Book

□そんなしあわせ
2ページ/3ページ

「思い当たる節は全然ないの?」
「ないから来てる」


ぶすっとして椅子に行儀悪く腰掛けた末弟を、レイジュは優雅に紅茶のカップを傾けながらしげしげと見る。
今となっては珍しいことではないが、初めて相談に来た時は驚いたものだ。同時にそれだけ彼女が大切なのねと、微笑ましく思った。揶揄いたい気持ちもなくはないが、頼られるのは嬉しいので、この手のことには出来る限り誠心誠意対応することにしている。


「そうね……今回、帰国予定は2日前だったわね。帰りが遅れることは、ナミちゃんに連絡入れたの?」
「いや、入れてない。それで怒っているのか?帰って来たんだから機嫌を直して迎えてくれれば…!」
「まあ落ち着きなさい……ヨンジ、その怪我は」
「ああ、これか?大したことない」


壁が間に合わなかったんだ、あいつら武器だけは最新式だったからなと、右腕についた血を乱暴に拭うのを見て、ふと思う。


「怖かったんじゃないの」
「は?怖い訳ーー」
「あなたじゃなくて。ナミちゃんが」


御伽噺の城に暮らせば、現実は曖昧になる。大抵のことでは擦り傷ひとつ負わない筈の改造人間が、血を流して帰ってくれば驚くだろう。当たり前の日常が何の前触れもなく途切れてしまうかもしれないと、一度不安に思えば闇は簡単に心を蝕む。それが普通の『感情』。


「医務室に行ってから、ナミちゃんのところへ戻りなさい。たくさん抱き締めて、安心させてあげて」
「……分かった」


腑に落ちたような落ちないような顔で出て行こうとする弟は、急に振り返ると、ありがとな、ともにょもにょ呟いて扉をばたんと閉めた。


「どういたしまして」


聞く者のいない返事を添えて、レイジュは姉らしい眼差しで微笑んだ。


弟たちが可愛くない訳ではない。人並みに優しい心を持って生まれてきてくれたなら、と思ったことは数知れずある。
イチジは酷薄な部分が、ニジは粗野で短気な部分ばかりが目立つ。その点ヨンジは良くも悪くも単純だ。その素直さが、こんな奇跡を生んだのかもしれない。


(……『あの子』は、幼少期に能力の発現が遅れていた訳だけど)


それとは逆に、人間らしい感情の芽生えが遅れているだけなのでは、なんて。
浅はかな夢物語だが、それでも事実ヨンジの二重螺旋に起きた奇跡が他の弟たちにもいずれ訪れたならと、レイジュは願わずにいられなかった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