Book2
□九、金赤の鉤爪
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妙だな、と感じたのは。
娘が普段なら容易に読み取れる筈の風の動きを無視して、なんの前触れもなく突風が吹き荒れたことと、戸口の前におおきな影が見えたことです。
「………どなた、ですか?」
娘は警戒して尋ねました。この家を訪れるのは老婆くらいです、その影があんなにおおきい訳もありません。返事を寄越さない影をじっと見つめていると、それは砂像がほどけるように、さらさらと消えてしまいました。
「………花嫁衣装とは、気が利いてるじゃねェか」
「っ!?」
勢い良く振り向くと、そこには男のひとがおりました。正直、もう物の怪の類はおなかいっぱいなのですが、そのひとも勿論ひとでない特徴をばっちり備えておりました。八尺はあろうかという体躯、伸びた髪から見える角。おまけに顔にはおおきな傷もありまして。
「なんだ、怖がらねェのか。あいつらに逢った後じゃあな」
どう見ても鬼、です。顔が赤や青でなかっただけ有難いことです。二日前には妖狐、昨日は烏天狗。鬼が来たところで怯む娘ではありません。近寄りこそしませんでしたが、囲炉裏の火を受けて金赤に光る左手の鉤爪のようなものに、またしても気を取られておりました。
「クハハハ!面白ェ」
またしてもさらさらとその姿を消したかと思うと、次の瞬間目の前に現れた鬼は、娘の細い首に鉤爪を引っ掛けました。
「その夕焼け色の髪……伝承通りだ。お前、つい最近、十六になったな?」
娘はおおきくまばたきをして、それに答えました。下手に動くと首が切れてしまいそうでしたので。
「やたら派手な狐と、やたら無口な烏にも逢ったろう?」
愉快げなそのひとは、はなから娘の返答など分かりきっているようで、娘が声を発せないでいることなどどうでもいいようでした。
「てっきり先を越された、と思ったがな。どうやら連中は気付いていないか。これは好都合」
ぐっ、と引き寄せられて、鬼が吐き出した煙に視界を阻まれ、その向こうから声がしました。
「お前、おれと来い」