天下る幻

□第三話
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○月×日

 墨俣の地にて小狐丸を発見・保護。怪我はない。
 夕食の時に皆と顔合わせをしたが特に問題はなかった。食事も残さず食べていた。
 ただ、


「三日月宗近との仲が芳しくない」

 空橋は就寝前に自室で毎日の習慣である日誌をつけていた。こうして本丸の様子を書き記しておくことで主に留守の間の報告をすることができるのだ。
 もちろん、事後報告となるが。

「今後の課題である、と」

 筆を置いて暫く考える。
 三日月以外の刀剣たちとは笑顔を見せながら話していたが、時折三日月を見る瞳はやはり敵意が籠っていた。
 
「過去に何かあったのかな」

 そう思い再び考えてみるが知らないものはわからない。変な想像をしても仕方がないだろう。

「とりあえず主が帰ってきたらすぐに相談するとして………あーーー主はやく帰って来てー!!」

 三日月のこともあるが、空橋としては小狐丸に「ぬし様」と認識されていることが同じくらい問題でもあった。いくら説明しても呼び方を変えようとしないのだからどうしようもないのだが、それでもこの本丸にいる以上、本来の主のために戦う義務がある。これは早急に解決しておきたいことでもあった。

「―――ぬしさま」
「!」

 噂をすれば。
 空橋は日誌を片付けて部屋の前に立つ大きな影に声をかけた。

「どうかした?」

 ピクリと影が動く。

「寝ておられましたか?」
「いや、起きてるよ」
「……入っても?」
「え?ああ、どうぞ」

 襖が開かれると、そこには枕を持った小狐丸が。

「………まさか本当にここで寝るつもりなの?」
「約束をしました」
「約束はしてません」
「ところでいつ床に入られるのですか?」
「そろそろ寝ようとしてたところだけど…」
「では」

 空橋の枕を寄せて隣に自分の枕を置く。

「寝ましょう」
「ねぇ本当に一緒に寝るの?」

 頷く小狐丸に頭を抱える空橋。
 しかし、こんな彼でも今日ここへ来たばかりの新人だ。笑顔の裏には不安があるのかもしれない。
 そう考えて、空橋は今夜だけ甘えさせてやることにした。

「ただし、布団を持ってこい」
「布団ならここに」
「これは俺のだ」
「…………」
「拗ねるな!」

 自分の布団を持ってこさせて部屋に並べる。そうすると、急に部屋が小さくなっように感じた。

「電気切るよ」
「? でんき、とは何ですか?」
「ああ、行灯のことだよ。今の時代は火は使わないんだ」

 興味深そうに電気を見上げる小狐丸。
 ぶら下がった紐をひくと電気が消え「おお」と感嘆の声が暗闇に聞こえた。

「ぬしさまはもう新しい暮らしには慣れましたか?」
「まあね。もともと俺は現世で打たれた刀だし」
「現世で?」
「うん」

 空橋は、審神者が現世からこの時代へ持ち込んだ正真正銘の初期刀だった。

「だから電化製品の知識は本丸一だと思う」
「それは…素晴らしいですね」
「いやいや、そんなことも……あるか、うん、あるな」
「………」
「なんだその目は」
「暗いのに見えるのですか?」
「いや、見えないけど絶対冷めた目をしてたでしょ」
「いえ、そんな……あ、そういえば」
「おい」

 暗い部屋の中、こうして会話をしているとなんだかわくわくするものがある。
 今日の鮭料理は美味しかった、次は油揚げの料理をしてほしい、など食事についての話で盛り上がり、他にも刀ならではの苦労話で夜は更けていった。
 大きなあくびがでる。

「そろそろ寝るかぁ…」

 重い瞼を閉じて睡魔に抗うことなく落ちていく。

「……………」

 小狐丸は規則正しい寝息を立て始めた空橋を見ていた。

「………ぬしさま」

 密かな寝息が聞こえる布団にそっと呼びかける。しかし、返事はない。どうやら本当に眠ってしまったようだ。
 ついさっきまであんなに話していたのに、急に会話がなくなると酷く静かで寂しさすら覚えてしまう。
 小狐丸は仰向けになって天井を見上げた。
 火の灯っていない電気は、どこか冷たい雰囲気を感じさせる。火を点ける手間が省け、蝋を替える必要もない電気は便利だが、小狐丸は慣れていないせいもあってか、自然の光を好んだ。
 襖の隙間から月明かりが漏れている。
 蛍光灯とは違う怪しい光が小狐丸の心を落ち着かせ、同時に心をくすぶりもした。

