天下る幻

□四話・小話
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「ぬしさま」

 まどろみの中、自分を呼ぶ声がして空橋は重くてたまらない瞼を持ち上げた。

「……だからぬしさまじゃないって…」

 声は膜が張ってあるように鮮明としない。思考も霧がかかったように彷徨っていた。

「寒くはありませんか」
「別に…」

 布団の中は温かかった。ぽかぽかしていて、それが余計に眠気を誘う。

「しかし、手先がこんなにも冷えています」
「そうかな……なんか、すごくあったかいけど…………ん?」

 やけに近くから声がする。しかも左半身が特別温かい。それに加え誰かと手を握っている感触があった。
 空橋は、飛び起きた。

「なんで俺の布団に入ってるんだよ!!!??」

 空橋の悲鳴に起きてしまった刀剣たちは少なくない。

「しかも手!なんで握ってんの?!」
「温めてさしあげようと」
「いいよ別に!寝てるんだから冷たくても気にしないよ!」

 空橋は自分の布団に平然と潜り込んでいる小狐丸を血色の悪い顔で睨みつけた。

「ぬしさま、みなが起きてしまいますよ」
「誰のせいだよ!」
「? ぬしさまが大きな声を出されるので」
「俺が大きな声を出す原因となっているお前のせいだ!!」
「まあ、そうおっしゃらず」
「ひっ?!」

 手を引かれて布団に戻った瞬間、背筋をなぞる感覚に体を震わせる空橋。
 小狐丸は、その反応にほくそ笑んだ。

「ぬしさまは背をなぞられるのが弱点のようですね」
「ッ誰でも背中は弱点だ!離れろ!」

 俊敏に拳を引いた空橋は小狐丸の鎖骨を殴りつけた。機動の速さでは劣っている小狐丸は悲鳴をあげることなくもだえ苦しむ。空橋は、その間に枕を引っ掴んで壁の方を向いて寝ている三日月を飛び越え寝ころんだ。すると、ちょうど目を覚ましたらしい彼と視線が合う。

「ん……空橋の寝相は相当悪いようだな」
「どこぞの狐のせいでね!」
「………怒っているのか?」
「怒ってないように見える?!」
「いや…」
「おやすみ!」

 半ば無理やり会話を終了させて目を瞑った空橋に唖然とする他ない。
 小狐丸が本丸へ来てから、ずっとこの調子だ。空橋は、常に小狐丸のことで怒っている。

「…………」

 三日月は胸の内に穏やかでない感情が広がっていくのを感じた。
 小狐丸が来る前は、空橋を怒らせるのは三日月の仕事だった。出陣に遅刻すれば怒られ、光忠の朝餉をつまみ食いすれば怒られ、たまに一人で敵を倒せば「いつも二人で倒してるのに!」と怒られた。しかし、今ではめっきり怒られなくなった。出陣に遅刻しても「どこにいたの」とため息をつかれるだけ。朝餉をつまみ食いしても光忠に怒られているおころを見て笑うだけ。終いには「しょうがない」と庇うようにさえなった。
 ふと次に出陣するとき、一人で敵を倒したらなんといわれるだろう、と三日月は思った。

「………空橋」
「なに」

 目は閉じているが眠ってはいなかった。その声は怒っていて、どうやら憤りが邪魔して眠れないらしい。
 三日月は布団の袖を持ち上げて、招き猫のように手をゆらゆらと動かした。

「畳の上で寝ては体が痛むぞ。こっちへ来い」

 悩んでいるのか、しばらく仰向けのまま黙っていた空橋だったが片目を開けて三日月が空間を作っているのを確認すると困ったように笑って潜り込んできた。

「実は痛いし寒いしでどうしようかと思ってたんだ」
「そうか」

 三日月が布団を掛けてくれると、ふわりとお香のかおりが広がった。特にお香をたいているわけではないのだが、三日月にはそのような高貴なかおりが染みついている。良い香りゆえ敬遠されるものではなく、誰でも優しく包み込んでくれるような優しい香りが空橋は好きだった。

「ヅキさんのおかげでよく眠れそうだよ…」
「そうか、それは良かった」

 自分の胸板に頭を押し付けて安心したように深い眠りに落ちていく空橋の頭を三日月は撫でてやった。
 やがて静かな寝息が聞こえてきた時、背中に突き刺さる視線を感じる。いわずもがな小狐丸だ。しかし、何も言うまい。会話はしないという約束だ。それに、する必要もないだろう。空橋がこうして腕の中にいれば小狐丸には何の用もなかった。だが、こうも静かな夜は独り言を言ってみたくなるものだ。

