天下る幻

□第二話
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「ぬしさま」
「じゃない」

 無事に任務を終え、みなが揃って帰路についていた。

「ぬしさまでありましょう」
「じゃないって言ってるんだけど」

 馬に乗った空橋の隣にぴったりとついてくる白髪の赤目をした男が一人。

「では、ぬしさまは一体何者でございますか?」
「空橋だ。だから、お前の主じゃない」
「素敵なお名前ですね。私の主にふさわしい」
「だから主じゃないって!」
「ぬしさま、帯がほどけてしまいそうです」
「もおおおヅキさん何か言ってやってよ!!」

 彼の名は小狐丸。今回の戦で発見した。

「うん、そうだな」

 隊の先頭を行く三日月はゆっくりと振り返る。髪飾りがきらりと光った。

「小狐や、あまり空橋をからかうな」

 穏やかな注意だったが、三日月には威厳がある。加えて、小狐丸は新参者なのだからこれに懲りて大人しくなるだろう。空橋はそう思った。
 しかし、三日月を見据える赤い瞳は細められ、侮蔑するような瞳に変わる。

「その呼び方、やめていただきましょうか」

 ひどく冷たい声音だった。
 先までの飼い主に懐く犬のような表情をしていた彼とは別人のようで、空橋は目を丸くする。
 三日月はいつもと変わらぬ涼しげな顔をして憎々しげに言う小狐丸を見ていた。

「私は小狐丸です。そこらの子ぎつねと一緒にしないでほしい」

 小狐丸の低く響く声に部隊の足並みは止まり、重い沈黙が流れた。みな例外なく口をつぐんでいる。
 やがて、その沈黙に飲み込まれそうになったとき、ようやく三日月が笑い声をあげた。

「いや、すまん。小狐丸や。呼び名は大切。以後、気をつけるとしよう」

 三日月の落ち着いた声に部隊の空気もいくらか和らぎ、再び進み始めた。

「よろしくお願いいたします」

 害のない笑み。
 空橋は瞬時に変わる小狐丸の表情を見て眉間に皺を寄せた。すると、視線が合う。
 空橋は慌てて顔を背け、いつもの顔になるよう努めた。

「ぬしさま、この小狐めがぬし様の帯を結びなおしてもよいでしょうか?」
「(自分で言う分には構わないんだ…)……じゃあ、お願いしようかな」

 自分で直すことはできるが、断っても彼はしつこく頼んでくるだろう。そう思い、結びやすいように馬から降りようと足を浮かせたがすぐさま制止がかかる。

「そのままで問題ありません。私は体が大きいですから」
「そう?」

 もしかしたら大きいのに名前に「小」と入っていることが気に入らないのだろうか、と空橋は思った。
 小狐丸は器用なもので、一瞬のうちに帯を結びなおしてしまう。

「できました」
「ん、ありが…ッ?!」

 背骨をなぞるような感覚。
 空橋は目を剥いて小狐丸を見た。

「どうかなさいましたか?」

 首をかしげる小ぎつね。
 
「い、いや、なんでもない」

 帯を結び終わった後、背中を指でなぞられたが、特にわざとという訳でもないらしい。
 空橋は変な反応をしてしまわなかったか心配になった。

「ぬしさまはよい反応をなさりますね」
「!!」

 わざとだった。

「おお、顔が見る間に赤くなってゆきます」
「なっ…!」

 空橋は唇を噛み、何か言おうとしたが結局何も言わずに馬の腹を蹴り逃げるようにして隊列に紛れていった。

「…………」
「何か?」

 欠けた月を見返して薄く笑む。

「嫉妬深くなられましたね、あにさま」

 嘲るように笑う小狐丸に三日月はゆっくりと瞬きをしていつもの穏やかな笑みを浮かべた。

「なに、俺は変わらんさ」

 三日月の合図で歩き出した馬はしなやかに動いた。
 
「……………」

 その余裕たっぷりの微笑、気に入らない。














 本丸に着くと、小狐丸はすぐさま空橋を探しに向かった。
 すれ違う刀剣たちに注目を浴びながら屋敷の中を歩き回る。思いのほか広くてなかなか探し人は見つからない。途中、喋る狐を肩にのせた打刀に後をつけられることがあった。

