小説

□とっくに惹かれていた恋に気づく瞬間。
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「誰かの命の犠牲の上に成り立つ幸せなんて本当の幸せなのですか?」

私の言葉が彼を追い詰めている。
でも…投げかけずにはいられなかった。

だってどうしても私には分からなかったから。



今日も彼の帰りは遅い。
特に今日は遅い。

いつもならとっくに帰ってきているはずなのに…。
昨夜は言い過ぎてしまったかしら…。
避けられているのかしら…。


私は彼を観察している。

人を斬った後、どんな姿で帰ってくるのか。
私の予想を彼はいつも裏切る。



鬼だと思った。

この世の者とは思えぬ鬼かと思っていた。


ソレはとても痛々しい鬼だった。
他人を斬ったのにまるで自分が斬られたみたいに泣きじゃくるただの少年の鬼だった。


決して涙を見せない鬼だけれど。



「雨……。
今日もきっと泣きながら帰ってくるわ…彼…。」


昨夜は言い過ぎました。
ほんの少しなら優しくしてもいいから早く帰ってきて下さい。


そんなこと、言えないけど。



雨が降りだした夜中過ぎ、
彼の繕いをしながら
彼の部屋で窓の外を眺めて…
彼のことばかり考えていた。



ドタドタドタ…

こんな夜中だというのに部屋の外が騒がしい。
飯塚さんや片貝さんや他の志士たちの騒がしい声が聞こえる。

「緋村が!?いまどこにいるんだ!?」
「それが行方が分からず…」
「緋村は無事なのか!?」
「向こうの刺客は誰なんだ…!」
「まさか護衛を…」



緋村さん…?

気になって襖を開けると飯塚さんたちと目が合った。

「巴ちゃん!!こんな夜中にすまねぇな…!」
「緋村さんがどうかなさったんですか?」
「相手の護衛に返り討ちに遭ったらしい…緋村のことだからヤラれてはないようだが…
相当の深手を負ったらしい…」

「緋村さんは今どこに?」

「わからねぇ…検分役が途中まで一緒だったらしいが…ヤリ合ってるうちに見失っちまったと…」

「おい!飯塚!!」
他の志士が慌てた様子で話を遮った。


「俺らは長州藩邸へ行ってくるぞ!逃げ込むならあそこしかない!!!」
「ああ、俺も心当たりを探す!」

「飯塚さん!私も緋村さんを探しに……!」
ガッと飯塚さんは私の両肩を掴む。

「いや、巴ちゃんはここに残ってくれ。あいつならここへ戻ってくるかもしれねぇ…誰も居ないのは不味い。」

「早くしろ!!」
志士に怒号を浴びせられた飯塚さんは私に落ち着くように慎重な口調で言う。

「大丈夫だ巴ちゃん。あいつが帰ってくる場所は…おまえさんのところしかないはずさ。
そんなに震えなくても…大丈夫さ。あいつは強い…!」


飯塚さんに言われて初めて気づく。

震えて……?私が…??
震えが止まるように飯塚さんに強く肩を掴まれて気づく。

私、震えていたの?どうして…?
頭の中で気づいてはいけない警笛が聞こえた気がした。



彼がいつ帰って来ても分かるように、
私は激しい雨の中、傘を差して立っていた。

彼は大怪我をしているのだからすぐ手当出来るように…自分に理由をつけて。


暗闇の中ずっと立っていた。



微かに闇が揺らめいた気がした。

「緋村さん…?」
吐息のように呟いた。

血の匂い。
暗闇から緋い髪とボロボロの着物と足を引きずりながら彼が現れた。


闇でも映える緋い長い髪はだらんと前に垂れていて顔がよく見えない。
身体の至る所、着物を引き裂かれ出血している。

こんな雨の中…ずぶ濡れで…血の匂いが蒸せ返るほど…。


私の気配を感じて髪の隙間から彼の片目が私を捉える。

ゆっくり…ゆっくり…引きずる足で私に近づいてくる。


私は傘を差しながら動かない。
近寄ろうともしない。

彼が全てに傷ついてるのが解る。
でも私はなにも出来ない。
無力だわ。



…でも、ただ一言伝えたかった。

「おかえりなさい」

もう彼は私の目の前にいた。

私の一言に彼は一層、顔を歪ませた気がした。
瞬間、強く強く抱きしめられた。

差していた傘が落ちる。
ザァーーという雨の音がより強く聞こえてきた。
傘だけ無造作に地面に落ちている。


激しい雨の中…私たちは二人とも濡れた。
彼の血が私の着物も赤に染めていく。


抱きしめられながら彼と目が合う。
逸らせない。
お互いの髪から雨の雫が止めどなく流れ顔を濡らす。


「緋村さ……」
声を彼の唇で塞がれる。


唇が切れているのか、血の味がした。


最初はぎこちなく…
だんだん深く貪るように激しく…やがて舌と舌が絡みつくほど激しく。
雨の音とお互いが交わす唾液の音が耳につく。


「はぁ…はぁ…」
唇を離して荒い吐息を吐く。
彼と私の視線が絡み合う。


深い傷を負っているのも忘れて
激しい雨で濡れていることも忘れて
瞳を閉じればまた
何度も唇を深く塞いだ。


彼との初めての口づけは梅雨の頃だった。
雨と蒸せ返る血の匂いと血の味だった。
闇に映える赤一色の世界に二人きりだった。


口づけの後、息も絶え絶えに彼は言う。

「君を汚してごめん…」

































おまけ

急いで傷の手当をしようと肩を貸しながら彼の部屋に入った。

簡単な応急処置だけはし、彼を布団に寝かせた。
下で飯塚さんたちの帰ってくる音がした。


報告だけしようとその場を離れようとした瞬間、腕を強く掴まれた。

「巴……サン」

ビクっと身体が震えた。
あの人と同じように呼び捨てで呼ばれたのかと思い一瞬、驚いた。
振り向くと彼が真っ直ぐ私を見つめている。

「俺のそばにいてくれないか?…今だけでいいから。」

「大丈夫です。居ますよあなたのそばに…」

今だけは……。


私は馬鹿だわ。
誰かの犠牲の上に成り立つ幸せがあることを
知ってしまったから。

とっくに惹かれていた恋に気づいた愚か浅ましい女だわ。

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