「…………」

 寝返りを打てば、向うの布団には空橋が無防備に眠っている。
 自分から言い出したものの、「会って間もない男と同じ部屋で寝るとは、警戒心の欠片もない」と小狐丸は思った。
 この男は、どんな者でも信用するのだろうか。

(………そこに惹かれたのか…?)

 小狐丸は、三日月宗近のことを思い出していた。かつて、兄と慕った男。しかし、それは上辺だけでのこと。
 小狐丸は、いつ何時でも飄々としている三日月が気に食わなかった。三日月よりも自分の方が鍛錬をしたとしても、強いのは三日月だった。倒した敵の数が勝っていたとしても、主は三日月を好んで振るった。小狐丸は何一つ三日月に勝ることはない。
 そんな彼が一振りの刀に現を抜かしているのには大層驚いた。あの高尚な男が、ちっぽけでひとたび岩に打ち付けようなら折れてしまいそうな男にかつて見たことのないような優しい笑みを向けている。さらには、嫉妬までもするようになった。
 小狐丸は、そんな三日月に驚きつつも、嘲り蔑んだ。少なくともその強くあるも決して悦に入る様子を見せない所を評価していたというのに。
 そして、興味は自然と空橋に移っていった。
 あの三日月をたらしめた男とは――

「ん゛!?」
「ッ?!」

 突然、奇声を発した空橋に小狐丸は驚いた。

「ぬ、ぬしさま…?」

 問いかけてみるが、返事はない。ただの寝言のようだ。

「………わからん…」

 とは言ってみたが、自分自身も少なからず空橋に惹かれているという実感があった。
 彼の戦闘は目を引くものがある。華奢な体ではあるが、振るう刀には力があり、何より強い意思を持った瞳が美しかった。しかし、戦闘が終われば、少し背筋をつついただけで顔を赤らめ睨みつけてきたり、呼びかけただけで苦い顔をする。かと思えば、他愛のない話で純朴な笑みを浮かべる。正直、見ていてとても面白かった。
 小狐丸は、起き上がるとぐっすりと眠る空橋の枕元に膝をついた。

「…………」

 よく眠っている。
 なんとなく、首に指先を触れさせると、びくりと身体が跳ねた。が、それだけ。
 空橋は、深く眠る。

「……一瞬のうちに殺せてしまいそうじゃ」

 空橋が死んだあとの三日月の顔を思い浮かべて、小狐丸は濃い笑みを浮かべた。
 薄く空いた唇から流れ込む空気が通る白い首。言った通り、一瞬で噛み切ってしまえそうだ。
 小狐丸は、空橋の首筋に顔を近づけた。
 瞬間、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。とても甘美な香りだった。それが殺意とは別のものも引き寄せて、自然と犬歯が空橋の喉元をとらえる。

「んッ…」

 小さな痛みに僅かに顔が歪んだ。
 その表情を尻目に深く歯を沈めていく――次の瞬間、小狐丸は額に強い衝撃を受けて自分の布団に倒れ込んだ。

「ッ?!……!!?」

 あまりの激痛と現状の理解に苦しむ。
 空橋は穏やかな顔で眠っているし、他にこの部屋に人はいない。仕掛けも罠もない。

「な、何が起きたんじゃ…」

 熱を帯びた額を押さえつつ、ぐるりと部屋を見渡す。何の変哲もない、飾り気ひとつない部屋だ。小狐丸は、混乱したまま再び空橋へ視線を戻した。そして、気づいた。

「……侮れんな…」

 真剣な目をしたその先には、布団の上で握られた拳があった。
 翌朝、赤みが引かない額を心配するその純粋な瞳に昨夜の一撃は無意識だったということを知った小狐丸は、改めて空橋を侮るような真似はしないよう心に決めたのだった。

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