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□深淵にてなお光る
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もしも心臓をナイフで貫かれるようなことがあったとしたら、ナミを一目見た時の衝撃と似ているのだと思う。


外見は完璧だった。整った顔立ちも、美しい身体も、波濤のように揺れる長い髪も。頭も良かった。逃げ出すことは不可能だと認識するのも早かった。なのに無駄な抵抗を繰り返すのは、言うなれば仔猫が主人の前でわざと毛玉を転がして見せるような、パフォーマンスみたいなものなのだろう。
足りない点があるとすれば出自だった。王族の仲間入りをするとなれば高貴な血筋であるに越したことはないが、それはもうどうしようもない。もしもそんな文句を言う輩がいたら二度と口を聞けないようにしてやればいい。
余計な点は些か感情が激し過ぎることだった。仲間を愚弄すれば怒り、夜毎睦言に織り交ぜて逃げ場がないことを諭せばぼろぼろと泣いた。無駄なエネルギーだろうに、呆れを通り越して感心した。


「悲しかったり、苦しかったりして、涙を流すことはないの?」


いつだったか、質問の意図も意味も分からないでいるおれを見て、ナミはぎゅっと眉根を寄せて、かわいそう、と呟いた。海賊ごときが何を上から目線でと、王族の自尊心を傷つけるに足る発言を斬り捨てるのは簡単だったが、その言葉は何故か非常に心地良かった。例えるなら、優しく抱き締められているような。


だからだろうか。姉にも話したことのない、我々兄弟の秘密を明かしたのは。もう一度、かわいそうだと、愛にも似た憐れみを自分に向けて欲しいと思ってしまったのは。


「イチジ、」


駄目だ。違う。
その手首に鈍く光るのは、おれがお前を無理にここに繋ぎ止めている証だ。なのに何故、そんな泣き出しそうな、母のような、優しい声で、


「……おれの名を呼ぶな」


そんな風に輝くのは、闇の存在を知らないからなのか。それとも一度闇の底に沈み、這い上がって来たからなのか。
光を集め過ぎてしまうこんな裸のガラス玉にすら、慈愛に満ちた穏やかな輝きでお前は映るのに。


零しかけた言葉ごと呑み込むように、桜色の唇を塞いでしまう。




そうだ、やはり憎んでくれ。
お前が優しければ優しいだけ、おれはお前に優しくしてやれない。





深淵にてなお光る
(眩いほど、影も深く)





END
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