波紋の音

□第二話
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 夏の夜は気温が下がる。群青色の晴れやかな空は深い藍色に移り変わって塩を撒いたように無数の星が瞬いていた。
 これより、夜戦に出陣する。
「なんで小兎丸がいるんだ?」
 表門にて、短刀の二人が馬の手綱を引いている中に飛びぬけて背の高い打刀が一人まぎれていた。
 小兎丸は、羽織紐を結い直すと愛馬に跨った。
「主の命です。俺も参戦します」
 意気込んでいるらしい。準備万端というふうに月明りでぼんやりと照らされただけの夜道の先を真っ直ぐに見つめて号令を待っている。
 薬研藤四郎と今剣は顔を見合わせた。
「いやいや、待ってくれ。夜戦は短刀と脇差だけで攻略するって話だろ?あんたは打刀じゃないか」
「そうですよー。いくらあるじさまのめいれいだっていっても、ぶたいに小兎丸のなまえは…」
「此度の戦隊の編成は主がされました」
「あー……なるほど、了解」
 普段、部隊の編成は現近侍でもあり審神者代行でもある小兎丸の仕事だった。しかし、数日前に熱中症で静養していた彼を見た審神者が本来の仕事をした結果こうなったのだ。
「どうして誰も止めなかったんだ!」
「しかたないですね。あるじさま、しごとはできないけどこうどうは、はやいですから」
「だよな……」
 我らが主のやる気がから回ってしまうのは、いつものこと。そして、小兎丸の実直さもまたいつものことだった。
「博多兄さんが来たらすぐに出陣しましょう。面目ありませんが俺は夜戦が苦手ですので戦地に赴くだけでも時間を要しますから」
「大将の命が大事なのは分かるが、あんたはもっと自分を大事にするべきだぜ。小兎丸」
 主命を最優先事項とする小兎丸の心情は、それがどんなに己に不利な条件だとしてもこなしてみせる堅実なものだ。忠実と言ってしまえばそれで終いだが、危険を顧みないその姿勢は見ている者を不安にさせた。
「そういや、今回の戦には博多がいるのか?いつもは愛染と後藤、にっかりの旦那に浦島の旦那だけどな。まあ、大将が組んじまった以上めちゃくちゃな編成になっちまってんだろうが…」
 大太刀を担いだ蛍丸が現れるのを想像して薬研は一人ふき出した。もしかしたら、審神者御自ら出陣するかもしれない、と行き過ぎた想像に頭痛がしてきたところで小兎丸が口をはさんだ。
「夜戦部隊で集まっていないのは博多兄さんで最後ですが」
「んん……?」
 薬研は、数える。不気味な大型の黒蝶を一心に追いかける今剣、馬上で定刻を過ぎても現れない博多を待っている小兎丸、そして未だ現れる気配のない博多。最後に己を含めて指を四つ折った時、もう数える隊員がいないことを知った。
「せめて人数合わせしてくれ……」
「兄さん?!しっかりしてください!」
 六人いても怪我人の出る厳しい夜戦にたった四人で出陣する現状が残酷で薬研は、膝から崩れ落ちた。
「すみません兄さん…俺の体がなってないばかりに主に迷惑をかけた末、薬研兄さんがこんなことに……」
 薬研の肩を抱く小兎丸は、辛そうに顔を歪めた。直接的ではないといえ、薬研が出陣を前にしてひん死の状態になってしまった原因の発端にある自分を責める他ない。
「はは……小兎丸が謝るこたーねぇ。悪いのは大将だ……つっても、大将にも悪気はねぇからな。ほんっと、誰も恨めやしねぇ」
 小兎丸の手を借りてなんとか立ち上がった薬研は、馬に飛び乗った。
「あんたも乗りな。博多ももうすぐ来るだろう。そしたら出陣だ」
「兄さん…」
「どうせ、主の命令は変えられないって増援はしねぇんだろ?なら、俺っち達でさっさと行って何食わぬ顔で帰ってきてやろうぜ」
「………はい…!」
 この戦の布石とするものがないというのに強気に笑ってみせる薬研に小兎丸は、心から感謝し憧れを抱いた。
 袴についた土埃をはらって落とし馬にまたがると、ようやく待ち人が駆けてくる音が聞こえてくる。大きな足音からは慌てている様子が伝わってきて、転げやしないかと振り返った時だ。
「小兎丸ーーー!!!」
 小兎丸は、視界を覆われ悲鳴をあげる余裕もなく落馬した。
「小兎丸!?」
「なになに、なんのさわぎですかー?」
 馬から降りて駆け寄る薬研の後に蝶々を取り逃がした今剣が続く。小兎丸は、受け身をとったのか怪我をしている風もなく、ただ自分の上に乗っかっている人物を睨みつけていた。
「なんで何も言わずに行くんだよ!出陣するときはいつも言ってって言ってるだろ!」
