短編

□猫にまたたび
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しとどに濡れる雨の中で、一人の少女は泣いていた。

その姿は、人成らざる部分を持っており、そのために城内では忌まれ、彼女を知る者は、それを口外しては取り殺されると、恐れていた。

頭と尻に猫のそれ、二又に分かれかけている尻尾は、昔話に語られる猫又に酷似したものだった。

「そんなところで遊んでいたら、風邪をひいてしまうよ」

そう声をかけたのは、隠居中とたばかる毛利元就。
名無しさんを助けた者であった。

「やつ時には早いが、お茶にしないか」

こくりと頷いた名無しさんに、元就は安堵する。

川べりで酷く傷付いていたのを助けたのがきっかけで、二人は出会った。得てしてもう、季節も一つ巡り、名無しさんは見違えるように傷も癒えた。

「元就…さま、くすぐったい」
「君が遊んでいるのが悪いんだ。こんなに濡れてしまって…」

自分の膝の上に彼女を座らせると、手拭いで丁寧に名無しさんの体を拭き取っていく。
少し硬い声に反して、その指先はどこまでも柔らかく、温かい。

始めは恥ずかしさから、その手を拒んでいた名無しさんだったが、その内諦めたようにされるままになっていた。

「くすぐったい…」
「あまり、私を心配させてくれるなよ」
「心配…ですか」
「そうだ。君が私の前から消えてしまったら、きっと私は、すごく悲しくなるんだろうね」

諦念を込めた苦い声音に、名無しさんの胸は強く締め付けられるようだった。

元々、長居するつもりなど、毛頭なかった。

彼女と元就では住まう世界が、あまりに違いすぎる。きっと、その軋轢にお互い、耐えられなくなる時が来るだろうと。

「…きっと、今に離れたくなりますよ」
「それは、きっとないさ」
「だって、私はあなたより、長生きしますもの」

物言わぬ元就は、ただ、目の前の少女を掻き抱いた。強く腕に抱かれて、濡れた体に体温の心地よさを感じ名無しさんは笑んだ。

「濡れますよ。風邪ひいちゃう…」
「離さないよ、君は消えてしまうつもりだろう」
「いなくなったり…しません、から」

胸のつかえは取れないまま、彼女はとぎれとぎれに言葉をつむぐ。

元就は、ゆっくりとその言葉を噛み締め、そっと胸元の猫と向き直る形で、座りなおした。

「好き、なんだ。年甲斐もなく、と皆に笑われるかもしれない。狂ってしまったのかと、あざけられるかもしれない。それでも、私は名無しさんが」
「…ずっと、一緒にいてくれますか。一人にしないでくれますか」

名無しさんは、元就と上手く目を合わせることが出来なかった。絶えず、ぞくぞくした甘い痺れが体中に伝っていく。

自分は、彼のたった一人の人間に、なれるのか。私などでいいのか。そんな思いが、堂々めぐりになって、彼女の感情を強く掻き乱す。

しかし、紅潮した肌と潤んだ瞳は、強い意志を秘めていた。

「もちろんだ。名無しさんを一人になんかしない」

外は、ざあざあと雨音が響く、しんと静まる部屋の中で、消えてしまいそうに淡い、口づけを交わす。

合図も、調子もなく。
ただ、互いが互いだけを必要とし、黙して想いを伝えていた。

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