「あないとほし、空橋や。日々の"すとれす"で相当まいっていたのだなぁ。すぐに寝てしまった」

 背に感じる視線に殺意ともとてる強い感情が混ざっていくのがわかる。しかし、それでも三日月は独り言を続けた。

「そうだ。今の間にこの凝り固まった体をほぐしてやるとしよう」

 視線に困惑の色が混ざるのを感じた。
 三日月は布団で見えないのを良いことに、大げさな動作で空橋の腰を揉み始める。

「おお、想像以上に凝っているようだ」

 小狐丸の気配に焦りの色が浮かんでいる。
 三日月は、これ見よがしに布団を上下させて空橋の腰を揉み続けた。
 実際、空橋の体は凝り固まってしまっている。審神者が現世へ旅に出てから執務から刀剣たちのまとめ役まですべて担っている空橋には疲労が溜まっていた。それに加えて小狐丸と三日月の相手もしなければならないとなると、肩こりはもちろん体中が悲鳴をあげていてもおかしくはない。

「んん…」

 次第に凝りが解れて気持ちがよくなってきたのか、空橋は吐息ともとれる寝息をたて始めた。その声に小狐丸が敏感に反応しているのを三日月は感じた。

「気持ちいいか?」

 冗談まじりに空橋へ問いかける。すると、くぐもった声が絞り出すように発された。

「んッ……きもちい…」

 偶然とはいえ、返事をしたような寝言に三日月は手を止める。後方では息をのむ音がした。
 これだけ腰をまさぐっているのに空橋に起きる気配はない。それどころか気の抜けた表情でぐっすりと眠っている。寝間着のズボンはすっかりずれ、黒いトランクスが覗いていた。それさえも脱げかかっており危うく下半身が見えてしまうところだ。

「……………」

 三日月は、その滑らかな白い腰に手を伸ばした。

「まさか……手を出したのではあるまいな?」

 動揺と怒りで震える声に三日月は、はたと我に返った。
 よく眠る空橋は、今も夢の中だ。

「やあ、暑いな。少し涼んでくるとしよう」

 おもむろに起き上がった三日月は、襖を振り返る。さすれば、そこには静かに此方を睨んで立っている小狐丸がいた。

「……どこぞの小狐が変な気を起こす前に帰ってこねばな」

 口元を袖で覆いいこりと笑った三日月は、自分の身が入るだけ襖を開いた後、廊下を歩いて行った。

「ふん、誰が貴様のような…」

 と、言い終わる前に咳払いをする。嘘をつくのは躊躇われた。
 小狐丸は細く開いた襖を睨みつけて静かに閉じる。本当ならば開け放したままか勢いよろしく閉めてしまいたかったが、空橋が風邪をひいては困るし、起きてしまっては可哀そうだった。
 自分の布団に入って一つ向こうの布団を見る。ちょうど、こちらを向いているような空橋の頭が見えるようだった。

「………気に食わん」

 私のことは頑なに嫌がるのにどうして三日月には身を任せるのか――小狐丸は三日月の余裕をたたえた笑みを思い出し、怒りを揉み消すように寝返りをうった。
 その時だ。

「おい馬鹿」
「!?」

 明瞭な空橋の声が部屋に響いた。と、いっても外に聞こえるほどではない。
 小狐丸は、月明りの漏れる襖を凝視したまま後に続く言葉を待った。

「一人でいくな」

 寝言と悟るのにいくらか時間がかかった。「戻ってこい」、「危ないだろ」など続けざまに言う空橋は誰かと一緒にいる夢を見ているようだ。推測するに、戦中だろうか。

「いつも言ってるじゃないか」

 三日月との夢だと直感的に思った。常に行動を共にしていることに加え、あれだけ親密な仲なのだから無理もない。そう思って、"親密"という言葉に疑問を持った。"親密"とは、どのような関係であろうか。
 どこまでの、関係であろうか。

「小狐丸」
「は…い!」

 突然のことで咄嗟に返事をするも変なものになってしまったことに小狐丸は慌てて布団の上で正座した。

「小狐めに何か…?」

 まさか起きていたとは、と膨れた布団の向こうを窺い見る。しかし、掛布団が規則正しくわずかに上下しているだけで、それ以降いくら待っても空橋の声が聞こえてくることはなかった。

「……………」

 小狐丸は、己の勘違いを三日月の真似をするようにして笑った。

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