天下る幻

□第一話
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「じゃ」

 リュックサック一つさげてヘラッと笑うと、主は現世に戻っていった。また暫く旅に出るのだそうだ。
 主は旅が好きだ。よく長いこと本丸に帰ってこないことがある。その間、主の代人を務めるのは決まって俺の仕事だった。
 なんてったって、主の初期刀は俺だからな。















「ヅキさんは?」

 空橋は、良い香りが漂ってくる調理場の暖簾をくぐって開口一番そう言うと、燭台切光忠のエプロン姿に絶句した。

「やあ、相変わらず早いね空橋。三日月さんならまだ寝てるんじゃないかな」

 お玉を手にピンクのフリル付きエプロンで振り返った光忠は持ち前の低音で笑った。
 そのおぞましい姿に頬がひきつるのを感じたが、何も言うまい。

「それがさ、部屋に行ってもいないんだよね」
「どこか徘徊してるんじゃない?」
「せめて散歩って言おうよ」
「自力で帰ってこられないんだから散歩ではないでしょ」
「酷い言われようだなぁ、ヅキさん」

 トントン、とリズミカルに包丁を扱いながら言う光忠はその温和そうな顔とは対照的に冷めた性格をしている。それなのに、毎朝こうして全員分の朝餉を一人で作っているし、出陣する部隊の男士たちには必ず握り飯を作ってやる。そして自分が本丸にいないときは、主が現世から持ち込んできた冷蔵庫に何かしら食べ物を作り置いて行くのだ。
 面倒見はいいのだが、他人に干渉はしない。矛盾した男だった。

「今日、第一部隊は出陣する日でしょ?三日月さん、早く見つけないと間に合わなくなっちゃうよ」

 大きな拳に白米が乗り、光忠の丸められた手の形になっていく。

「俺、しゃけがいい」
「オッケー」

 空橋の注文通り、白米の上に茹でられた赤身が添えられ握られていく。鮭身の味付けは光忠の特製で、あまじょっぱい。
 おにぎりの具ランキングの一位だった。

「俺は梅を頼む」
「わかったよ」
「ヅキさんは梅が好きだよな」
「うん、好きだ」
「他には?昆布あるよ」
「梅」
「梅だけでいいの?」
「ああ」
「………………って、ヅキさん帰って来てる!?」

 気が付けば、三日月宗近が空橋の隣で口元を袖で隠して上品に笑っていた。
 片頬が膨らんでいる。

「……ねぇ、何つまみ食いしてんの?」

 獲物を見るように隻眼が見開かれ、三日月を射抜く。
 空橋は思わず身を竦めた。普段怒らない人を怒らせるととんでもないことになるのは皆知っている。
 しかし、睨まれている当人は涼しい顔をして咀嚼していた。

「なかなか美味かったぞ。あっぱれだ。はっはっは」
「…………」
「みみみ光忠落ち着いて!!」

 動きはないが前に立ち塞がらないと一瞬のうちに平和ボケした一人の老人を墓に埋めかねない勢いが、今の光忠にはあった。

「ヅキさんもいい加減それやめろよ!絶対面白がってるだろ!?」
「ん?いや……はっはっはっ。そうだな」
「認めるのか!」

 いつもならば矢のごとく菜箸が眼球めがけて飛んでくるだけなのだが、今回ばかりは摘み食いしたものがものだったので包丁が飛んできた。
 三日三晩、様々な食材を組み合わせてとった出汁を使っただし巻き卵はさぞかし美味だったであろう。

「ヅキさん……もうやめようよ…マジで」

 調理場から死にもの狂いで逃げ出した空橋は息を切らせながら広間で大の字に寝転がった。
 その隣に三日月も優雅に腰を降ろす。

「いや、散歩の後はどうしても腹が減ってな」
「だからってつまみ食いしなくても……昼飯なくなるの、俺なんだからね!」
「昼飯がないのは俺だ」
「結局、俺の分たべるじゃん!」
「ああ………はっはっは」
「笑ってごまかすのやめろ!!」

 光忠は摘み食いを許さない。よって、摘み食いをした者の飯はなかった。

「そうだ、空橋に言おうとしていたことがあったんだが」
「……なに」
「今度からお前の握り飯の具は梅にしてくれ」
「つまみ食いやめろよ!!」

 もしくは自分で作れ、と言ってみるが彼がそんなことをするはずがない。空橋は黙って頭を抱えるしかなかった。











 道中にも食べたいから、と握り飯をいつもより多目に作ってもらったし、梅も入れてもらった。
 光忠は気づいていそうな気もしたけれど、特に何も言わなかった。

「今日はいつもより数が多いようですな」

 空橋の隣を愛馬に歩かせる一期一振は興味深そうに大きく膨らんだ風呂敷を見た。
 空橋はさっと顔を赤らめ手を振る。

「ぜんぶ俺が食べるわけじゃないから!」

 大食漢と思われるのがなんとなく恥ずかしかったのだが、一期一振はそれを気にした風はなく柔和な笑みを浮かべた。

「三日月殿のですよね。わかっておりますよ」
「あ………うん、そう」

 よく考えれば一期一振は第一部隊の常連で、空橋と三日月の昼食事情についてもよく知っている。
 恥ずかしがり損だ、と空橋は溜息をついた。

「空橋殿はいつも大変ですな。三日月殿のお世話は疲れましょうに」
「えっと…」

 悲しそうに眉をさげて言う一期一振は心から空橋を気遣っている。
 どこか光忠と同じにおいがする気もするが、彼は光忠と違って素直なのだ。いわゆる天然である。

「ヅキさんは世話の焼ける奴だけど、なんせ初めてできた同僚だし、嫌ではないよ」

 照れたように頬をかきながら言う空橋の視線は先頭を行く三日月の背中に注がれていた。

「………そうでしたな」

 一期一振は瞼を閉じて敵地に着いた合図を聞いた。
 

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