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□行方知れずの蝶
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「ーーどうして」
こんなことするの。
そう、続けられる筈だったのだろう。
疑問符だけで途切れてしまった言葉は、思いの外掠れてひび割れた声に驚いた所為なのか、それ以上の追求は愚問だと悟った故なのか。
それきり、黙ってしまった女は、剥ぎ取られた服を掻き集めようともせず、ただ床に転がっているだけだった。
こんな夜は、強い酒が欲しい。
ウォッカでも、バーボンでも、ラムでもいい。うんと度数が高くて、頭がくらくらして、起こってしまった現実を夢に変えてしまうような。
あるいは、望んだ通りの夢を、現実に変えてくれるような。
既に酔っているのかもしれない。妙にふわふわした気持ちになっているのは確かだ。初めての恋みたいな甘ったるさと、初めての失恋みたいな空虚さが肺いっぱいに広がって、本来その臓器が担う筈の呼吸が上手く出来ない。
全ては、目の前に転がったままの、この女の所為だ。
ーゾロが筋トレに夢中で、下りて来ないのよ。トラ男君、お酒、付き合って。
この船には、ウワバミ航海士に付き合えるアルコール耐性の持ち主は、あの剣士しかいないらしい。おれはあいつの代わりか、という言葉を飲み込んででもその誘いを承諾したのは、漸く手にした、二人きりの機会だったからだ。
「トラ男君って、恋したことあるの?」
よく喋る女だと思った。しかし、不思議と不快ではなかった。明るい笑い声はもっと聴いていたいと思わせる程に心地良かったし、こちらが二言三言返す時に見つめてくる瞳は吸い込まれそうに美しかった。
妙な問いかけがあったのは、二人で何本の瓶を空けた後だろうか。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ。全然女に興味無さそうだから」
「…そういうあんたはどうなんだ。男が放っておかなそうだが」
「…私、ずーっと気になる人がいるの」
杯をあおって、ふにゃりと笑った姿に、胸が嫌にざわめいた。そこまでははっきり覚えている。
おれはその後、黙っていたのか、相手は誰かと問い詰めたのだろうか。
ただ、一言、
「トラ男君にだけは……絶対、教えてあげない」
その言葉に、かーっと体温が上がって。その後のことは、よく分からない。気付いた時には、倉庫の奥で声を殺して啜り泣く女の身体を組み敷いていた。
まるで夢のような、現実。