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□幻惑
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それは愛ではない。
愛と呼ぶには、あまりにちっぽけで、身勝手で、浅ましい。








暗く閉ざされた部屋で、淡いランプの光だけを頼りに、隣に眠る男をただ見ていた。
規則正しく上下する胸に、安堵とともに残念なような気持ちも芽生える。


ロー。
乾いた唇から声は出さずに、男の名前を呼ぶ。


ねぇ、ロー、起きてよ。




愛ではない。
愛されては、いない。
頭では分かっていても、心が勝手に勘違いする。


ーナミ…。


甘く、低く響く声が。
欲を孕んだ瞳が。
肩に置かれた手の熱が。


ーーわたしを、惑わせる。




あんなに欲していた自由が、今は怖い。自らの手で、誤った未来を選び取るのが怖い。
空も海も、その澄み切った輝きの前では、汚れた自分が露わになるのが怖い。
仲間たちの真っ直ぐな視線に晒されるのが、怖い。




もしも今ローが目を覚まして、掠れた声で名前を呼んでくれたら。
名前を呼んでくれなくても、ただ黙って抱き寄せてくれたら。
そうしたら、もうすこしだけ、


ーー勘違いしたままでいられるのに。




寝具に籠る暖かさを拒んだ肩は剥き出しのまま、もっと確かな熱を待ち侘びていた。





幻惑
(ただ、今は愛にも似たそれに縋りついて生きることを、どうか許して欲しい)





END
 

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