陸の夢

□家族との日々は続いて
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ある日。才華はゆっくりと起き上がった。もどかしいほどの遅さで歩いて、寝台から一番近い柱まで行く。その程度の事なのに全身が鉛のように重かった。
「才華ちゃん、こっちこっち! ここまでおいで」
譲葉が手招きする。その横には玖琅と黎深もいた。才華は短い足を懸命に動かして歩いた。譲葉の所まで行って、その腕に掴まる。
「あー?」
舌足らずな言葉が漏れた。途端に周囲から視線が集まる。
「あ、喋った!」
「才華……! 勿論君は私の名を一番に呼ぶよね? 絶対に!!」
「黎兄上、煩いですよ」
(……これはあれかな、一番に「誰」を呼ぶか気にしてるのかな。別に誰でもいいと思うけど)
才華は譲葉に支えられながら、そっと辺りを見回した。最初に呼ぶ人。
(……皆、本当に気にしてるみたい。大したことじゃ無いのに)
黎深など、物凄い期待の視線を向けてくる。痛いくらいだ。
(.......まあ。他の人には別の、もっと普通な子供が呼んでくれるような機会もあるよね。でも、黎深さんは無理だろうなー)
そう考えて、才華は黎深を一番に呼ぶ事にした。とっておきの微笑みを浮かべて、口を開く。
「レイー」
彼をしっかりと見つめて、そう声に出した。静寂。後阿鼻叫喚。
「ほら! ほらやっぱり私を呼んだ! 偉いよ才華!」
「ええー……なんでそこで黎深……いや良いけどさ……」
「黎兄上の悪影響が……」
狂喜乱舞する黎深の横で、譲葉と玖琅がガッカリしていた。才華は慌てて言葉を接いだ。前世を思い出しながら、精一杯考えて。
「だ、だいじょうぶ、です。ユズリハさん、クロウさん。わたし、おふたりのことも、だいすきです」
すると、三人とも目を点にした。
「……えっと、才華ちゃん、君ホントに子供?」
譲葉の目に『疑念』が浮かぶ。才華は一気に思考が冷えるのを感じた。
(馬鹿じゃないの、私?! 生まれたばかりの子供がこんな言い方するわけないじゃない!)
自分のうっかり加減を呪ったが、最早手遅れだった。放った言葉は戻ってこない。才華はすがるように譲葉を見上げた。
「あ、あの、えっと、ちが、わたし、わたしは……」
ぎゅっと譲葉の腕を掴む手に力を込めて、必死に言いつのる。
「あの、わたし、じつはぜんせのきおくがあって。だから、つい、こどもらしくないことをいって……。ごめんなさい、これからきをつけます。だから、だから、あいしてください。たいせつにしてください。いままでとおなじように。おねがい、します……!」
一瞬にして、その場は静寂に包まれた。


譲葉は凍りついた。『今までと同じように』。才華はこの年で既に、玖琅と黎深の分かりにくい愛情に気付いているのだ。しかもそれを向けられる事を望んでいる。
(……これは……ちょっとマズイ、かも……)
恐る恐る見ると、黎深と玖琅は目をカッと見開いていた。譲葉は頭を抱えた。──遅かった。
「才華ちゃん……君、これから大変だね……」
紅家の、特に男の愛情は、まさに山より高く海より深い。ただし非常に分かりにくい。それをこんなに正確に理解する人間など、そうは居ない。しかも才華は理解した上で『今まで通り』の愛情を望んでいる。ただでさえ毎日会いに来るほどに好かれているというのに───
(……『今まで通り』どころか今まで以上に愛されるよ、才華ちゃん………)
そしてその愛情は、とんでもなく重い。黎深の場合は更に迷惑も追加される。譲葉はこれからの才華の苦労を思って、内心で溜め息を吐いた。


一方才華は、いきなり静かになった三人の様子に慌てた。咄嗟に前世の話をしてしまったが、子供の言葉だと流してくれるだろうか。いや無理だな。この家、子供の言葉でも真剣に聞く大人ばかりだから。せめて嫌われないようにはしたいけれど。どうしたら良いのか、全く分からない。オロオロしていたら、黎深に抱きすくめられた。反射的に硬直する。幸いにも黎深はそのことには頓着せず、才華の頭を撫でた。
「愛してるよ、才華。大丈夫。私が君を嫌いになる事なんて、未来永劫有り得ないからね」
と、すかさず玖琅がムッとした表情で言う。
「才華。私もお前を愛しているからな」
正直、ちょっと重いような気はした。それでも、やっぱり、家族に嫌われなかったのは幸せなことだったので。才華は嬉しげに見えるように、頑張って笑った。譲葉はそんな才華の笑顔を見て、ちょっと安堵した。……この調子なら、とんでもなく重い愛情にも耐えられるかもしれない。
「才華ちゃん、良かったね。あ、勿論ボクも君の事が大好きだから、安心なさい。……ところで前世って何?」
そしてすかさず話を変えた。このままでは黎深と玖琅がまた喧嘩になると思ったから。譲葉の言葉に、才華は真顔になった。
「……こどものいうことだからって、いわないんですね」
真っ直ぐに見詰められて、譲葉は頷いた。
「うん」
才華は譲葉の目に『疑念』が見えなくなった事を感じた。ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なにがあってそうなったのか、わかりません。でも、わたしはいちどしにました。……えーっと、どうしてだったかは、……おぼえてないんですけど。そうして、きづいたらめのまえにユズリハさんがいたんです」
自分の死を淡々と説明する才華の様子に、譲葉は冷や汗を流した。
「……へ、へえ。前世の才華ちゃんってどんな子だったの?」
「ほんがすきでした。たくさんよみました。べんきょうもすきでした。ちしきはちからになるので。おかあさんといっしょにいられたら、それだけでしあわせでした」
「……お父さんは?」
「さあ。わたしはあまりよくしりませんが、おかあさんがずっとだいすきだといっていましたから、いいひとだったのはまちがいないとおもいます」
「……そうなんだ。……ねえ、才華ちゃんのお母さんってどんな人だったの?」
「わたしをだいじにしてくれて、あいしてくれました。わたしのいえはおかねがなかったので、おかあさんはまいにちよるおそくまではたらいていました。わたしはごはんをつくったりして、おかあさんをてつだっていました」
「……偉い子だね」
譲葉は思わずそう呟いていた。才華は首を傾げた。
「……? えらい、ですか? しなければいけないことをしていただけです。おかあさんといつまでも、……いっしょに」
才華はそこで落ち込んだ。
「……いっしょにいようとおもったのに、いられなかった。わたしがもっとつよかったら、きっといつまでもいっしょでいられたのに」
譲葉は才華の言葉に目を細めた。……聞けば聞くほど、前世という言葉が真実味を帯びていく。
「……才華ちゃんはこれから何か、したいことはある?」
「じをまなびたいです。まずは、ユズリハさんたちのおなまえのかんじを。それから、ほんをよみたいです」
生母とは正反対だと、譲葉は思った。どちらかと言えば体を動かす方が好きだった紅令とは。玖琅が無言で筆と硯と紙と墨を持ってくる。黎深もやはり無言で本を置いた。それから、才華の新しい人生が始まった。
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