 言わずもがな、小兎丸に馬乗りになっているのは鯰尾だった。小兎丸が見当たらず探しているところ、夜戦に編成されていたという情報をつかんで飛んで来たらしい。その目は、怒りから吊り上がっていた。
「おいおい、鯰にい。何も落馬させてまで言うことじゃねぇだろ。小兎丸は、夜戦は初めてなんだ。どいてやんな」
「…………」
 薬研に肩を叩かれて少し落ち着いたのか立ち上がる鯰尾。しかし、その顔から怒りの感情は消えていない。小兎丸が立ち上がって着物についた砂を払っているのを見ると、静かにつぶやいた。
「心配なんだ」
「小兎丸が夜戦に不向きだからか?」
「それもある」
「………あと何があるんだよ」
 ため息混じりに問う薬研だったが、その声音は優しいものだった。鯰尾は、なかなか取れない汚れを気にしている小兎丸に近づき、そのクセのある髪に絡まっている葉っぱをとってやった。
「小兎丸がそばにいないってこと。俺、ずっと小兎丸のそばにいないと駄目なんだ」
「俺はもうお前の教育を必要とする子供ではない」
 髪を撫でてくる鯰尾の手から逃れるように再び馬にまたがった小兎丸は、それこそ子供のように言い放った。鯰尾は、その不機嫌な顔を見て自然と笑みをこぼす。
「そうだけど、俺にはお前が必要なの。だから……」
 鐙に足をかけた。
「俺も行きます」
「まぁそうなるわな」
 予想できたことだからこそ頭を抱えずにはいられない。聞けば、博多は鯰尾と交代したものと思っているようでここには来ないのだとか。
 薬研は、諦めて自分の馬に跨った。
「でも、ふたりのりはやめたほうがいいんじゃないですか?」
 小兎丸の前に座った鯰尾は、手綱を持てないため支えとなるものがない。しばらく顎に手をあて悩んでみる。
「これで大丈夫」
「…………」
 両足を左側に投げ出し小兎丸の腰に手を回すことで振り落とされないという寸法だ。薬研と今剣は、何も言わない。ただその細められた瞳は「そういう問題じゃない」と物語っている。
「何が大丈夫だ。これでは、すぐに戦闘態勢に入れないだろう」
「小兎丸が戦う必要ないくらい俺が活躍するから大丈夫だって!」
「あのなぁ、お二人さん」
「「?」」
 全く真相にたどり着く気配がない小兎丸と鯰尾に募る憤りを、髪をかき乱すことで抑える。
「今剣は馬の心配をしてんだ。そりゃ戦用に訓練された馬だからそこら辺の馬より丈夫にできてはいるが、男二人を乗せていくらでも駆け回れるはずはないぜ」
「……それもそうですね。降りろ」
「えぇ、俺ぇ?!」
「待て。なぜ俺が降りるという選択肢があるんだ」
 最初から部隊に編成されている小兎丸の言う通りではあるが、鯰尾は頬を膨れさせるだけで頑として動こうとはしなかった。それどころか小兎丸に寄りかかっている。
「いいじゃん二人乗り!俺、一回小兎丸とこうして馬に乗って散歩してみたかったんだよね〜」
「なまずおさま、きょうはおさんぽじゃなくていくさにいくんですよー?」
「というわけだ。降りろ」
「いや!」
 これ以上何を言っても鯰尾が大人しく部屋に戻ることはないということは、この場にいる誰もがわかっていた。だからこそ、部隊長である薬研は提案する。
「今日は小兎丸もいることだし、ゆっくり行こう。そうすれば二人乗りしても馬の体力はもつだろうからな。何より鯰にいが帰っちまったらそれこそ戦力不足で俺っち達が辛い」
 異論を述べる者はいない。むしろ最後の言葉に今剣と小兎丸は「確かに」と頷いていた。
「じゃあ、行くぞ!」
 薬研の号令に各々返事をし、夜戦部隊僅か四名は暗闇の中を馬に駆けさせた。


「ここからは歩くぞ」
 目的地周辺になると建物が多くなり道は狭くなる。そのため小兎丸たちは、適当なところへ馬をつなぎ、無人の通りを歩いた。
 不気味なほど静かだ。人はおろか野ネズミ一匹いやしない。人間は寝ているだろうから不思議ではないが、夜行性の動物が辺りを餌を求めて徘徊していないのは気になった。
 生ぬるい風が吹く。
 本当にこの時代の人間は寝床で横になって夢を見ているのだろうか。あまりにも静かで、屋敷の中は無人なのではないかと思ってしまう。
「小兎丸、怖くない?手にぎってあげようか?」
「いらん触れるな」
 夜目がきかない小兎丸は、終始眉間に皺をよせて不機嫌な顔をしていた。遠くのものを見るように目を細めることで景色が見えやすくなりはしないかと考えてのことだった。兎にも角にも、普段と違う戦場にうまく対応できず苛立っているのは確かだ。
「……………」
