Book

□スミレの涙
1ページ/3ページ

ヴァイオレット、と。


無体な真似を強いられたことは一度も無い。私を抱く時の彼は優しかった。言葉では嬲られ、心を抉られるようなことはしょっちゅうだったけれど、それとは裏腹に、そこに愛情が無いのが不思議なくらい優しい手付きで幾度も抱かれた。
行為は気まぐれで、私に拒否権は無かったけれど、それでも。


「ヴァイオレット」


低い声が鼓膜に沁み渡って、脳に行き着くたび、はっと思い知らされる。不本意な快楽の渦に飲まれる中で、それを与える男こそ、憎むべき存在だと。父を陥れ、国を奪い、姉を死に追いやった張本人だと。
奪われかけたプライドをなんとか引っ掴んで、歯を食いしばりきっと睨むと、男は嬉しそうに嗤うのだ。肌を晒し組み敷かれている状況で、それは悪足掻き以外の何物でも無く、かえって男を愉しませるばかりだとしても、そうせずにはいられなかった。




ヴァイオレットは私。でも私ではない。
マリオネットに与えられた名は、皮肉にも可哀想なヴィオラを守る盾となった。ヴァイオレットはスパイになる。平気で人を裏切り、時には殺す。憎い男にも抱かれる。汚れ無き高潔な王女、ヴィオラを守る為に。ヴィオラの大切な人達を守る為に。


ヴァイオレット、と、薄い唇が紡ぐのは、男にたったひとかけら残された優しさかもしれないし、単に面白がっているだけかもしれない。忘れるな、と突き付けられる現実は残酷だ。憎むべき相手を忘れるな、と。


ヴィオラなら、きっと。優しく抱かれるうちに絆されてしまう。憎しみさえも溶かされてしまう。男を、愛してしまう。浅ましき現し身は、情熱の国に生まれた定めだろうか。
だから、ドフラミンゴは、虚構の名で私を呼ぶ。完全に堕ちてくれるなと、愛と憎しみの狭間で悶え苦しめと。甘く甘く抱いておいて、そう突き放すのだ。


「…………ドフィ」


二人きりの閨でだけ、『ヴァイオレット』は男をそう呼んだ。
それに満足して男は去って行く。夏の終わり、大切に大切に最後まで取っておいた線香花火のように、呆気無く。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