、じじいと遊ぼうか。な?」
「…………………あそばない」
「三日月さん!?誰か!手入れ部屋連れて行ってあげて!!!!」
何人かを捌いた後に、腕を組んだ薬研は、
「こりゃあ駄目だな」
とポツリとこぼす。
「あ、次郎くんは?ほら、だいたい似てるし」
「今日の出陣組だ」
「あー…………」
詰んだ。
その内我慢の限界だったのか、あびの背から、くすんくすんと嗚咽が聞こえ始める。
他の者が遠征に行った時は、それでもまぁ寂しそうにする程度で「行ってらっしゃい」と見送ってくれるが、
「まだまだ僕達太郎くんに負けてるね」
「嗚呼」
離れることで泣かれたことのない自分達はと、多少悲しくも思ってしまう。
「ま、頑張ろうぜ」
「うん」
まだ道は充分にあるのだからと、決意し直した。
◆
「と言うことがありまして、」
「はぁ……」
「あの後帰って来た次郎くんでも駄目であの手この手を使っている内に、」
「旦那が帰って来た音聞き付けた大将が飛び出しちまったんだ」
「そう、ですか」
いつの間にか首に巻き付いたまま離れない小さい背を柔く抱き締め返しながら話を聞いていた。
「あび、あびはまだ私が必要ですか?」
「たろちゃんいや。かってにいなくなっちゃいや」
「分かりました。もう二度としません」
「いなくなっちゃやだよ」
「居なくなりません。ずっと傍に居ます」
自分の役目は終わりだと、そう思うのが無駄な杞憂なほどに求めてくれるのなら、その心に従おうと決める。
打倒太郎太刀の壁は厚いと、各々に溜め息を吐きながらも、大小凸凹の二人を見守った。