 鯰尾は、いつにも増してつれない小兎丸の横を離れないように歩く。小兎丸は打刀。本来ならばこの部隊に配属されるはずのない刀だ。もちろん、夜戦には不利。視界も悪ければ建物が立ち並ぶ狭き道では、その長い刀身も存分に振るえやしない。強敵が現れれば怪我を負う可能性は十分にあった。
「三人ともちゃんとついてきてるか?」
 一軒の大きな屋敷の屋根の上を歩く薬研がこちらを見下ろしている。鯰尾は、目が疲れたらしい眉間をもんでいる小兎丸を見上げて手を挙げた。
「小兎丸はいるけど今剣さんがいません」
「もおおお!!」
 薬研は頭をかき乱した。
「出陣(デ)る前に蝶々追いかけてる時点で嫌な予感はしてたんだ……見事に的中万々歳だぜ!ちくしょう!!」
「うわッ、あっぶなー!落ち着けよ!」
 瓦を蹴り飛ばす薬研は、珍しく取り乱しているようだった。謎の部隊編成から始まり鯰尾と小兎丸の喧嘩の仲裁に加え自由奔放な今剣の暴走防止と、すべての面倒を見ているのだから精神的にまいっているのだろう。
 薬研に蹴り飛ばされた瓦は、石畳の上を何度も跳ね転がり、その身を砕けさせながら暗闇に飲み込まれていった。
「大将は大好きだが今日この編成をつくった大将は嫌いだ!帰ったら一億語の文句を聞いてもらうぞ!」
 そうと決まればさっさと敵を倒して帰るぞ、と布陣を偵察しに走っていってしまった薬研。それを見送った鯰尾は、肩をすくめた。
「主は今頃くしゃみと寒気を感じてるだろうね、小兎丸」
「うるさい」
「…………」
 話しかけても返ってくるのは、そっけないどころか明らかに鬱陶しがっている反応。鯰尾は、次第に苛立ちが募っていくのを感じた。
「小兎丸」
「うるさい黙れ」
「ッ」
 名前を呼んだだけでこの扱いだ。鯰尾は、抗議に出ようと大きく息を吸った、瞬間。
「むぐッ」
 大きな手のひらに口を覆われ暗闇に引きずり込まれた。
「?!……ッ?……?!!」
「静かにしろ」
「ッ!!」
 暗闇の中、密着した体にすぐ耳元で聞こえる声。自分の口を塞ぐ小兎丸の手の指の隙間から空気を吸い込むと愛しい小兎丸の匂いがする。
 鯰尾は、瞬間的に鼓動が速くなるのを感じた。静かにしろと言われたのに、早鐘を討つ心臓の音がうるさくて仕方がない。
「足音がする。兄さんたちのものじゃない」
 視界を思うように使えない小兎丸は、この短時間で聴覚を研ぎ澄ませることに長けていた。
「(やば…!)」
 足音なんて聞こえたものではない。自分の心臓の音ばかりが鼓膜に届いて、他の音は一切耳に入ってこなかった。
 頬にあたる猫っ毛が、全身を包み込む緊張で火照った体温が、久しぶりに触れる男らしい大きな手が、鯰尾の呼吸を奪っていく。愛しさと苦しさは紙一重。鯰尾は、小兎丸に心底惚れていることを再確認して、あまりの苦しさに飛び上がった。
「死ぬ!!!」
「?!」
 そう、本当に苦しかったのだ。鯰尾の鼻と口は、小兎丸の大きな手によって押さえつけられ空気の出入りを禁じられていた。
「馬鹿!小兎丸の馬鹿!殺す気かよ!!」
 危うく窒息死するところだった鯰尾は涙目で小兎丸を睨み上げ憤慨する。酸素不足だったその顔は真っ赤になっていた。
 一方、なぜ鯰尾が怒っているのか理解していない小兎丸は、突然の激情に苛立ちを増幅させた。
「うるさい黙れ!何度言ったらわかるんだ!静かにしていないと敵に見つかると言っている!」
「あーもー!小兎丸ってほんっと何もわかってない!俺の気持ちも俺の体調も!あと、俺の気持ち!」
「お前のことなんぞ知らん」
「はあッ!?もうどうしてそんなこと言うの?!信じられないんだけど!この鈍感刀!」
「さっきから一体何なんだ。女みたいな喋り方を…」
「女みたい?!小兎丸、女の人知ってるの?!なんで!!?」
「お、おい…」
「主か!主に教えてもらったんだ!?主め……小兎丸に卑猥なことを…」
「おい」
「戸棚に女人の裸体が描かれた絵巻が入っていたのを見てから嫌な予感はしてたんだ……って、まさかその絵巻見てないよね?小兎丸は何も知らないよね?純粋無垢な小兎丸のままだよね?」
「後ろを見ろ!」
「痛ッ!」
 頭をわし掴みにされて無理やり背後に首を回された鯰尾は、激痛と同時に衝撃的な光景を見た。
 禍々しい気を纏い、殺意以外なにも窺えない鮮血のように紅い眼窩から覗く瞳が二人を見下ろしていた。
「………………まいったなぁ」
 主が隠し持っていた絵巻に載っていた「キス」とかいうのをひとつやふたつ、しておけばよかった、と鯰尾は思った。

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