「ぬしさま」

 ようやく見つけた場所は裏庭にある水汲み場だった。
 空橋は井戸から水をくみ、顔を洗っていた。

「こ、小狐丸ッ…」

 片足をひく仕草は敵にするもの。
 空橋は無意識のうちにそれをしているようだった。
 前髪から水が滴っている。

「ぬしさま」

 小動物のように自分から目を離さず、出方を窺っている空橋は「俺は主じゃない」と何度目かの否定をした。
 
「ぬしさま、早う髪を拭きませぬと風邪をひいてしまいます」
「…………」

 最終的に折れたのは空橋だった。
 肩をがっくり落とし、溜息をつくと井戸の淵にかけてあった手ぬぐいで顔を拭き始める。
 小狐丸はそれを見ながら足音を立てずに近づいて行った。

「うわあッ!!?」

 顔をあげた瞬間、間近にあった赤い瞳に驚いて飛び退いた。
 これは面白い、と小狐丸。

「お前、俺をからかってるだろ!」
「いえ、そんな」
「嘘つけ!!何度言っても俺をぬしさまと呼ぶし…!」
「何か問題でもありますか?」
「あるわ!確かに今、主は不在だけど一か月くらいしたら帰ってくるから…」
「では、その主様の代わりはどなたがされているのです?」
「………俺」
「ぬしさま」
「もおおおおおお!!!」

 きりがない。
 空橋は手ぬぐいを肩にかけると屋敷へ入っていった。
 小狐丸もそのあとに続く。

「なに、俺にまだ何か用があるの」

 仏頂面で聞く空橋は大股で自室に向かっている。しかし、小狐丸はぴったりと後ろをついてきており、しかも焦っている様子はない。
 身長の違いだ。

「私はどこで寝泊まりをすればよろしいですか?」
「あぁ、そうか……でも俺は空き部屋のことは把握してないから宗三さんに聞いて」
「ぬしさまの隣がようございます」
「俺の隣?空いてるには空いてるけど…」
「では、小狐めはそこで」
「えぇ…」
「何故、そのような顔をされるのですか?」
「いや…別に…」

 嫌じゃない、と言えばそれは嘘だ。
 空橋はどうも小狐丸を信用できないでいた。

「…………」
「?」

 横目で窺えば人懐こい笑みを返してくる。

「(わからん)」

 見つけたときから彼は空橋に興味を持っているようだった。そのせいか、他の刀剣たちには目もくれず、空橋につきまとう。それどころか三日月にあからさまな敵対心を持っているようだった。

「まあ、とりあえずはここを使えばいいよ。宗三さんには俺から言って、新しい部屋を決めてもらうから」

 部屋の前につき、襖を開ける。
 誰も使っていないが毎日、当番によって清掃されているので清潔ではあった。

「ここにします」
「………」
「ぬしさまはどちらのお部屋ですか?」

 もはや溜息さえ出てこない。
 空橋は黙って自分の部屋を指さした。

「今夜お邪魔してもよろしいですか?」
「なんで?」
「一人では心細いので」
「嘘つけ!!」

 小狐丸の考えていることがさっぱり読めない。無駄にイライラしている気がする。

「(落ち着け、自分。これじゃ完全に小狐丸のペースだ)」

 そう思い、何度か深呼吸をする。
 小狐丸はそれを不思議そうに眺めていた。
 そうこうしているうちに光忠が夕餉の準備ができたと呼びかけ始めた。そこで自分の腹の空き具合に気づく。小狐丸もさぞ腹を空かせていることだろう。

「俺たちも行こう。夕餉は皆でとるから初顔合わせになるね」
「はい」

 膳が並べられているであろう広間に向かうと徐々に良い匂いが香ってきた。

「……鮭のにおい!」
「甘いような塩辛いような…」
「光忠が作る鮭の料理はすっごく美味いんだ!良かったね、ここに来て初めての料理が鮭で!」
「はあ…」
「鮭〜♪ん〜♪」

 香りに導かれるようにして鼻で歌いながら駆け出した空橋は、途中、短刀と思われる小さな子供たちに纏わりつかれながら広間に入っていった。

「…………」

 空橋が幸せそうな顔をするほどに美味な鮭料理とはどんなものか。
 少し想像すると腹の虫が鳴いた。

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