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□行方知れずの蝶
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翌朝目にした光景は、あまりにありふれた平和な日常だったので、逆に絶句してしまった。




「トラ男、おはよう!相変わらずひでー隈だな!」
「おせェぞ全く、片付かねェからとっとと食っちまえ」


ダイニングに溢れる、いつも通りの笑顔。笑い声。
隣の皿まで食い尽くす勢いの船長、それを諌める狙撃手とロボ、まだ半分寝ている剣士を笑う船医と骨、そしてコックが淹れた紅茶を受け取って微笑む考古学者とー


航海士。




何故、普通でいられるんだ?

航海士をやたらと溺愛するこの船の面子なら、あいつの少しばかりの感情の起伏を敏感に嗅ぎ取って、わんわんと騒ぎ立ててもおかしくないというのに。
席に着いてそっと女を伺うと、こちらの方を見ることこそしないけれど、昨日までとまるで変わらない。優雅に食事をし、喋り、笑う。
何故?


覚えていないのか。
感情にさざ波ひとつ立てない程に、昨日のことが、どうでもいいことなのか。
それとも、上手く隠しているのか。


かなり飲んでいたとはいえ、滅多に潰れない女が、酔って綺麗さっぱり昨夜の出来事を忘れるということは考えにくい。
ずっと、気になる男がいる。頬を染めてそう言った矢先に、意中の男以外の輩に無理やり犯されて、平気でいられるとも思えない。


何故、隠す。
ずっと好きだと言うなら、お前の想いびとは、この船の男の誰かなのだろう。
泣き喚けばいい、騒げばいい。
相手が誰であれ、この船にお前の想いを無下にする奴はいない。お前の涙を拭って、慰めて、抱き締めて、喜んでおれを殺すだろうに。


その身ひとつに抱え込んで、無かったことにするつもりか。自分が同盟を破棄させる元凶になることを恐れて。
このまま、ひとりで。


蝶は、甘い蜜をくれる花々に囲まれて、蜘蛛の視線に気付かない。




おれ用に出された朝飯の味噌汁はいつもと変わらず美味いのに、何故か味がしなかった。
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